第26話

 阿鼻叫喚となった大講堂の片隅でギードはすくみ上がっていた。その手にはアサルトライフルが握られていたが、構える素振りは一切ない。


 なんだよ、これ。どうなってんだよ。


 震えてばかりの羊だった学院生たちは今や狂暴な獣へと変貌した。

 本当にそう形容したくなるほどだった。男も女も、犬歯を剥き出しにしながら涎を垂らし、人間とは思えない唸り声を上げながら特攻してくる。誰ひとり、正気を保っているようには見えなかった。

 狂喜乱舞したガキ共がそこかしこで詠唱を唱える。無数といって過言ではない量の魔法陣が生成されていく。本能的な恐怖を搔き立てられた。


 パニックを起こした武装兵が叫び声をあげながら銃を乱射した。

 そこらじゅうで血飛沫があがり、学生たちが倒れる。かと思いきや、彼らは再び立ち上がってこちらに魔法を放ってきた。銃を構えていた兵は一瞬にして塵になった。


 殺傷能力が高すぎる。こんなの、学院生が出す威力じゃない。

 強力な銃火器を以て武装した兵たちといえど、その数は五十程度。それに対して学院生たちの人数は三百とくだらない。単純な物量で圧倒され、武装兵たちの死体が山のように築かれていく。


「夢だ……。こんなのは、悪い夢だ……」


 ギードは引きつった笑みを浮かべて立ち尽くしていた。

 近くで爆風が吹き荒れる。強烈な風圧と衝撃が押し寄せ、ギードは派手に床を転がっていった。顔と身体を庇いきれず、擦り傷と痣だらけになった。負傷した左腕が疼く。


 痛みを堪えて起き上がったとき、ミスイと目が合った。

 悪寒が背筋を駆け巡る。死神のような眼差し。クロカミ・ユラクにそっくりだった。

 逃げられない。殺される。


 ギードは子供のような悲鳴をあげ、大講堂から逃げ出していった。



 ギードが逃げ出していく様を見届けたミスイが、アルマに駆け寄る。

 周囲を警戒しながら彼女に声をかけた。


「アルマ。大丈夫か。今ほどく」


 敵兵の死体から奪ったアーミーナイフで、ロープを切断していく。

 自由の身になったアルマが抱き着いてきた。しかし、すぐにミスイから身体を離してしまう。素早く着衣の乱れを直し、再びミスイに向き直った。


「……何が起こってるの?」


「この講堂にある全てのルデナイト鉱石を破壊した」


「どうやって?」


 ルデナイト鉱石は許容量以上の魔力を吸収すると発光したのち砕け散る。

 その性質を利用するため、ミスイは大講堂内部を自分の魔力で充満させた。

 危険な綱渡りだった。拘束されたミスイが他の場所に運ばれていたら、この状況は生まれなかった。


 講堂内は魔素濃度が高くなっている。ミスイがどんな策を打ったか、アルマも気付いたようだ。慌てて鼻をつまむ。


「大丈夫だ。アルマは皆のようにはならない」


 彼女は既にカザミナの魔力を摂取している。身体に耐性ができているはずだ。

 他の学院生たちは、いまや魔力暴走の状態にある。先日のハミッシュと同様だ。もがき苦しむ彼らは体内に入った異物を排除しようと、次々に魔法を顕現し乱発する。


 迷彩服たちも銃火器で対抗しているが、まるで歯が立っていない。ギードが真っ先に逃げ出したためにジナングは烏合の衆に成り下がった。全滅は時間の問題だろう。


 敵兵のひとりがミスイに銃を構えた。避ける必要はない。引き金を引かれる寸前、稲妻が煌めいた。敵兵は全身を痙攣させた。直後、爆炎に呑み込まれる。

 藍髪が戦場を縦横無尽に駆ける。リュシーだった。右腕に雷を、左腕に炎を纏っている。無詠唱に加えて二重魔法。規格外な彼女の本領発揮だ。


 一瞬だけ、リュシーとアイコンタクトを交わす。

 それだけで充分だった。この場は彼女に任せてしまおう。

 ミスイはアルマを連れて講堂の外に出た。


 灯りがない夜の学園は闇に包まれていた。

 銃火と魔法が明滅し、野太い絶叫があがる。そこかしこで戦闘が起きているのだ。

 先を急ごうとしたアルマの足が鈍りがちになる。躊躇するのは当然だった。夜目がきくミスイがアルマの手を取る。


「どこにいけば……」


「魔導士団が入り込んでいる。正門を目指そう。保護してもらえばいい」


 魔力反応と目視で障害物を避け、ミスイたちは駆け出した。

 だが、直後に身体が不調を訴えてきた。

 鉛のように重い。すぐに息があがる。うまく走れない。


「なんだか顔色悪くない?」


「たいしたことない」


 常人離れした魔力量を誇るミスイは魔力切れに陥ったことが皆無だった。ミスイ自身が魔法を発現できないため、消費のしようがない。

 ルデナイト鉱石を破壊するため、八割以上の魔力を使う羽目になった。ここまで動きが鈍るものなのか。


 見かねたアルマが気遣ってくる。


「私に寄りかかっていいからね」


「アルマが潰れる」


「そんな簡単に潰れないよ!? ……あっ!」


 何かに気付いたアルマが声をあげた。

 前方にはアルムグレーンの騎士服の男が立っていた。

 魔導士にいそうな端正な顔立ち。ついさっきも会ったばかりだ。


「ミスイ、助かったよ! 騎士様がすぐそこまで————」


 はしゃぐアルマの服を引っ張る。

 奴は味方なんかじゃない。前回同様、行く手を阻もうとしてくる敵だ。

 元王国騎士団、ザインは生気のない目を向けてきた。


「ガイルはどこにいる」


 ミスイは眉を寄せた。


「死んだに決まっている。分かり切ったこと聞くな」


「お前の邪魔さえなければ、俺があいつを殺していたはずなのに……!」


「なにを言ってる」


 ミスイの介入や手助けなどなく、ザインはガイルに手も足も出ていなかった。

 素人目でも、両者の騎士としての力量の差は歴然に思えた。


「俺は何もしてない」


「そんなはずはない! 俺が、あんな魔力ナシに負けるわけない。お前が何かしたんだ。いま学院のガキどもが暴れ回っているのもお前の仕業だろう。騎士同士の神聖な決闘に割り込むとはどういう了見だ!」


 ザインは早口に怒りをぶつけてくる。

 カザミナ族の魔力のことを見抜いているわけではなさそうだ。ガイルに敗れた事実を認められず、適当な理由でこじつけているだけだ。


「お前はガイルより弱い」


「ほざけ。剣と魔法、両方扱える俺は優秀だ」


「どっちつかずの器用貧乏」


「————」


 言ってはならない言葉を口にしてしまったようだ。

 ザインが無言で剣を抜いた。刀身は魔力を帯びている。ミスイにとっては天敵となる魔法剣だ。

 燃えるような目をしたザインが、猛然と斬りかかってくる。ミスイは間一髪のところで避けた。さらに突き攻撃が連続してきたが、左右に躱す。


 やはり体が重い。前回の戦闘では容易に回避できていたはずなのに、今ではそれが難しい。次第に躱し切れなくなった。負傷している右側の腕を斬りつけられた。激痛に襲われたが、反射的に視界を狭めたりしない。同じ墓穴は掘らない。


「これでもまだ、俺があの魔力ナシよりも劣るとほざくか!」


「ああ。ガイルの方が強かった」


「どいつもこいつも……! ガイルばっかり贔屓しやがる。あいつの何が特別なんだ。あんな魔力ナシの、なにが」


「ガイルが庇っていなかったら、お前はギードに撃ち殺されていた」


 ミスイは冷ややかに告げた。

 途端、剣筋がわずかにブレる。ザインの声は動揺で震えていた。


「で、デタラメを口にするな」


「ガイルが救った命、摘み取るのは気が引ける」


「黙れ! お前ごときに俺は倒せない!」


 ザインが大きく剣を振りかぶった。

 避ける体力はもう残っていない。一撃必殺の魔法剣が眼前に迫る。


 そのとき、ザインの足元に水属性の魔法陣が浮かび上がった。


 突如発生した水柱が、ザインの身体を空高く打ち上げる。魔法剣が宙に放り出され、ザインは回転した。満足に受け身を取れないまま、地面に叩きつけられる。


「うえっ!? やり過ぎたかな!? 生きてる!?」


 魔法を発動させた張本人は、その威力に自分で驚いていた。

 アルマの体内に残っていたカザミナの魔力が、彼女の魔法を強化したのだろう。

 伏したまま動かないザインを見やる。魔力反応は消失していない。浅いながら呼吸音もきこえる。


「死んでない。平気」


「この人、なんだったの。どうして騎士様が襲ってくるの」


「例の兜の騎士だ。こいつはジナング側の人間」


「そうだったんだ。……ミスイ、その、えっと」


 アルマが言い淀む。ミスイとザインの二人を交互に見比べていた。

 なんとなく、彼女の言わんとしていることを察する。


「ガイルは、こいつが生きてて良かったって言ってた。なら、俺はこいつを殺すべきじゃないと思う」


 アルマが安心したように胸を撫で下ろす。


「うん。良かった。私もそうしてほしいと思ったから」


 ザインはこのまま放置する。再び目を覚ます頃にはきっと、全てが終わっている。


「急ごう。移動する」


「わかってる。いまそっちに———」


 唐突に、アルマの言葉が途切れた。

 不審におもい振り返る。アルマが虚空を見つめる。まぶたが何度も閉じかけ、その度に首をしきりに振っていた。


「アルマ?」


「なんだろ。急に眠くなって……」


 襲いくる睡魔に抗い切れず、アルマは意識を手放した。

 膝から崩れかけた彼女を抱きとめる。ミスイはそこでようやく、あたりにたちこめる異臭に気付いた。微弱な魔力が込められている。


「その子、意外と魔力抵抗高いね。他の子は一秒で寝ちゃったのに」


 耳元でささやかれ、怖気が走った。

 アルマを抱えながら、即座に距離を取る。声の主は笑っていた。


「そんなに離れなくてもよくない?」


 プラチナブロンドに翡翠の瞳。白を基調とした修道服。

 ミルファナ・ルーン・フィランスだった。

 彼女が現れても驚きはない。学院にいるのは魔力反応で気付いていた。


「転移魔法が使えたのか。俺の背後に立つんじゃねえ」


「眠くならないの」


「俺にお前の魔法はきかない」


「カザミナ族、だから?」


 もったいぶった口調で、ミルファナがその単語を告げた。

 ミスイの反応を楽しむように口元が緩んでいるのが実に憎たらしい。

 舌打ちをしたミスイは背を向けた。


「まってよ。どこいくの」


「学院の外に出る」


「私がどうしてカザミナ族のことを知っているか、気にならないの」


「だいたい想像はつく」


 ミスイの素性を知るのは、リュシーとリヴデ。それからあの場に居合わせた武装兵だけだ。その内の誰かに接触したのだろう。ミルファナの魔力反応が、生徒会室付近で不自然に留まっていたタイミングで。


「カザミナ族の話がしたい」


「その誰かさんから充分に聞き出した後だろ。何を話すことがある」


「逆に教えてあげられることもあるだろうし。その人、イーデルシアの魔法使いでね。カザミナ族以外にも色々と面白いことがわかったよ。たとえば————その銃火器をどう造ったのか、とか」


 ミスイは足を止めなかった。

 悩む素振りすら見せないミスイに苛立ちが募ったらしい。ミルファナの声が刺々しくなっていく。


「ねえ。きいてるの。無視するな」


 ミスイは立ち止まった。少し気が引けるが、その場にアルマを寝かせる。

 振り返ったミスイがミルファナの胸ぐらを掴んだ。顔を近づけ、抑制していた怒りをぶちまける。


「ごちゃごちゃうるせえよ。俺は忙しいんだ。お前のくだらねえ話に付き合っている余裕なんてない。さっさと消えろ」


「お父さんが生み出した兵器でしょ。誰が、どうやって造ったのか。本当は知りたくてしょうがないくせに。それをくだらないって?」


「お前は信用ならない。いまはアルマを安全な場所に運ぶことしか頭にない」


「アルマって、その女? なによ、さっきから大事そうにしてると思ったら。こんなのが好みなワケ? 趣味わっる。魔力量も大したことないし、顔だって中の下じゃん」


「人形みたいなお前より、アルマの方が美人」


「あっそ」


 ミルファナがミスイの手を振り払う。


「じゃあ、なにをきいても興味ないと」


「ああ」


「へーえ?」


 口元を隠し、ミルファナは愉快そうに笑った。




「あなた以外にクロカミの——————」




 白い閃光にミスイの目が灼かれた。

 視界不良になると同時、突風が巻き起こる気配があった。ミスイは咄嗟にアルマに覆いかぶさった。

 直後吹き荒れた爆風により、木々がなぎ倒され、窓ガラスの破片が飛散する。


 爆心地に目を向ける。視力はすぐに戻ってきた。

 強い魔力反応を感じる。不自然なほどに綺麗にくり抜かれたクレーターの中心に人影が見えた。誰かは分かっている。褐色肌がのぞいていたからだ。


「なっ」


 だが煙が晴れたとき、ミスイは目を疑った。

 そこに立っているのは転移魔法使いのリヴデだ。だがその様相が常軌を逸する。


 リヴデは自分で体重を支えられないのか、起き上がってはすぐに倒れ込む。

 涙や鼻水などの体液でべちゃべちゃになった顔面には擦り傷だらけだ。

 ズボンのしみは糞尿が垂れ流しになったせいか。焦点を合わせるなどかなわず、眼球は忙しなく回転している。半開きになった口から舌を突き出し、唸り声をあげていた。


 そして。


 頭蓋骨がなく、脳が剥き出しになっていた。


「お前、何をしたんだ」


 変わり果てたリヴデの姿に、ミスイは唖然とする。

 ミルファナは平然と告げた。


「何って。頭をひらいて、情報を抜き出したんだけど」


「喋らせる魔法なんていくらでもあるだろ」


「そうね。でもそれだとその人の主観が入って正確性に欠けるから。だから記憶を全部抽出してみたの。おかげで人生を追体験できちゃった。つまらなかったけど」


「記憶を抽出……」


 どういう魔法なのか、ミスイには見当がつかない。

 しかし、リヴデが以前のように戻ることは永遠にないだろう。全ての記憶を奪われたなら赤子も同然。その際、脳に損傷も残ったはずだ。もう人間らしく生きることすら不可能だ。


 最大限の侮蔑をこめて、ミスイは吐き捨てた。


「お前。人の心はあるのか」


「え、なに。ひょっとして怒っているの。なんで」


「あまりに非人道的だ」


「あはっ♪ ユラクの血筋がそんなこと言うなんてね。イメージ台無し。でも、別にいいじゃない。この程度の魔法使いもどきが駄目になったって、世界からしたら大した損失じゃないもの」


「自分以外はそうだって言いたげだな」


「事実そうでしょ?」


 ミスイは視線を落とした。この女には何を言っても無駄だ。

 究極の魔法至上主義に支配されたモンスター。こんな化け物を聖女として崇める連中の気が知れない。


 アルマが眠っていてくれてよかったと、心底思う。こんな過激な思想に触れたら、彼女はきっと心を痛める。


「あれ。どこかいくの」


 立ち上がったミスイは、リヴデに向かって一直線に駆けだした。

 散乱したガラスを踏みしめ、クレーターに飛び降りる。

 接近するミスイの気配を察知し、リヴデの魔力が激しく荒ぶる。転移魔法が発動した。


 破壊された木々とガラスが空から降ってきた。

 頭上を見上げる。避けられる物量じゃない。ミスイはかまわず加速した。

 無数の破片が肌を裂く。落ちてきた大木に足を取られ転倒する。しかし即座に立ち上がりミスイは走る。


 血だらけになりながら、ようやくリヴデのもとへたどりついた。

 ミスイはリヴデの顎と後頭部を掴み、満身の力をこめて捻った。

 小枝が折れるような音がした。百八十度も首を回転させたリヴデはもうそれきり動かなくなった。


 魔力が一気に霧散する気配があった。

 ミスイはリヴデの身体を見下ろした。

 こいつには同情の余地がない。転移魔法でギードたちに協力し、学院襲撃に加担し大勢の命を奪った。万死に値する。だが、無為に尊厳を踏みにじられるべきではなかった。


 ふらふらになったミスイがクレーターを登る。さっきと同じ位置にアルマがいるのを確認し安堵の溜息をついた。

 ミルファナの姿はなかった。戻る前から分かっていたことだ。

 出来る限り関わりたくない女だが、今はひとつだけ問い質したいことがあった。


 リヴデが現れる直前、ミルファナの口から紡がれた言葉を。








 あなた以外にクロカミのカザミナ族がいるのに。

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