悪女な義母の嫁イビリ宣言

ブリル・バーナード

第1話 義両親の来訪と嫁イビリ宣言



 辺境伯アレクサンドル・ヴァロアの妻ルイーズは、3か月ほど前に双子を出産したばかりだ。

 ルネとミシェルと名付けられた可愛い可愛い息子と娘。待望の子供たちは目に入れても痛くないほど愛らしい。いや、むしろ目の中に入れたいくらいだ。


 ルイーズにとっては初めての出産。数時間おきに母乳を飲ませて、げっぷをさせて、おしめを替えて、泣き喚く赤子をあやして眠らせる。夜泣きも酷いし、寝ている間に体調が悪くなっていないか心配で、この3か月間、満足に睡眠もできていない状態だ。


 赤ちゃんが一人でも大変だというのに、彼女の場合は双子である。苦労度や疲労度は単純に2倍ではない。3倍でも足りない。遥かにそれ以上なのだ。


「あぁーよしよし。ミシェル、良い子ね」

「オギャー! オギャー!」

「良い子だからおねんねしましょう? ね?」


 首が座った我が子を抱っこであやすルイーズだったが、一人が泣き始めればもう一人も泣き始める。元気のいい二重奏デュエット


 出産前はできるだけ一人で子育てをすると義両親に宣言したルイーズも、想像以上の大変さを実感して、さすがに侍女たちに助けを求めていた。


 侍女たちの助けを受けても、ルイーズの心身は限界に近い。

 寝不足と疲労によるものなのか食欲も失せて、その影響で最近では母乳の出が悪い。


 夫は貴族の当主として領地経営に忙しい。朝早くに仕事に出かけ、夜遅くに帰ってくる。顔を合わせない日もあるくらいだ。

 彼は彼でとても忙しい。だから夫の代わりに子育てを頑張らねば、という一心でルイーズは育児に専念する。


「や、やっと眠ってくれた……!」


 泣き疲れて子供たちが眠ったのは、30分以上経過した時だった。

 今日はまだ早いほう。いつもならもっと眠ってくれない。


「正直、育児をなめていたわ……」

「奥様、少しお休みになられてください」

「……そうします。この子たちをお願いね」

「はい」


 この場は侍女たちに任せて、簡易ベッドで横になろうとしたその時、別の侍女が慌てた様子でやって来た。


「奥様!」

「どうしたの?」

「実は――」


 深刻そうな侍女の表情にルイーズは猛烈な嫌な予感がする。そして、その予感は正しかった。


「今、大旦那様と大奥様がいらっしゃいました」

「お義父様とお義母様がっ!? 前触れは?」

「いいえ、なにも」


 王都に住んでいるはずの義理の父と母の突然の来訪。つかの間の休息が完全にぶち壊された瞬間であった。

 義父は前辺境伯の当主だし、義母は元公爵令嬢でもある。それに対して自分は嫁いできた嫁。しかも辺境伯家には身分がつり合わない男爵家の生まれ。

 義父と義母の来訪には必ず出迎えなければならないのだ。


「今すぐお出迎えを!」


 慌てて玄関ホールへ早足に向かおうとして、ルイーズは自分の容姿を思い出す。

 動きやすくて汚れてもいいダサい室内着。手入れされていないボサボサの髪の毛は軽く一つにまとめているだけで、顔はスッピンである。

 辺境伯の妻どころか貴族にあるまじき姿だ。


「い、急いでドレスを持ってきて! アクセサリーも! あなたはメイク道具をお願い! 誰か櫛を持ってない!? 髪だけでも先に綺麗にするから!」


 矢継ぎ早に指示を出して、嵐のような怒涛のメイクアップが始まる。

 傷んだ髪の毛はオイルで誤魔化し、目の下の隈は厚化粧で隠す。汗の匂いは香水を振りかけて何とかする。


 人生で一番早く着飾ったルイーズだったが、玄関での出迎えは失敗に終わっていた。侍女たちの報告では、もう既に義両親は屋敷内に通されたという。


 久しぶりに履いたヒールで廊下を行儀悪く疾走し、義父母が通された客間に到着。

 呼吸を整え、焦りを隠し、最後に顔に笑顔を貼り付けてから彼女は扉を押し開けた。




「――あらあら。可愛い可愛いお嫁さんのご登場ね。別に挨拶に来なくてもよかったのに」




 開口一番、高飛車な声音で義母イビリーナが嫌味たらしく告げる。

 つり上がった目。引き結ばれた唇。人を見下す高圧的な眼差し。年齢を感じさせない威厳と美しさを持つ女性だ。逆らう気すら起きない圧倒的なカリスマに、ルイーズは気圧されてしまう。


 それもそのはず。彼女は最高位の貴族である公爵家に生まれ、しかも当時の皇太子妃、のちの皇后とさえ言われていた女傑なのだ。しかし、彼女の口や性格の悪さ、そして気に入らない令嬢を陰湿にイジメたという事実が皇太子の怒りを買い、罰として国境沿いの領地を治めるこのヴァロア辺境伯家に嫁がされたのだという。


 伝説の悪女イビリーナ。貴族社会ではとても有名な話である。

 心が弱っていたルイーズは、義母の一言で挫けそうになるものの、何とか声を絞り出して頭を下げる。


「お義父様、お義母様。お久しぶりでございます。お出迎えできず申し訳ございませんでした」

「気にしないで、ルイーズさん。突然ボクたちが押しかけて来たのが悪いから。忙しいときにごめんね」


 のんびりとした口調で謝るのは、白髪混じりの温和な男性だ。義父アーサーである。前辺境伯とは思えないほど優しい人物だ。

 ルイーズがイビリーナの言葉に耐えられるのも、彼が優しく助けてくれるからなのだ。


「本日はどのようなご用件でしょうか? アレクサンドル様はまだお帰りになられていませんが」

「あらあら。他人行儀なんて酷いお嫁さんねぇ。まるでわたくしたちのことは家族ではないと思っているような言葉じゃない」

「も、申し訳ございません! そんなつもりでは――」

「ふん……どうだか」


 不機嫌そうに鼻を鳴らしたイビリーナをアーサーが優しくなだめる。


「まあまあ、イビリーナさん。ルイーズさんもボクたちのことを家族だと思っているから落ち込まないで。突然ボクたちがやって来たから驚いてるだけだよ」

「落ち込んでなどいませんわっ!」

「ルイーズさん」

「は、はい! なんでございましょうか、お義父様」

「今日やって来た理由はね、ボクの可愛い可愛いイビリーナが――」

「アーサー! あなたは黙っててくださいまし!」


 夫の言葉をキツイ口調で一喝したイビリーナ。

 アーサーは慣れているのか『ごめんよ』とニコニコ笑顔を浮かべているだけだ。


 どことなく漂う義両親の甘い雰囲気にルイーズはいつも不思議に思う。二人は政略結婚。義父はあの悪女イビリーナを押し付けられたような形である。プライドが高く、言動もキツイ彼女と義父アーサーはよく長年夫婦生活をやっていけるなと感心するばかりだ。


 一喝の余波を浴びてビクつくルイーズに向けて、イビリーナはニヤリと唇を吊り上げて悪女っぽく微笑む。そして、手に持ったアンティーク調の扇子を大きく広げたかと思うと、優雅に口元を覆い隠した。


 その仕草と笑みが似合っていること。まさに悪女という言葉がふさわしい。


「今日、わざわざ領地まで赴いた理由は――」


 嗜虐的な愉悦に瞳を輝かせるイビリーナは、震える嫁のルイーズを見下しながら横柄に言い放つ。


「実はわたくし、嫁イビリに来たの。せいぜい覚悟しておくことね、ルイーズ」




<次回『第2話 嫁イビリ』>

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