第29話

「いつから、気がついていたんですか。」


 マルグレット卿が冷たい声でたずねてきた。僕はゆっくりと立ち上がり、マルグレット卿に振り向く。


「初めに違和感を覚えたのは、あの祝宴の日でした。」


 あの日、マルグレット卿は僕に執拗しつようにお酒をすすめてきた。その時の表情に僕は違和感を抱いた。


 酔っぱらったように赤らんだ頬の上の目の奥にはどこか僕を観察する冷徹れいてつな光が宿やどっていたのだ。まるで、僕をあわよくば酔い潰そうというような。


 そして、はたしてあの夜、マルグレット卿にしこたまワインを飲まされた僕の動きはどこかにぶく、暗殺者をらえきることができなかった。


「今思えば、マルグレット卿は城の堀へと飛びこんだ後、捜索をしにやってきた騎士に紛れて城に帰還した、違いますか?」


 マルグレット卿は言葉を発さず、じっと僕をにらんでいる。


「そして、疑念が深まり始めたのはあの森での一件でした。」


 あの森で、僕はあの矢が飛んでくる方向から一切の殺気を感じ取ることができなかった。当然だ、真にパトリシア殿下を殺害しようとしていた暗殺者は、何食わぬ顔をして僕のすぐ隣に立っていたのだから。


「何よりも、あのマルグレット卿が初撃で暗殺者を仕留しとめられないはずがない。

 マルグレット卿、卿は恐らく僕と離れた時に仕掛けを施し、それを矢で射貫いて作動させることでパトリシア殿下を亡き者にしようとしたのでしょう。」


 しかし、僕が身をていして殿下をかばい、さらに地面が崩落したことでその目論見もくろみは外れてしまった。


「僕は肩に矢を受けた。しかも、少ししびれる感覚があったことをかんがみるに毒が塗られていたのでしょう。

 しかし、僕が地下都市に足を踏み入れる頃にはその感覚は消えていた。マルグレット卿、僕が気を失っている間にこっそり卿は解毒薬をりこんでいたんですね?」


 マルグレット卿は、もはやなにも言い逃れしなかった。


「そして、疑念が確信に変わったのは、殿下が怪物にさらわれた一件とその後のマルグレット卿の言葉でした。」


 マルグレット卿は北方騎士団内でも屈指の騎士だ。そんな騎士があんな体が大きいだけの鈍重どんじゅうな石像に吹き飛ばされるなどということはまったく考えられない。わざとだ。


 さらに殿下がさらわれた後、マルグレット卿は必死に僕にパトリシア殿下を見捨てさせようと説得した。それも変だ。


「むしろ、普段ならばマルグレット卿は真っ先に闘技場へと突っ込んでいたでしょう。マルグレット卿は誇り高く、心優しい騎士だ。そんな言葉を放つはずがない。」


 僕は、マルグレット卿の目を真っすぐ見つめた。


「マルグレット卿。卿が、卿こそが、ここ数週間パトリシア殿下の命を狙っていた暗殺者ですね?」


 マルグレット卿は静かに口を開いた。


「ええ、そうです。私が、パトリシア殿下を害そうとした暗殺者です。」



 しばらくの間、沈黙がガレー船の上を包んだ。


 やがて、マルグレット卿が僕に問いかけてきた。


「私の名前に、違和感を覚えたことはありませんか?」


 僕は問いかけの意図がつかめなかった。


「………いいえ?」


 マルグレット卿がどこか疲れたような笑みを浮かべた。


「どうして、私に家名がないのか、疑問に思いませんでしたか?

 どうして、騎士である私がただの"マルグレット"なのでしょうか、不思議でしょう?」


 マルグレット卿が一息入れて、言い放った。


「理由は簡単です。そもそも、この世にマルグレットなどという騎士はいないのです。」


 水面に反射する陽光がマルグレット卿を下から照らし上げる。


「私の真の名は、マレシア・ド・トゥルモンド=モラングリット。そこに眠るパトリシア殿下の父、アグラシウス七世に潰されたモラングリット公爵家、その最期の血族です。」


 かつて、国王の王国での権威というものはさして強くなかった。いくら王家といえども、実際の力は王国内のあまたの諸侯のうちの一人にすぎない。


 国王はあくまで国外に対する王国の貴族の意志の代表であって、その主君ではなかった。


 アグラシウス七世が即位するまでは。


 アグラシウス七世は父アグラシウス六世の早世によってわずか十歳にして戴冠した。未だかつて王国の記録にもそれほどまでに幼い王は存在しない。


 はじめ国内の貴族はアグラシウス七世を侮っていた。所詮は王家の宮宰、ラシュタッド一族の操り人形に過ぎない、と。


 しかし、アグラシウス七世は怪物だった。巧みな政治工作と優秀な軍事的才覚でもってアグラシウス七世は次々と国内の有力諸侯を取り込み、討滅し、王家の領地を拡大した。


 それは、遠い親戚である王の分家も例外ではなかった。かつて西方一帯のモラングリット地方を治め、毛織物産業で莫大ばくだいな利益をあげていたモラングリット公は、異端の烙印らくいんを押され、次々と戦いに敗れた最後に断絶だんぜつされた。


 モラングリット公とその家族は首をね飛ばされた後、城門に一週間さらされたという。そのとがはその親類、臣下やはては使用人にまで及び、数百人単位で処刑された。


「今でも覚えています、乳母に抱かれて逃げ出しながら目にした夜の闇の中に赤く燃え盛る城を。

 優しかった父はその死すらもアグラシウス七世にはずかしめられた。私の姉妹兄弟は皆殺された。私の親しかった小姓ですら、串刺くしざしにされたのです。」


 マルグレット卿の手が怒りに震えた。


「アグラシウス七世の放った追手は私が北方の辺境へと逃れるまで追ってきました。  

 その間に乳母は流行り病に倒れ、臣下は王国中に散り散りになり、私はひとり行き倒れかけていたところを副団長に拾っていただきました。」


 王国の西方から北方まではいくつもの森や山、川を越える途方もない長旅だ。追手から逃げながらとなると、まさに命がけだっただろう。それこそ幾人いくにんもの死者が出たはずだ。


「苦しかった。親しい人々が槍で胸をつらぬかれ、病に倒れ、生き別れていくのが。理解できなかった、なぜこれほどまでにアグラシウス七世が力を追い求めるのかを。

 騎士団に入ってからも、私は胸に宿ったほの暗い憎悪を忘れることは出来なかった。いえ、むしろ時が過ぎるにつれよりたかぶっていった。」


 マルグレット卿が、暗い、燃え盛るような怨恨えんこんめた目でパトリシア殿下をにらんだ。


 僕は心が痛んだ。これほど感情をむき出しにしたマルグレット卿というのは見たことがない。


「そんなときです、私がアグラシウス七世の娘が北方騎士団の団長となると聞いたのは。私はもはや居ても立ってもいられなかった!

 副団長の恩を仇で返すことになろうとも、ショルツ卿、あなたに恨まれてでも、何が何でもあのアグラシウス七世にも愛する者を奪われる絶望を味わってほしかった!

 どうしても、パトリシア殿下がのうのうと生きているのが許せなかった!」


 マルグレット卿の語気が強まる。もはや半ば叫ぶようにしてマルグレット卿は自らの胸中をぶちまけた。マルグレット卿の顔は燃え盛る怒りでゆがんでいる。


「私を復讐にとらわれたおろものののしるなら結構、ただ邪魔だけはさせません。」


 マルグレット卿がギリギリと矢をしぼる。ピンと張った弓は人一人を殺害するにありあまるほどの威力を秘めていた。


「ショルツ卿、そこをどいてください。さもなくば、あなたごとパトリシア殿下を射抜きます。」


 マルグレット卿が厳しい口調で言い放った。

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