第32話 わたし、見ちゃったんです……

 凛々葉りりはちゃんはお弁当に目を落すと、ゆっくり口を開けた。


「今まで告白してきた人たちって、みんな決まって“わたし”というより、“わたしの体”ばっかり見ていました……」


 思春期真っただ中の男子の頭は、女の子のことでいっぱいだ。……全員とは言わないけど。


 ……俺と付き合う前だから、中学時代のことだよな。

 

 中学生の凛々葉ちゃんか。それはもう、可愛かったんだろうな……。


「せんぱい……」


 顔を上げると凛々葉ちゃんは真剣な顔でこっちを見た。


「わたしは、話すときに体ばかり見てくる人と付き合う気はなりません」

「っ!! 凛々葉ちゃん……」

「……でも、せんぱいは違いました」

「え? お、俺?」


 なにが違うんだ?


「せんぱいだけは、私の目を見て告白してくれました。それが、とても嬉しかったんです……っ」

 

 嬉しかった……。


 その言葉に込められた想いは、俺が思っているよりもずっと大きいはずだ。


 俺自身、そんなことを言ってもらえるなんて思っていなかったから、後ろに隠した手がプルプル震えている。


(嬉しいのはこっちだよ……っ)


 無性にギュッと抱きしめたい衝動に駆られるが、そこはなんとか堪えた。


「自慢するための道具ではなくて、わたしを対等に見てくれる……。そんな人と、わたしは一緒にいたい……っ」


 そう言って、凛々葉ちゃんは俺の手の甲に優しく手を置いた。


 彼女の過去を知っているだけに、温かみのあるこの小さな手がとても愛おしく思った。


「………………」

「? 俺の顔になにか付いてる?」

「いえ……。やっぱり、せんぱいは凄いなって……」

「え?」

「わたし、せんぱいみたいに人に優しくしたりなんてできません……。せんぱいと違って、どうしても頭で計算してしまいますから」

「計算? 相手が喜ぶならこうしよう。みたいなことを無意識に考えちゃうってこと?」

「……はい。でも、それが時々、裏目に出たりするときがあるんですけどね……」

「そっか……。難しいね……」


 なんだか、中学のときの俺に似ている……。


 つぐみに振り向いてもらおうと、試行錯誤を繰り返していた、あの頃の自分に……。


 でも、別に計算高いタイプじゃなかったから、すぐに答えを出すことはできなかった。


 凛々葉ちゃんとの違いはそこだな……。


「あっ、一つ聞いてもいいかな?」

「いいですよ」

「……さっき、『自分を対等に見てくれる人』って言っていたけど。凛々葉ちゃんは……相手のことを対等に見ているの?」


 ………………。


「どういう意味ですか?」

「えっと……。今の話を聞いていると、凛々葉ちゃんが下の方から言っている話ばかりだったから……」

「下から……言っている? わたしが?」

「なんというか、無意識のうちに相手を立てているというか」


 無意識……。


 ――今までの自分を振り返ると、確かに、『対等』に接してくれることを望んでおきながら、どこか自分を下に見ている節があった……。


「…………」

「俺が言うのもなんだけど。そこまで相手に尽くす必要はないと思う。俺は凛々葉ちゃんを対等な存在だと思っているから」

「……っ!! わたし……せんぱいを、心のどこかで試していました」

「俺を?」

「……はい」


 凛々葉ちゃんはコクリと頷くと「ふっ」と微笑んだ。


「でも、その必要はなかったみたいですね……っ」


 なにかを呟くと、彼女は軽くもたれかかってきて…――




「せんぱいっ。わたし……キス、がしたいです……っ♡」




「へっ――」


 ――チュッ♡


「……っ!?」

「ッ……チュッ……♥」


 突然の感触が一瞬にして脳内を駆け巡り……


(凛々葉ちゃんの唇って、どうしてこんなににも柔らかいんだろう……)


 この柔らかさは言葉で表せそうにもない。


「…――んんっ♥」


 はあぁぁぁ……いつまでもこうしていたい……っ。


 唇と唇が触れては離れる。


 舌を絡ませる大人なキスではないけど。


 お互いに夢中になって口づけを交わした――。




「っ……はぁっ♡ はぁ……はぁ……えへへっ、せんぱい……っ♥」




 そして、ゆっくりと唇を離すと凛々葉ちゃんが言った。


「これが、答えです……っ♡」


 火照った頬と潤んだ瞳の前では、ここが学校の屋上だということを忘れてしまう。


「わたし……先輩と初めてキスするまで、誰ともしたことがないんです。キスだけは……本当に自分が好きになった人にしかしたくありませんから……っ」

「そう……なんだ……」


 ポロリと涙が出そうなくらい、嬉しいんだけど……っ。


 一人だけになったら泣くかも。


「だから、せんぱい……っ。わたしのファーストキスを奪った責任、取ってくださいねっ♡」




「は……はーい……って、責任……!?」

「あっ。ちなみに、わたしはリードしてもらう方が……好きだったりします……っ♥」

「!!? しょ、精進します……」

「ふふっ。楽しみにしています♪」


 ファーストキス、か。なんていい響きなのだろう~……。


 そのとき、彼女の髪からフワッと爽やかな香りがした。


 そういえば、さっきキスしていたときもいい香りがしていたんだよなー。


 ということは、柑橘系のシャンプーを愛用しているのかな?


「教えましょうか? わたしが普段使っているシャンプー♡」

「――ッ!!? もしかして、口に出てた?」

「口ではなくて顔に出ていましたよ♪」

「…………っ」


 恥ずかしい……。


「ふふっ。どうします? 知りたいですか?」

「お、お願いします……」


 隙があり過ぎるのかな……俺……っ。




 それからというと、お互いに身を寄せ合ってぼーっと空を見つめていた。


 隣にいるだけでこの安心感。


 改めて思う。――――告白して、よかったぁぁぁ……。


 こんなにも幸せな気分だというのに、空模様は来たときと変わらず、どんよりとしている。


「……いつか、天気のいい日に来られるようになったらいいな……」

「せんぱい……っ。そうですね……」


 そう言って空を見上げる彼女の横顔を、いつまでも見ていたい。


 すると、見られていることに気づいたのか、


「次は、わたしの番ですね」

「え、なにが?」

「わたしの、ヒ・ミ・ツ♡」

「あ。そういえば、そうだっけ……って」


 あれ? 実は、俺とのキスがファーストキスだった。


 これがヒミツなんじゃないのか?


「ファーストキスのことについては、いつか話そうと思っていたので」

「!?」


 また顔に出ていたのか、俺……っ!?


「さっきせんぱいに言ったこと、実はちょっぴり間違っているんです……」

「間違っている? それってどういう…」


 俯かせたその横顔から、今の心情をうかがうことはできない。


「…………」


 俺はなにも言えず、彼女が話し出すのを待った。


 そして…――




「わたしも……せんぱいに謝らなければいけないことがあります……」




「凛々葉ちゃんが、俺に?」

「いつか言おうと思っていたんですけど。どうせ言うのなら今かと……」


 そう言って、凛々葉ちゃんは体をこっちに向けた。


 急になんだ……?


 言葉にできない緊張感が漂っている中、彼女は低いトーンの声で言った。


「わたし……」


 ……ゴクリ。




「せんぱいがあの子と付き合っていたことを………………知っていたんです」




「…………へっ?」


 なにを言っているんだ? 今、なにを知っているって言った?


『あの子と付き合っていたこと』


 あの子……あの子……って、


「……もしかして、つぐみのこと?」

「……はい」

「? でもそれなら、凛々葉ちゃんの家で…――」

「いいえ。わたしが言っているのは、そのときよりも前……。せんぱいが、わたしに告白するよりも前です」

「えっ……?」


 どういうことだ?


 凛々葉ちゃんは、前から俺のことを知っていたのか?


 でも、いつ、どこで?


 次々と疑問符が頭に浮かぶ。


「ど、どういうことなのか、詳しく――」




「わたし、見ちゃったんです……」




 尋ねようとする俺の声を、彼女の声が遮った。


「見た? ……なにを?」

「…………」

「凛々葉ちゃん?」

「そ、それは…――」


 キーンコーンカーンコーン。


 鳴り響くチャイムが、昼休みの終わりを告げた。


 タイミングが悪いというか、空気が読めないというか。


「この話の続きは、放課後にしましょう」

「え。でも……」

「じゃあ、せんぱい。お先に失礼します」


 と言い残して、彼女はまるで逃げるように屋上を去っていった。


 ………………。


 俺はその後ろ姿を見送ると、自ずと背もたれにもたれかかった。


(なんだろう……? 凛々葉ちゃんが見たものって……)


 その後。


 深まる謎を頭に浮かべながらベンチから立つと、俺は屋上を後にした。

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