王国最高峰の魔法学院は何者かに占拠されました。

雨夜かおる

王立魔法魔術学院襲撃事件

第1話

 子供の泣き声がした。


 荷車を止めて耳をすませる。人の往来が激しい上に雨音に交じっていても、絶えずその嗚咽はきこえる。脇道の方からだった。


 早足になって路地裏に身体を滑りこませる。

 案の定、そこには幼い女の子がうずくまっていた。小さな体を震わせている。

 顔を見なくても、このあたりの住まいじゃないと言い切れる。中流階級か、それ以上の身なりをしていたからだ。家族とはぐれ、運悪く迷いこんでしまったのだろう。


 頭に巻いたボロ布から毛髪がはみ出していないことを入念に確認し、少女に声をかける。


「何か盗られた?」


 女の子の顔が上がる。

 一目見て、貴族かもしれないと思った。よく手入れをされたブラウンヘアーは肩口で切り揃えられ、肌は雪のように白い。家族から大事に育てられているのが窺える。


 それだけに、腫れあがった左頬が痛ましい。殴打の痕だ。


 近づこうとすると、少女は怯えたように後ずさった。

 小動物みたいなつぶらな瞳は警戒の色で満ちている。

 髪を隠したところで、人から嫌われるのは避けられないらしい。


「君に危害は加えない。教えて。取り返してくるから」


 跪いて少女に目を合わせる。

 瞬間、心中に去来するものがあった。時間を忘れ、長々とその姿を見つめてしまう。

 固まってしまった少年を前に、彼女はようやく話し出した。


「お、お金と……ペンダント」


「ペンダント?」


「お母さんの写真が入ってた」


 また大粒の涙が落ちる。それでも泣き喚いたりしない。再び俯いた少女はか細い声で「お母さん……」と呟いた。

 お金よりも、写真をなくしてしまったことの方が少女には堪えるようだ。


 少年は鞄の中を漁って薬草を取り出した。


「使って。フィランス家でもらってきた。痛むところにあてると治りが早い——らしい」


 効果を保証できず曖昧な言い方をしたが、差し出された薬草を一瞥した少女は躊躇うことなくそれを受け取った。どうしてか、今度は不用心だ。

 患部に触れた薬草はたちまちに効果を発揮し、少女のつらそうな表情が和らいだ。


「名前は?」


「エルマ。……エルマ・ラトヴィア」


「ラトヴィアって、あの?」


 驚いた反応を見せると、エルマが頷いた。


 貴族社会に詳しくない少年ですら知っている家名だ。

 身分の低い者へ横柄な態度を取る貴族がほとんどのなか、庶民とも分け隔てなく接する変わり者の貴族婦人がいたという話は有名だ。


 しかしラトヴィア家の領地はここから遠く離れた場所にある。偶然迷い込むような距離ではない。


「エルマはどうしてこんなところにいるの。家族と一緒だった?」


「————」


 エルマは視線を逸らし、何も応えない。

 じっと待ち続けても結果は変わらなかった。こちらの追及を拒絶している。意固地な態度は彼女なりの小さな抵抗だった。


「どういう事情かわからないけれど————」


 話したくなければ無理に聞き出す必要はない。

 それでも忠告せずにはいられなかった。


「ここはスラムの連中が狩りをするエリア。痛い思いをしたくなかったら二度と近づかないで」


 お世辞にも治安が良いとは言えない。うっかり迷い込めば身包みを剥がされ、暴力を振るわれ、最悪殺されるまで弄ばれることもある。

 エルマが無事だったのは、単に運が良かっただけだ。


「そっちの裏路地。きたないけど、まっすぐに歩いていけば中央街まで戻れる。そこまで行けば衛兵が保護してくれるはず」


 少年はその場を立ち去ろうとした。

 その背中にエルマが声をかけてくる。


「おにいさんのお名前は?」


 エルマにそう問われ、少年は答えに窮した。

 やがて、口について出た言葉はこうだった。


「クロカミって呼んでくれ」



 店の中に入り込むまでもなく、騒がしいほどの笑い声が漏れ聞こえている。

 クロカミの目の前には、スラムの連中がしょっちゅう利用するサルーンがあった。

 元々は真っ当な人間が経営していた食堂だったようだが、偶然よくない事件が頻発して閉店を余儀なくされたらしい。


 クロカミは意を決して中へ踏み込んだ。

 途端、充満する酒臭さに顔をしかめることになった。

 店内は薄暗く埃っぽい。掃除をするなんて発想はスラムにない。屋根のない場所で寝ることが多いクロカミだったが、そっちの方がいくらかマシに思えた。


「ちょっとした臨時収入があったんだよ。ツイてたぜ」

「マジか。じゃあ今日はお前が奢れよ」

「馬鹿言うんじゃねえよ。ガキの持ち物だ。そう多くねえ」


 ひっかかる会話が聞こえてきた。

 声の主を探してあたりを見回したところで、皆ようやくクロカミの存在に気付き出したらしい。ずぶ濡れの闖入者を奇異の目で眺めている。


 一人の男がクロカミに歩み寄ってきた。汚らしい容貌だがバーテンダーに見えなくもない。一応、店としての体裁はあるようだ。


「ガキに出す酒はねえ。金払えるようになってから出直してこい」


 周囲でひかえめな笑いが起きた。


「人を探してる」


「ここにパパとママは来てねえぞ。迷子案内所じゃないからな」


 近くの男たちが大声で笑い転げた。

招かれざる客人の自分に遠慮のない嘲笑がぶつけられる。しかし、悠長に過ごすつもりはない。


 クロカミが乱暴な手つきで頭巾を外した瞬間、男たちは驚愕に言葉を失った。


 人目に晒された頭髪は、黒く禍々しい。この世界で生まれてくる者は黒髪を有しない。だから、これを目の当たりにした者たちの反応はいつも同じだ。


 椅子から転げ落ちながら壁際に向かう者、ジョッキを片手に持ったまま動けない者。恥も外聞も捨てて泣き叫ぶ者。

 反応は様々だが、ならず者やゴロツキからでさえ怖がられる。それがクロカミの日常だった。


 バーテンダー崩れは腰を抜かしながら喚いた。


「てめえクロカミだろ! なんだ!? 何が目的だ!? 俺たちを殺しにきたのか!?」


「金目の物を全ておいていけ」


 一瞬だけ静寂が降りた。

 刹那、男たちは自分の身体をまさぐって金品を全て地面に落としていく。小銭や装飾品にいたるまで、本当に何もかもを。

 そのまま服まで脱ぎだそうとしたため、手で制する。


 捨てられたものの中で一つだけ目に留まるものがあった。

 他と比べ物にならないくらい、上等な布で作られた巾着。中を確かめると数枚の硬貨が入っているだけだった。あの年代の子供が持ち歩くには妥当な額だ。


「これ。持ってたの誰だ」


 巾着を掲げ、響く声で問いかける。

 数々の視線が交錯する。だがその中で不自然に顔を俯かせている男を見つけた。

 首にはネックレスのようなものが光る。


「二度は聞かない。誰だ。名乗り出ないなら全員殺す」


 青褪めた顔の男が一人、クロカミの前に躍り出た。複数の足蹴りを真後ろから喰らい、自らの意思とは関係なく姿を晒すことになった。


「こいつ! こいつです! さっき臨時収入があったとか言って……」


「て、てめえ。ふざけんじゃねえぞ。俺を見殺しにする気か!?」


 小競り合いを無視してクロカミが近づくと、それだけで再び沈黙が場を支配する。クロカミの機嫌一つで、自分たちの命が脅かされると分かっているからだ。


「そのペンダントも渡せ」


 男は震えた手つきでペンダントを差し出してきた。

 宝石かガラスか、クロカミには判断がつかない装飾品がついている。開いてみると確かに写真が入っていた。


 幸せそうにエルマが笑っている。本来はこういう笑顔を浮かべる子なのだろう。他にも二人、エルマによく似た女性が並んでいた。母と姉だろうか。

 しばし、クロカミはその写真に見入っていた。やがて、懐にペンダントを仕舞い込む。


 ともかく回収は済んだ。あとはこれをエルマに届けるだけ。

 踵を返し、出口へ向かおうとしたところでクロカミはふと思い直した。

 足早に引き返す。


 いまだに跪いたままの男は、再び恐怖に取りつかれたように顔を強張らせた。


「ま、まだなにか……?」


「忘れていた」


 腕を振りかぶったクロカミは、呆けていた男の頬に右拳を叩き込んだ。

 男は薄汚れた床を転がっていき、勢い余って壁に激突していった。意識を失ったのか、起き上がってくる気配はない。


 息をのむスラム連中を尻目に、今度こそクロカミは酒場をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る