第24話

 僕は木剣を構えて、目の前の怪物をにらんだ。


 剣闘士の怪物は僕の姿を動揺した様子で見ている。僕が怪物の左腕を動かなくしたことを思い出してか、すこしじけついて一歩後ろに下がった。


 が、その視線が僕の手の中の剣に移り、瞳を大きくゆがませる。剣を失った僕はもはや敵として相対あいたいするにあたわないといわんばかりに怪物が咆哮ほうこうした。


 次の瞬間、怪物が振るったロングソードが壁にかけられていた全ての武具をへし折った。どうやら僕が新たに剣を手に入れるのを警戒したらしい。


 僕は目論見もくろみの一つがいきなり潰されて、小さく舌打ちをした。この剣闘士の怪物は、意外と頭が回るらしい。


 怪物が勢いよく振り下ろすロングソードを僕は横に飛んで避ける。ロングソードが跳ね上げる小石が凄まじい勢いでかすめていき、小さな傷を僕につけていく。


 なんて馬鹿力だと僕は苦々にがにがしく呟いた。たとえロングソードを避けても、その余波だけで確実に傷を負わされるなんて。


 何度も怪物はロングソードを振るい、その度に僕が血を流していく。


 いくら一撃一撃でもらうダメージが小さいからといって、それが蓄積ちくせきしていけば消耗した僕にとって十分命取りになりうる。


 顔を上げると、パトリシア殿下がその顔をゆがませて僕を見つめていた。その手は心配するようにぎゅっと胸元で握り締められている。


 僕は殿下ににこっと笑いかけると、そのまま怪物に向けて突撃していった。怪物が振るうロングソードが頭上をすり抜けていく。


 それをかわし、図体だけはでかい怪物の懐にまで潜り込む。僕はそのまま手に持つ木製の剣を突き出した。


 怪物が身をひねり、僕の剣が怪物の鎧に当たる。当然、木製の剣が金属の鎧を貫けるはずもなく、僕の剣先がすこし欠けてしまうに終わった。


 頭上で怪物が仮面越しで笑った気がした。次の瞬間、怪物の反撃が始まる。


 すさまじい勢いでロングソードが振り下ろされる。僕は避けることができたが、飛んできた石の破片が僕のこめかみを切った。


 たらりと血が僕の顔にたれる。視界の端でパトリシア殿下が絶望したように目を手で覆った。


 まだか。僕は闘技場の出口に目をやり、そして小さく笑った。



 出口に、マルグレット卿が息を切らせながら仁王立におうだちしていた。怪物が怪訝けげんそうにマルグレット卿を眺める。


 いまさらやってきたとしても怪物の勝利に揺るぎはない、いったいどんな悪あがきをするつもりだ? そう言わんばかりの剣闘士の怪物の視線に、僕はにやりと笑ってみせた。


 どうやらマルグレット卿はうまくやってくれたらしい。


「ショルツ卿、行きますよ!」


 マルグレット卿が叫び、そして背後に振り返って矢を放った。


 通路の奥から凄まじい数の怒号が聞こえてくる。マルグレット卿を追いかけて数え切れないほどの小鬼たちが闘技場に姿を現した。


 パトリシア殿下も、怪物も呆気にとられたかのように一瞬動きを止めた。


 観客席へと飛び乗ったマルグレット卿が機会を見計みはからって出口の鉄格子を下げる。いきなりマルグレット卿を見失った小鬼たちは困惑したように周囲を見渡した。


 そこに、僕は飛び込んだ。いきなり騎士が飛び込んできて混乱した様子の小鬼は、僕を追いかけて迫ってくる怪物を見て心臓が止まらんほどに驚いた。


 小鬼たちが半狂乱になる。闘技場をくさんばかりの数の小鬼があちらこちらを右往左往うおうさおうし、怪物は僕の姿を見失った。


 僕は小鬼の群れにまぎれながら機会をうかがう。剣闘士の怪物は周囲にまとわりつく小鬼たちに怒り狂い、手の中のロングソードをやたらめったらに振りかざしていた。


 ここだ! 小鬼の影に隠れて怪物の背後まで近づいた僕はそのまま膝裏ひざうらを突き刺した。


 怪物の怒声が響く。片膝をつきながらも、激怒した怪物はロングソードを振り向きざまに放った。が、残念なことにそこにはもう僕はいない。


 僕は小鬼たちと共に怪物からすでに距離を取っていたのだ。苛立いらだつ怪物が地団太じだんだを踏む。


 しかし、怪物はもはや視界を埋め尽くすほどの数の小鬼に僕を見つけることは出来なかった。


 完全に先ほどまでとは立場が逆転していた。今度は僕が一方的に怪物に傷を負わせていく。正確に、鎧の合間をうようにして、この木で出来た剣でも深手ふかでを負わせられるように。


 怪物はもうすでに立ち上がることができなくなっていた。全身から血を流し、急所を突かれて身動きの取れなくなった怪物はただひたすらに体を小さくして僕の猛攻を耐え忍んでいるだけだ。


 剣闘士の怪物の首筋からたらりと一筋の血が流れ落ちる。僕はすでに怪物に止めを刺しに入っていた。


 もうすぐで首の頸動脈けいどうみゃくを射程に収める。大きく身をよじらせ、突きを放つ姿勢をとった僕は、しかし、ふと背筋に悪寒が走った。


 とっさに飛びずさると、目の前を巨大な岩が通り過ぎていく。これは、いったい?


「ショルツ卿、後ろ!」


 マルグレット卿の悲鳴のような声に反射的に僕は振り返る。視線がたどり着いたのは闘技場の観客席の最上段。


 いくつもの石像が、片手に武器を構えながら僕をその冷たい無機質な目で見降ろしていた。そのうちの一体が新たに巨岩を放り投げる。


 たまらず僕は剣闘士の怪物から距離をとった。


 あともうすこしで…っ! 思わぬ横やりに歯を食いしばる僕を、怪物がどろどろとした激情をこめた目で睨みつけてくる。


 怪物がゆっくりと立ち上がると同時、観客席最上段の石像たちが大きく跳躍ちょうやくした。最大級の危険を察知した僕はすぐに闘技場の壁際にまで退避する。


 しかし、小鬼たちは状況を理解していないようで、周囲をさかんに見渡し、逃げる様子を見せない。その上からとんでもない重量を誇る石像たちの巨体が降り注いできた。


 闘技場全体を土煙が覆う。それがようやく晴れた頃には、もう闘技場内に動く小鬼の姿はなかった。


 ほとんどの小鬼たちは原形をとどめぬほどに圧し潰され、踏みつぶされている。周囲を濃密な死の気配が包んだ。


 なんとか無事だった僕はあまりにもの絶望的な状況に乾いた笑いがでた。


 鎧の隙間から生身の体が垣間見かいまみえる剣闘士の怪物と違って、こいつら石像は骨の髄まで岩でできている。とうぜんこんな木製の剣で貫けるはずもなかった。


 そんな僕を、周囲の石像が覗き込んでくる。その最奥では憎悪に目を燃やした怪物がいっそ不気味なまでに静かに僕を見つめていた。

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