We Are NOT Alone!
倉田日高
We Are NOT Alone!
「ドジったな」
この数時間で何度思い浮かべたか分からない言葉を、私は無意識に口に出した。星系共通語の代わりに、久しぶりに使う日本語だ。こんな一地方語は誰にも通じないが、どのみち私の声を聞く人間が周りにいないことも分かっていた。何しろここは太陽系のフロンティア、海王星航路からすら外れた宇宙の果てだ。いや、当然太陽系の外には無限が広がっているけれど、ここが人類に手が届く領域の端だというのは間違いない。あるいはもうそこから踏み出して、生身の人類としては初の到達点にいるのかも。
ひどく残念なことに、目の前には見飽きた星空が広がっているだけだった。どこの星の軌道上からでも見えるような、ありふれた天の川。宇宙服に付随するスラスターの燃料が尽きたのが二時間ほど前で、もうずっと同じ景色を眺め続けている。
せめて太陽や適当な惑星が視界に入っていれば、そこに住む人間に思いを馳せたりもできただろう。それすらなく、無人の彼方からの光だけが私の目に入ってくる。
ここは孤独で冷たい場所だ。宇宙服の中は快適な温度と酸素に満たされているけれど。その酸素が尽きるのも時間の問題で、このペースなら、と残された時間を計算しかけてかぶりを振る。視界の隅のインジケータから目を逸らして、代わり映えのない星々を眺める。降り注ぐ冷たい光は、孤独をいや増させるだけだった。
デブリに弾き飛ばされて船から離れてしまったのは、私のミスでもあったし、不幸な奇跡の積み重ねでもあった。防御構造の故障、予備電源の不調、修理班の体調不良、命綱の確認不足。原因をあげつらうのは簡単で、ここに至っては全く意味のないことだ。
今時ただの航空で死人が出るとは。船が無事に基地まで辿り着ければ、この事故は安全マニュアルにも記載されるんだろうな、とふと思う。後世に語り継がれる伝説的な人物になれたということだ。本当は海王星軌道の開拓メンバーとして名を残すつもりだったけれど。
私が幼い頃は、小惑星帯の開発事業が真っ盛りだった。両親ともに最前線で働いていて、私は地球の親戚の家に預けられて空を見上げながら育った。自分もいつか宇宙開拓に携わるのだと。
「せめて向こうについてから死にたかったな」
そう呟く。無線の向こうからは何も返ってこない。当然だ、宇宙服に搭載されているのは近距離用の通信機で、この何もない空間を漂っているのは私一人。他の船がこの航路を通る予定は当分ないはずだった。
「暇だ」
事故で意識を失っていたのが数十分、目覚めて体勢を安定させるまでに数分、状況を理解して泣き喚いたのは小一時間だろう。それからひたすら遊泳している。延々と物思いに耽って、おそらくは同じ考えを何度も繰り返している。それ以外にできることは何もないからだ。
あと何分だろう。今は自分の死を意識してもそこまで恐ろしくないが、あくまで疲れと諦めから来る一時的な小康状態だというのは分かっていた。
目の端に映り続けていたインジケータに焦点を合わせる。いつの間にか、酸素のマークが赤く染まっていた。
凪めいていた精神がさざめく。タイムリミットが迫っている。それを自覚したところで何もできないけれど。
どうせ酸素が尽きるなら、早く尽きてしまえ。
そう内心で吐き捨てた直後、微かな音が耳に入った。
インカムから漏れるノイズ。宇宙でこうした雑音を拾うことは珍しくないが、その音は妙に耳についた。高音と低音が交互に繰り返される、明らかに規則的なもの。
「……もしもし」
私は思わず、無線の向こうへ呼びかけていた。日本語を使っていたことに気付き、すぐに星系共通語へ切り替える。
「誰か聞こえているのか」
『……ア』
ややあって、明確な声らしきものが耳に届いた。
『ダレカ?』
「もしもし?」
『モシモ』
奇妙にしゃがれた声の鸚鵡返し。返ってくるまでの間隔からすれば、相当の距離だ。通信が成立しているのは、向こうの受信機の性能によるものか、もしくは何かの奇跡か。
「……聞こえてるのか?」
『ア、ヌェ』
聞き取れたのはそこまでで、その後は到底人が発音できないような音が並んだ。
「……誰だ」
『ダ……?』
明らかに星系共通語を理解していない様子。
電波の向こう側にいるのは、人ではないもののようだった。
不思議と恐怖はなかった。その声に、困惑めいた気配を感じたからかも知れない。
現在に至るまで、太陽系外生命体の存在は確認されていない。人類が接触できる範囲内に、発達した文明を持つ種族はいないというのが定説だった。これはきっと、ホモ・サピエンスと他の知的種族の、初めての接触だ。
思わず皮肉な笑いを漏らしてしまう。
「何も、今じゃなくてもなあ」
今でなくとも。あるいは私でなくとも。向こうも、どうせなら迷い人ではなく政府首脳と話したかっただろう。
異星人と会話した初の人類。その栄冠は、誰にも知られることなくここで朽ち果てることになるのだ。
『ウェ?』
当惑した返答。相手はそれ以上何をするでもないようだった。
「……そっちは、上司に代わったりしなくていいのか」
通じないことは分かっているが、そう声を掛けてみる。しばらくして、理解できない歯軋りじみた音が返ってきた。どことなく残念がっているようにも聞こえた。声質からすれば――そういう概念が他種族にも通じれば、の話だが、無線の向こうにいるのは一人だけのように思える。
もしかすると向こうも遭難しているのかも知れない。銀河を駆けるワープの途中で振り落とされて、たまたま太陽系の端に引っかかったのだとすれば、この出会いは奇跡だ。
「君たちはどんな種族なんだ。私たちみたいに酸素で呼吸してるのか。指に当たる器官は何本ある?」
どうせ何を言っても理解されないのなら、と質問を重ねる。適当に言葉を連ねるうちに、次第に好奇心が生まれてきた。本来それが当然だろうけれど、疲労した頭ではその程度の感情すらまともに扱えていないようだった。
相手も同じように、得体の知れない言葉を吐き出している。同じことをしているのだろう、と直感する。
好奇心を今更取り戻したところで、この疑問が解消されることはなく、私はただ死んでいくだけだ。それを思えば、この出会いはむしろ不幸かも知れない。
「……どう思う? 私たちは出会わない方が良かったのか」
ザザ、とノイズが混じり、声が遠のく感触があった。
『アー……』
位置関係が変わったのか太陽風の影響か。なんにせよ、この奇跡の効果はもう切れるらしい。
インジケータの毒々しい赤色に目をやる。末期の声を無意味に聞かせないだけマシだろう。
「ありがとう」
そうインカムに告げる。シュルシュルと息が漏れるような――囁き声のような音を最後に、宇宙服の中は静寂で満たされた。
私はまた孤独になった。先ほどまでと違うのは、諦念の代わりに、抱えきれないほどの疑問が脳を痺れさせていることだ。
どこかヘビに似た、あの奇妙な声が出るのはどんな体構造だろう。声の主は本当に一人で漂っていたのだろうか。あの不思議な言語で私に何を尋ねていたのだろうか。声の主にとって、私は良い隣人だっただろうか――
We Are NOT Alone! 倉田日高 @kachi_kudahara
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