第10話

 憂鬱ゆううつだ。僕は目の前のかゆに浮かぶ自分のらめく顔をながめながらため息をついた。


「ほうしました、ショルツ卿? ハエでもとまってひましたか?」


 隣でマルグレット卿が口いっぱいにパンを頬張ほおばりながら呑気のんきに言葉をかけてくる。


 そうだ、こいつがそもそも竜退治の話をしなければこんなこじれた話にはなっていなかったのだ。僕は無言でその脇腹をつねった。


「むっ!」


 マルグレット卿が何かがつっかえたように胸を叩く。うすいワインを飲み干してから、うらめしそうな目で僕をにらんだ。


「何をそんなに不機嫌なのです、ショルツ卿。パトリシア殿下の剣術指南役に抜擢ばってきされるなど、騎士にとっては最高のほまれではないですか。

 無論、貴族のあれやこれやといったしがらみもつきまとうでしょうが、ショルツ卿なら大丈夫ですよ。」


 そうだ、結局僕はあの試合の後も指南役しなんやくを辞退することは出来なかった。


 目がすわったオルドラン卿に小一時間ほど懇願こんがんされたら誰だってことわれやしないだろう。


 オルドラン卿は最終的に僕が指南役しなんやくの話を受けないのなら尖塔せんとうの上から身を投げてやるとおどしめいたことまで言っていた。バカバカしいと皆は笑い飛ばすが、あれは目が本気だった。僕が断れば尖塔せんとうの上から飛び降りるだろうと確信させるような本気の目だったのだ。


 それに、僕の味方をしてくれる者は誰もいなかった。


 あの試合の後、驚くべきことに北方騎士団内でのパトリシア殿下の人望は高まった。パトリシア殿下が普段の北方騎士団の働きへのねぎらいとしょうして一人当たり金貨五枚を気前きまえよく払ったからだ。


 なんと北方騎士団の騎士たちは単純なのだろう。王族にとってははした金かもしれないが、北方騎士団の安い給料からしてみれば大金で、皆大喜びした。


 だから、僕がパトリシア殿下の指南役を断る話を持ちかけても、聞く耳を持たない。


 まさか、僕が指南役を断るために用意した方便ほうべんめぐめぐって僕をくるしめることになるとは思いもよらなかった。策士さくしさくおぼれる、というやつである。


 それに、副団長も実務から殿下をとおざけるため、僕に殿下を押し付けるという最低最悪な戦法をとり始めていた。


 いったい誰が分かってくれるだろうか、指南役を断る方法を相談しようと部屋を訪れたらにっこりとした副団長に却下きゃっかされた瞬間の僕の気持ちを。


 僕はあの副団長に裏切られたも同然だった。


 最後の頼みのつなである殿下の騎士たちも、あの試合の後はどこか遠巻とおまきに僕を眺めるだけで、異議をとなえようとはしなかった。


 それに、僕の気のせいなのかもしれないが、その視線にはどこか畏怖いふの色が浮かんでいたような…。


「ええい、どうして殿下の騎士たちはオルドラン卿のかたきちに来ないんだ! 今だったら僕は誰にだって負けてみせる自信があるのに!」


 僕がオルドラン卿との戦いのために必死で練習した、見物人にさとられないようわざと大げさに地面に倒れこむ技は最近すさまじい完成度にたっしていた。


 この努力を無駄むだでは終わらせたくない。


 どうして殿下の騎士は僕を夜襲でもなんでもしてくれないんだろうか。僕がそう気勢を上げていると、脇からひょこっとグウェンドリン卿が顔を出した。


「それは当然ですよ、ショルツ卿。殿下の騎士たちは誰しもがオルドラン卿の圧勝で試合が終わると思っていたんですから。」


 マルグレット卿が塩漬しおづけ肉をみ切って会話に加わった。


「グウェンドリン卿、それはいったいどういうことですか?」


「オルドラン卿は指南役も任されていた通り、こと騎馬試合において匹敵ひってきする者なんて殿下の騎士にはいなかったんです。

 それが、ただでさえ槍に対して不利な刺突剣でショルツ卿が圧勝なさるものだから、みな面食めんくらってしまったんですよ。」


 グウェンドリン卿が肩をすくめて言った。確かに、騎馬試合の時に感じたオルドラン卿の気迫は相当そうとうなものがあった。それだけ自信もあったのだろう。


 だからこそ、試合の後にあれほど思いめてしまったのかもしれない。


「正直僕もいくらショルツ卿の勝ち目はないと思っていたんです。でも、北方騎士団の皆さんはあまり驚いていませんよね、どうしてなんですか?」


 グウェンドリン卿が不思議そうに尋ねる。そうか、グウェンドリン卿は僕が騎士団内ではけっこう武でらしていることを知らないんだったか。


「グウェンドリン卿、続きの話はこの俺がして進ぜよう。」


 おどけたような声が僕たちの頭上からした。振り返ると色白の一人の男が立っていた。赤髪を揺らしながら長机に腰かける。


 ああ、こいつとだけは純真じゅんしんなグウェンドリン卿と会わせたくなかったのに…。僕は天をあおいだ。覆水ふくすいぼんかえらず、時すでに遅しだ。


 この男の名はロートリンゲン・ド・ポムジー。弦楽器げんがっきのリュートと音楽にありったけの偏愛へんあいそそぎ込む北方騎士団随一ずいいちの変人だ。


「ロートリンゲン卿、とりあえずグウェンドリン卿から離れなさい。」


 僕はそっとロートリンゲン卿をたしなめた。ロートリンゲン卿の近くにいればグウェンドリン卿もその影響を受けかねない。


ひどい言い草ですな、ショルツ卿。俺はまよえる無垢むくな子羊に道を示そうとする善良ぜんりょうなる牧羊犬ぼくようけんだというのに…。

 結構けっこう! ならば俺もいばらの道を歩むのみ。グウェンドリン卿、そのわけを知るにはこの北方騎士団内でのショルツ卿の評価を知る必要がありましてな。」


 ロートリンゲン卿は芝居しばいがかった仕草しぐさで胸をおさえ、大仰おおぎょうに傷ついたふりをした。


 そしてグウェンドリン卿をせると、いつの間にか取り出したリュートをかき鳴らしながら、歌うように声をり上げ始めた。


「ロートリンゲン卿、やめなさい!」


 ロートリンゲン卿が何をしようとしているのかを悟って、僕はたまらず声を上げた。


 ロートリンゲン卿は悪いやつではないのだが、何かを語る時には吟遊詩人ぎんゆうしじんのように自らかなでる旋律せんりつに合わせて内容を誇張こちょうしながら歌うのが悪癖あくへきなのだ。


 聞かされるほうはともかく、話に出てくる身としてはたまったものではない。


「さて、これは遠い遠い北の辺境での話。王国の皆様方が想像もつかないようなこの世の果てに、ひとつの騎士団がございました。

 その騎士たちは勇猛果敢ゆうもうかかんおそれ知らず、まさに詩人に歌われる立派な騎士たちでした。」


 グウェンドリン卿はまるで子供のようにロートリンゲン卿の語り口に聞き入っている。


 僕の座る机の周囲には娯楽にえた騎士たちが野次馬となって集まり、いよいよその場は収拾しゅうしゅうがつかなくなってきた。


「そんな一騎当千の勇者たちにも、一目置かれ恐れられるボルゴグラードの三騎士がおりました。

 その三人はまさに別格! どんな怪物だろうとまたたきの合間あいまにはもう倒してしまうのです!

 では皆様方参りましょう、まずは"二射いらず"、マルグレット! その騎士が放つ矢は雷よりも速く、城よりも重く、海よりも遠く、何よりも外れることを知らぬ! 

 次に"鋼鉄剣"、シナトラ・ド・モンタギュー! 構える盾は破れず、握る剣は折れず、纏う鎧は貫けず、一度も倒れることのない不敗の騎士!

 そして、最後に…。


―――――――――――我らが"串刺し卿"ショルツ・ド・バイヨン!

その前に立って風穴の開かぬ者なし、岩すらも貫く恐怖の剣なのです!」


 僕は顔から火が出そうだった。何が悲しくて公衆の面前でロートリンゲン卿にこんなこっずかしい紹介をされなければならないのか。


 隣ではマルグレット卿が平静をよそよってました顔でたたずんでいたが、机の下で手が荒野の馬車よりもれていた。


「さあ、お集まりいただいた皆様、本日の話はこれからが本番!

 マルグレットはいかにしてキメラの目を射抜いぬき、シナトラは巨人の両手両足を粉砕し、ショルツは竜の喉をつらぬいたのか、お聞かせいたそう!」


 興に乗ったのか、ロートリンゲン卿がより一層声を張り上げる。


 その横にいつのまにか一人の騎士がたたずんでいた。僕は心の中でそっとロートリンゲン卿の冥福めいふくいのる。どうか、安らかに眠りますように……。


 すさまじい音を立てて鎧越よろいごしにロートリンゲン卿の鳩尾みぞおちに拳が突き刺さる。ロートリンゲン卿はうめき声をあげる間もなく気を失って机の上にたおした。


「ロートリンゲン卿、これが私が巨人の手足を粉砕した方法だ。よく覚えておけ。

 ほかに知りたいものはいるか? いるなら申し出るがよい。」


 ほのかに頬をめた副団長の前に進み出る一騎当千の勇者は残念ながらいなかった。

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