第3話

 涼風りょうふうめぐる草原を馬をって走り抜ける。この辺りは土地がまずしいので牧草地として羊や牛がはないにされているのだ。


 遠くで羊飼ひつじかいが牧羊犬ぼくようけんとじゃれあっているのが見えた。いくつか小川を越え、パトリシア殿下の通る街道からそう遠くない森まで先回りする。


 開墾かいこんが道半ばで諦められ、今では豚の放牧ほうぼく薪集まきあつめに利用されている森の一角で僕は馬から降りた。


 近くの開拓村の人々がみ固めて作った小道が森の奥へと誘うように続いている。


 草原の中にポツリと取り残された一本の木に僕は馬をゆわえつけ、森へと歩を進めた。


 うっそうとした森は一切の光を飲み込んで黒々とたたずんでいる。僕はそっと腰の剣へと手をのばした。


 次の瞬間、森の暗がりから無数の狼が襲いかかってきた。


 小さな納屋なやほどある巨大な体躯たいくが宙に舞う。喉笛のどぶえみちぎってやろうと飛びかかってきた狼に僕は剣を抜き放った。


 恐ろしく使つか勝手がっての悪い剣。かつて副団長は僕の剣を指してそう評した。けなされたようであの時の僕はムッとしたけれど、冷静に考えれば確かにその評価は正しかった。


 長く、細く、鋭い刺突剣しとつけん。エストックと呼ばれるこの剣は全長が僕の身長の三分の二ほどあるくせに刃は恐ろしく薄い。


 少しでも乱暴に扱えばポキリと折れてしまう繊細せんさいな武器だ。当然切りつけるなんて剣に負担のかかることはできない。しかし、それだけの甲斐かいはある。


 この剣に刺しつらぬけぬものなどない。


 もう、目と鼻の先まで狼は僕に近づいていた。唾液だえきでべたべたとれた牙がぬらりと光るのが手に取るようにわかる。僕は落ち着いて剣を構えた。


 瞬間、目にも止まらない、光すら置き去りにする突きが放たれる。


 剣の切っ先は見事に眼球をき、その奥の脳まで達していた。狼が体をビクリと痙攣けいれんさせた後、だらりと弛緩しかんする。


 僕はすぐさま死体から剣を引き抜くと死体を足掛あしがかりにして飛ぶ。同時に狼たちが先ほどまで僕の立っていた場所に一斉にむらがった。


 空中で体をひねり、次の獲物えもの見定みさだめる。僕の真下で一塊ひとかたまりとなっている狼たちの背中が丸見えだった。


 一撃、二撃、三撃と手がぶれるほどの速度で刺突する。三匹の狼が骨の間から心臓を突かれて絶命した。


 三匹の死体が折り重なって倒れこんだその上に僕はふわりと降り立つ。


 明らかに怖気おじけついた狼たちが後ずさる。僕を遠巻きにして、円を描くように狼たちはたたずんでいた。


「どうしたんだい? 僕はか弱い人間だよ、襲いかかってこないのかい?」


 僕が挑発するようにおどけた仕草しぐさをとると、激高げっこうした数匹の狼が僕に突進してきた。


 前、後ろ、右、左。ありとあらゆる方向から駆け出してきた狼たちの額に剣を突き立てる。頭蓋骨ずがいこつを貫通された狼たちは白目をむいて次々と倒れ伏していった。


 やっぱり僕には警護なんてものは性に合わなさそうだ。いつ来るかもわからない敵を待ち構えるよりも、待ち構えている敵に自分から突撃するほうが心が安らぐ。


 それに何よりも日頃の鬱憤うっぷんを晴らすいい機会だ。狼たちを処理しながら僕は笑みを浮かべた。


 やがて、狼の群れはその数を大幅に減らしていた。僕の周りには数十体の狼の死体が転がっていて、残っているのはわずか三匹程度に過ぎない。


 そのうちの一匹に僕は近づいていく。先ほど足のけんを突いておいたのでもう動けないはずだ。


 近づく僕の姿におびえた狼は必死に足をバタバタと揺らすが、最後にはあきらめたようにぱたりと動かなくなった。


 とどめをそう。僕がそう考えて近づいたその時、その狼がすさまじい遠吠とおぼえを発した。


 近くにいた僕の脳が揺さぶられるほどの大声量だ。思わず喉元を突いて黙らせる。


 が、どうやらそれは手遅れだったようだ。残った狼たちが森に駆けこんでいく。さらには森のふちの茂みがガサガサと揺れる。


 どうやらこの狼は群れに撤退の指示を出したらしい。しかし、森に伏兵を残していたとは随分と賢い狼だ。


 僕は追撃をしようとして、諦めた。確かに僕の足で今から走れば狼たちに追いつくことは可能かもしれないが、時間がかかりすぎる。


 夜になってしまえば城の門も固く閉ざされ、堀にかけられたばしも上がってしまう。


 流石に一晩を危険な魔獣のうじゃうじゃしている平原で過ごすつもりはなかった。


 それに、目標は達成した。あの調子なら狼たちもパトリシア殿下の一行を襲うことはできないだろう。


 僕はゆわえつけておいた馬の元まで戻り、騎乗した。恐らくとっくにパトリシア殿下はボルゴグラード城にたどり着いているだろう。


 既に辺りは夕暮れがかっている。はやく戻らなければ。



 結局ボルゴグラード城に着いたのは門が閉まるギリギリの時間だった。門番に礼を言って馬を厩舎きゅうしゃに戻す。


 すっかり汚れてしまった礼服を着替え、城の大広間に向かうと既に祝宴は始まっていた。


 腕に覚えのある騎士が余興よきょうで笛を奏で、その音色ねいろに合わせて騎士見習いが曲芸きょくげい披露ひろうする。明るい蝋燭ろうそくに照らされた長机の上にはご馳走ちそうの山があった。


 すぐさま自身の席に着きたい欲求を押さえながらそっと上座かみざの副団長の席に向かう。


 完全に酔っぱらって顔を赤くしているパトリシア殿下の騎士たちに目を付けられないようにしながら、副団長の肩を叩いた。


 副団長は振り向くことなく机の下で指をくいっと曲げ、僕に報告を催促さいそくする。


「狼の群れ、およそ四十体ほどを始末しまついたしました。狼の統率とうそつや行動は時折深い知性を感じさせるものがあり、調教された恐れも。」


 僕は副団長の耳元で、かすれるほどの声で囁いた。


「ご苦労だった、席に着くとよい。今宵こよいは宴を楽しめ、くわしい話は翌朝に。」


 副団長の短い指示に従い、僕は喜びいさんで下座しもざの席に向かう。ようやく料理にありつける。


 流石にあれほどの数の狼を仕留しとめるのは久しぶりで疲れた。はやくこの腹を一杯に満たしたい。


 席に着いた途端、脇から手を肩に回される。僕が横を向くと、顔を完全に真っ赤にしたマルグレット卿が酒臭い息を吐いていた。


 うげっ、僕は早くも祝宴に出たことを後悔し始めた。マルグレット卿は普段は理想の騎士なのだが、酔っぱらうと手のつけようがない暴れん坊と化すのだ。


 そのたびに一番親しい僕に介抱役かいほうやくが押し付けられるのが常だった。


 兎に角、料理は食べられるうちに食べておくに限る。僕はふところから自分のナイフを取り出し、いそいそと目の前に置かれた鹿肉を切り取って口に運んだ。


 僕がその新鮮な肉を味わっているとき、脇からずいっとなみなみに度数の高い貴重なワインが満たされた杯が差し出された。


「……マルグレット卿、僕が度の高い酒をあんまり好まないのはご存じでしょう?」


 僕はその杯を差し出すマルグレット卿の手をける。マルグレット卿は不満げに頬をふくらませた。


「なぁ~にをおかたいことを仰るか! そんなのでは副団長みたいにいつも眉間みけんにしわをせる羽目はめになりまふよ、ヒック!」


 はるか右に座っているはずの副団長の目が僕とマルグレット卿に向けられた気がした。


 ゾッとした僕は慌ててその杯を受け取る。深みのある赤いワインが目の前で波打っていた。


「さぁ、ショルツ卿! いっふぃ、いっふぃに飲み干しましょう!」


 呂律ろれつの回っていないマルグレット卿が横ではやし立てる。冗談じゃない! 自慢じゃないが僕はお酒に弱いんだ、こんなに飲んだら戻してしまうかもしれないじゃないか!


 僕はすっとマルグレット卿に背を向ける。そして隣に座っていた騎士にぐいっと杯を押し付けた。


 酒豪しゅごうのその騎士は事情を察してくれたらしく一瞬で杯を空にする。僕は何も入っていない杯を受け取るとマルグレット卿に見せびらかした。


「ほら、僕は飲みましたよ! 見てください!」


「本当れふかぁ~?」


 疑うような視線を僕に向けるマルグレット卿を無視して僕は副団長の様子を伺った。


 副団長は机の上の料理には一切手をつけず、ただ周囲の席に座っている殿下の騎士の話に相槌を打っていた。マルグレット卿の失言を聞きとがめた様子はない。


 僕は胸をなででおろした。そして見事なカレイの塩焼きに手をのばそうと視線を机に戻した時、ふと副団長の隣に座る一人の女性に気がついた。


 ハッと目がめるような美しい金髪をきれいにみ上げている。料理を取り分けるその仕草しぐさには上品さがただよい、その身分の高貴さを指し示しているようだった。


 もしかしなくとも、あの人がパトリシア殿下ご本人なのだろうか。昼間はよろいに隠されて見えなかったその凛々りりしい素顔が蝋燭ろうそくのちらつくような赤い炎に照らされてあらわになっていた。

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