第28話
やっとここまで来た。
目と鼻の先に学院の正門がある。死角となる校舎の隅でミスイは立ち止まった。
おぶっていたアルマを慎重におろす。眠りが深いのか、起きる気配がまったくなかった。それだけミルファナの魔法が強く作用しているのだ。
彼女の額に手をあてカザミナの魔力を流し込む。その後みぞおちを強く圧迫した。
うめいたアルマが勢いよく跳ね起きた。困惑した瞳でミスイを見つめる。
「え、え。どこ、ここ」
「正門前。出口はそこ」
指し示すとアルマはしばらく固まっていた。
ようやく状況の理解が追い付いたらしい。自分が意識をなくしていたことも。
「私……どうして寝ちゃったんだろう」
「誰か、他の学院生の催眠魔法に巻き込まれたんだと思う。よく眠っていた」
「そっか」
どこか心あらずなアルマは、ぼんやりと外を眺めていた。
しだいに身体が震え出す。今にも泣き出しそうな、しゃくり声でつぶやいた。
「やっと帰れる」
よろけながらアルマは駆け出した。
だが、すぐに思い出したように引き返してくる。戸惑うミスイの手をとった。
「一緒にいこう?」
頬を撫でる風を感じた。
きれいな笑顔だと思った。ゆうべのエルマもこんな風に笑った。
ミスイは手を離した。
驚きの顔を浮かべたアルマが一歩詰め寄ってきた。ミスイは一歩さがった。
「なにやってるの」
アルマが腕をのばして言う。
「はやく」
「一緒にはいけない」
「なんで」
「俺のことは忘れてくれ」
わけがわからない、アルマはそう言いたげに首を振る。
それでいい。心が通じ合っているような感覚は、ミスイの中にも芽生えている。だがそれは一時的な錯覚だ。
アルマはこんな血生臭い目に遭うはずじゃなかった。ギードたちの身勝手な企みや陰謀に巻き込まれてさえなければ、こんな恐ろしい世界を一生知らないままでいられた。ミスイと関わらずに済んだ。
生きるか死ぬかの死線を潜り抜けて、今は一種の興奮状態にある。
だが時間が過ぎ去っていけば嫌でも理解する。今日がどれだけ異常な一日だったか。眠れない夜を何度も越え、心をすり減らし、二度と以前の自分に戻れない。アルマだけじゃない。この場に居合わせた魔法学院生全員がそうなる。
「けじめをつけてくる」
ユラクが造った武器のせいで、今日も誰かの家族が死んだ。世界に大きな悲しみと不安を与えたことになる。
ミスイ自身に責任がなくとも、その尻拭いはクロカミの自分がするべきだ。
もう誰も死なせないために。
アルマが突然に飛びついてきた。
背を向けようとしたミスイはその場に留まる他なかった。倒れそうになりながら彼女の身体を受け止める。
涙と土埃でくしゃくしゃになった顔が間近にある。アルマが腕を回してきた。
人肌だ。あたたかい。既視感がある。いつの頃だったか。母にこんな風に抱きしめられた記憶が蘇ってくる。
硝煙と血のにおいが充満する戦場には似つかわしくない感情がわきあがる。
衝動に身を任せたりしない。ミスイはされるがままでいた。
「また会える?」
答えられなかった。アルマの前に現れることは二度とないだろう。
ミスイは黙って出口を指差した。
アルマはためらいながら、腕の力を弱めていった。ミスイが頷いてみせると、ふっきれたような表情になった。
「ミスイ、あとで必ず……」
「まて」
ミスイは背後に目を向けた。魔力反応を感じ取ったからだ。
高そうな服を着こんだ壮年の男が現れる。髪はボサボサで汗だくになっていた。
「誰だ。アンタ」
「ジェラール公爵……」
ミスイのうしろに隠れたアルマが、信じられない様子でつぶやいた。
「知り合いか」
「ううん。この国唯一の公爵家————ヴァロン家当主のジェラール様だよ。アルムグレーンで王様の次に偉い人だよ」
「そんな奴が、どうしてこんなところにいる」
ジェラールが悲痛な顔で訴えてきた。
「襲撃者連中が交渉を持ちかけてきたのだ。それでルーカス陛下の代わりに、私に白羽の矢が立ったというわけさ」
ミスイの中で警戒心が募った。
「お前グルだろ」
「な、なにをいう」
ジェラールは目を剥いた。
「内通者を用意させるのはユラクの常套手段」
「わ、私は公爵家だぞ。そんなことあるはずもない」
「むしろ立場がある人間ほど引き込みやすい。中途半端に実力がある分、不満を煽りやすい」
「私の生家、ヴァロン家は長い年月をアルムグレーン王国に尽くしてきた。それを————」
「生徒会室で何があったか。ミルファナに全部きいてる」
ミスイは出まかせを口にした。
ジェラールは何か言いかけ、やがて沈黙した。ミスイからの疑惑を誤魔化しきれないと悟ったからだろう。目の色が変わった。
ジェラールが詠唱を唱え始めた。
ミスイは悠然とした足取りでジェラールに接近していく。緊張感の欠片もないミスイの挙動に、ジェラールは口元を歪めた。
「愚かな。死ぬがいい」
「誰が」
魔力弾がミスイの顔面に直撃した。視界がわずかにぶれる。しかしそれだけだった。痛みを感じず、もちろん負傷もしていない。
一撃必殺の魔法だったのだろう。ジェラールはうろたえていた。その顔面に掌底を放つと勢いよく体が吹き飛んだ。鼻の骨が折れたのか激痛にのたうち回っている。
追撃しようとしたとき、後方で悲鳴があがった。
ジェラールに気を取られ、アルマから目を離してしまった。
このときの判断を、ミスイは一生後悔することになった。
ギードがアルマの首筋にサバイバルナイフを突きつけている。
人質のつもりなのだろうが、ギードはまともな精神状態に見えなかった。興奮したように目が血走り呼吸も荒い。ナイフを持つ手は小刻みに震えていた。
「まさか囮に使ってくるとは思わなかった」
「そこにひざまずけ、ミスイ」
「素直に従うわけないだろ」
「お前がこの女に惚れ込んでいるのはわかってる」
「俺を誰だと思ってる。最悪の悪魔、ユラクの子だぞ。そんな脅しが通用するわけ————」
アルマが甲高い悲鳴をあげた。
ギードは何の躊躇もなく、アルマの大腿部にナイフを突き立てた。乱暴な手つきで引き抜く。絶叫に等しいアルマの声をきいた。
ミスイは舌打ちした。選択の余地などない。
その場に膝をついた直後、真後ろから衝撃に襲われる。倒れ込んだミスイは執拗に顔面と頭部を足蹴りにされた。
「このっ! 薄汚いスラムが。私に触れおって! かぶれるだろうが!」
ジェラールの容赦ない暴行はいつまでも続いた。ミスイは腫れあがったまぶたの隙間からアルマの姿を捉えた。
激痛に顔をしかめながらも肌が青ざめている。早くも衰弱し始めていた。今もとめどなく血が流れている。早く処置を施さなければ命取りになる。
「ミスイ、ミスイ……」
かすれた声でアルマが名を呼んでくる。わずかに残っていた気力が蘇りかけたとき、ジェラールの爪先が脳を揺らした。一瞬だけ何も感じなくなり、再び鈍痛が戻ってきた。
落ち着き払ったギードの声が響く。
「おい、公爵サマ。そのへんで俺と代われ。そいつをぶっ殺すのは俺だ」
アルマとナイフを公爵に押し付け、ギードが歩み寄ってくる。その手にはハンドガンが握られていた。
「殺す。殺してやる。お前さえいなけりゃ全て上手くいっていた」
ミスイは鼻で笑った。
「俺がいなくてもお前は見限られていた。今もそいつの口車に乗せられているだけ。いつも誰かの腰巾着だな」
ギードが無言で目配せした。
ジェラールが舌なめずりをする。慣れない手つきのナイフでアルマの顎下を切り裂いた。制服の胸元がおびただしい血液で汚される。
耐えがたい苦痛に襲われたはずだが、アルマはうめき声を発するに留まった。意識が朦朧としているのかと疑ったが、そうではなかった。
アルマは下唇を噛みしめ、充血した目でミスイを見つめていた。
この状況で、自分のことよりミスイを心配しているようだった。
寒気を覚えると同時、ハンドガンの銃口が額に突き付けられた。ギードは低い声で威圧してきた。
「女を助けてほしけりゃ、避けるな」
「俺を殺した後でアルマも殺すくせに」
「殺さない。まだな。人質になってもらう。他にも何人か。俺は公爵サマたちを盾にしてこの学院を出る」
「考えるまでもなく、逃げきれないってわかるだろ。お前は終わってる」
「“雪解け”からだって生き延びてみせた。今回もそうなる」
「劣勢と見るや一目散に逃げ出した奴が何言ってんだ。そういや似た光景をさっきも見たな。ああ、お前が情けなく講堂を飛び出していったときか」
ギードは烈火のごとく怒り狂い、銃身ごと殴りつけてきた。
もはや痛覚が鈍くなってきている。あまり痛みを感じなかった。
「あばよ、ミスイ。ガキのくせに大人の邪魔した罰だ。地獄に堕ちろ」
「そりゃあテメエのことだろ」
トリガーが引き絞られた。けたたましい銃声が響く。間違いなく弾丸は発射された。
だがミスイは死んでいなかった。弾の狙いが逸れたからだった。
外すような距離感ではない。引き金が引かれる直前、後方であがった叫び声に驚いたギードが銃口をずらしてしまったのだ。
振り返ったギードは言葉をなくした。ミスイも同様だった。眼前に受容しがたい光景が広がる。
「血が! わ、私の服に血がっ!」
ジェラール公爵はひっくり返った声をあげ、尻餅をついていた。
ミスイが見ていたのはそっちではない。
人形のように投げ出されたアルマの身体。その首元から鮮血があふれ出していた。まるで水たまりのように赤が広がっていく。
ミスイは全てを見ていた。なにが起きたのか、その全てを目撃してしまったミスイは茫然とつぶやいた。
「アルマ……? うそだろ。なんで」
すぐ横でギードが怒鳴り散らしていた。
「なにやってんだクソジジイ! 人質殺してどうすんだよ!?」
「ち、ちがう! こ、この小娘が、いきなり……」
ふらふらした足取りでジェラールが後ずさった。
死角となった校舎から出てしまい、ジェラールはその姿を晒してしまう。
正門を制圧した魔導士が声をあげた。
「ジェラール公爵様だ! いますぐ保護しろ。お怪我をされているぞ!」
慌ただしい足音が近づいてくる。ジェラールは背を向けて逃げ出した。ギードもその後を追いかけていってしまった。
すぐそばを魔導士たちが通り過ぎていく。その誰ひとりとして、ミスイとアルマに気付いていなかった。
ミスイはようやく我に返り、アルマを抱き起した。
傷口を両手で覆い、圧迫する。
血が止まらない。急いで回復魔法を、俺は使えない。誰かいないのか、だがこの傷の深さはもう……。
ミスイは、この世で一番頼りたくない者の名を呼んだ。
「ミルファナ! ミルファナいないのか! すぐに来てくれ!」
ここにはいない魔法使いの名前を大声で呼ぶ。きっとどこかで聞いているはずだ。しかし姿は一向に現れない。
「お前に不可能はないんだろ! だったら今ここで証明してくれ! このままじゃアルマが死ぬ! アルマを救えるのはお前だけだ!」
魔力が、命が零れ落ちていく。感じる。不可避の死が、目前に迫っている。
「ミ………スイ…………」
蚊のなくような、弱々しい声が届いてきた。
はっとして、腕に抱いたアルマに目を向けた。
彼女の瞳は曇ったガラス玉のようになっていた。よく見えていないのか、きょろきょろとミスイを探し求めている。
ミスイが手を握る。アルマは安心したように微笑むと、もう片方の手でミスイの頬に触れてきた。
「いた、い?」
「お前……」
胸が、締めつけられるように苦しい。痛いのはお前のほうだろ。
この期に及んで、どうしてミスイの身を案じてくれるのだろう。
「なんでだ。どうして自分で……」
その先は言葉にならなかった。息がからまってしまう。
アルマは、自分で喉元を掻き切ったのだ。ジェラールは何もしていない。
自殺じみた行動の理由は明らかだ。人質がいなくなれば、ミスイは反撃に転じる。自分が死ぬことが、ミスイを守る唯一の方法だと直感した。
アルマにその選択をさせたのは、ミスイの責任だ。
ミスイの油断が、アルマを追い詰めてしまった。
「いままで、ごめんね……」
「な、なにをいう」
「見て見ぬふり、してた。いつも。ミスイが嫌がらせを受けてても助けなかった。クロカミだからって、そんな理由で」
「やめろ」
「ミスイは何も悪くなくて、ただ、いっしょうけんめい……生きようとしていただけのなのに」
「やめろ。もう……やめてくれ。ちがうんだ、アルマ」
懇願するように、首を垂れる。罪悪感で潰れそうだ。
アルマが謝ることなど、一つもない。
むしろ謝罪すべきはミスイの方なのに。
「どう—————、——ってくれた————?」
アルマが何かを口にした。
よく聞こえない。ミスイは彼女の口元に耳を寄せた。
「どうしてわたしを、まもってくれたの……?」
思いもよらなったセリフに、ミスイはしばし固まった。
いいや。アルマにとっては至極当然の疑問か。ほとんど面識のない、しかもクロカミなんかが近づいてきたら。
「それは、俺が————」
胸中に生じたためらいが、ミスイの言葉を止める。
真相を語るのが、とてつもなく怖い。
アルマからの信頼を失いたくなかった。
でも、もしこれが最期の会話になってしまうとしたら……。
これが、大罪人への罰か。
「俺が、アルマの父親を殺した人間だからだ」
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