第25話 先輩らしいです。そういうところ……っ
洋服店を出て歩いていると、
「先輩……」
「? どうしたんだ、つぐみ?」
「……トイレに行ってもいいですか」
「トイレ? あ、いいぞ」
もしかして、言わないまま我慢していたのか?
確か、さっきの店で服の会計をしていたとき、ちょっぴりソワソワしていたような。
「先輩?」
「!! え、えぇーっと、トイレはどこかな~……」
わざとらしく周りを見渡すと、通路を少し進んだ先にトイレのマークがあった。
「あっ。あそこにあるぞっ!」
「すみません。ちょっと行ってきます」
「お、おぅ……っ!」
……どうしてだろう。『トイレ』という言葉を聞いた瞬間、急に行きたくなってきたぞ。
そういえば、こっちに来る前に行っていなかったんだ……。
「じゃあ、俺も…――」
「行ってらっしゃ〜いっ。ゆっくりしてきていいからね〜っ」
……凛々葉ちゃん?
「……すぐに戻ってきます」
「う、うん……っ」
どうしてそんなに前のめりなんだ?
「えっと……俺も行きたいんだけど……」
大変、言いづらいことなんだけど……
すると、凛々葉ちゃんが徐に手首を掴んできた。
「今がチャンスです……っ」
「? チャンス?」
凛々葉ちゃんはコクリと頷くと、手首を掴んだまま歩き出した。
それによって、
(あ……)
トレイからどんどん遠ざかってしまった……。
グッバイ……トイレ……。
「せんぱい、急いでください」
「ここでつぐみを待たなくていいの?」
「……下の名前で……呼ぶんですね」
「えっ?」
振り向かないまま言ったときの声が、どこか寂しそうに感じた。
(凛々葉ちゃんのことも、下の名前で呼んでいるけど……)
それから無言のまま進んでいると、連れて来られたのは……
「ランジェリー……ショップ……?」
「ふふっ♡」
店の中に連れて込まれると、凛々葉ちゃんは奥に進みながら途中にあった下着一式をバァッと手に取った。
そして、立ち止まった先にあったのは、
(フィッティングルーム……)
左右三つずつ個室が分かれていて、その内、奥の二つが試着中だった。
「せんぱい、ジロジロ見すぎです」
「!! ごっ、ごめん……っ」
「そ、そういう素直なところが……」
「え?」
「な……なんでもありませんっ!」
「?」
……フィッティングルームということは、さっきみたいに服を試着するってことだよな……。
と心の中で呟いていると、一番手前の右の個室の前で止まった。
「俺がここにいるのはまずいんじゃ……」
「大丈夫ですよっ」
どこからその自信が出てくるのだろう……。
「だって……。せんぱいは、わたしの『彼氏』なんですからっ」
「それはそうだけど……」
チラッと横に顔を向けると、こっちにジッとした視線を向けていた店員の女性が去っていった。
凛々葉ちゃんが『彼氏』の部分を強調して言ってくれたおかげかもしれない。
すみません……すぐに出て行きますから……。
「………………」
このとき、立ち去った女性店員はというと、
『こっ、
こちらを“笑顔”で睨みつけていた少女に震え上がっていたのだった。
「じゃあ。わたしはこれを着てみますから、ちょっと待っていてくださいっ。あっ、着替えているところは……見ちゃダメですよっ♥」
凛々葉ちゃんは靴を脱いで個室に入ると、カーテンを閉めた。
「わ、わかってるよ! ……って」
彼女が中に入ったことで、個室の前で一人ぼっちになってしまった。
「…………っ」
気まずいにも程がある……。ただでさえ、場違い感が否めないというのに……。
スル……スル……。
中から聴こえてくる衣擦れの音に、無意識に反応いてしまう。
これは、なんのプレイなんだ……!?
「せんぱーいっ、いますかー?」
「い、いるよ……っ!?」
「ふふっ。待っていてくださいね~っ♡」
急に声が聞こえてビクッと反応してしまった。
それから待っていると、
「せ、せんぱい……っ」
「ん? どうしたの?」
耳を傾けないと聞き逃してしまいそうな声だった。
すると突然、カーテンの隙間からブラのついたハンガーが出てきた。……出てきた!?
「…………」
恐る恐るそれを受け取ると、
「せんぱい、これと同じデザインでワンサイズ大きいものを……持ってきてくれませんか?」
「え……えぇっ!?」
「どうやら、わたしの想像を……超えていたみたいで……っ」
「なんだって……」
やはり、この短期間で成長を……。
「……あ。も、持ってくるから、ちょっと待ってて……っ」
「はい……っ」
一旦離れてフィッティングルームの出口に向かっていると、ふと手元に目を向けた。
さっきまで……これを凛々葉ちゃんが……って、なにを考えているんだッ!!
それから急いでハンガーを同じサイズの棚に戻すと、ワンサイズ“大きい”ブラのついたハンガーを手に取り、素早く彼女の元に戻ってきた。
ここまでにかかった時間、十秒ジャスト。
なかなかいいタイムなのではないだろうか。
「せんぱい……?」
「あ、持ってきたよ……っ」
カーテンの隙間から伸びた手にハンガーを渡した。
「ありがとうございますっ♡ すぐ着替えますからねっ」
「…………っ」
ドキッ……ドキッ……。
落ち着けぇ……。落ち着くんだ、俺ぇえええーっ!!!
衣擦れの音が耳に入りながら待っていると、
「着替えましたよ♪」
キタァァァアアアアアアアーーーーーッッッ!!!!!
おっと。焦らされ過ぎて、つい雄叫びを上げてしまった。
「ふふっ。じゃあ開けますねー」
と言ったと同時にカーテンが開けられ、下着姿の凛々葉ちゃんが……って、あれ?
凛々葉ちゃんが着ていたのは、下着ではなく、着替える前の私服だった。
その手には、さっき渡した下着一式があった。
……ん?
「期待、していましたよね?」
「!! まあ……その……うん……っ」
正直に答えると、
「そうですか……。でも、『着替えました』とは言っても、『見せます』とは言っていませんよ?」
「あっ、そうなんだ……」
ちょっと、ガッカリ……。
「どうして見せなかったのか、わかりますか?」
「……え?」
凛々葉ちゃんは顔を近づけてくると、甘い声で囁いた。
「お楽しみは、あとに取っておかないと……っ♥」
「…………っ!!?」
年下とは思えない色気を漂わせている彼女を前にして、胸の高鳴りを止めることはできなかったのだった。
その後。わたしは靴を履いてフィッティングルームを出た。
「ふふっ」
顔を真っ赤にしたせんぱいを思い出して、自然と笑みがこぼれた。
「せんぱい……可愛かったなぁ……♡」
あんなに顔を真っ赤にしちゃって……っ♡
事あるごとに保護欲をそそられて、なんというか守ってあげたくなる。
そのことを伝えたら、また顔が真っ赤になるんだろうけど……っ。
それはそれで見てみたいから、今度敢えて言ってみようかな♪
ちなみに、せんぱいはお店の前で待つために先に出た。
……あ、そうだっ。いいこと思い付いちゃった……っ♪
「見てこれぇ~アハハハッw」
「マジウケるw」
反対側の方から聞こえてくる、マナー無視の大きな声。
目を向けると、そこには二人の女子が下着を体に当てながら下品な笑い声を上げていた。
お店の迷惑になっていることに気づかないなんて……。
その内の一人は、派手なメイクと明るい色の巻き髪で……言っちゃうと、ケバい。
メイクを一から勉強し直した方がいいだろう。
「アタシこれぇ~w」
「うぅ~わぁっ、エッロ~w」
………………。
「「アハハハハッw」」
人を不愉快にさせる笑い声を上げながら、二人はフィッティングルームに入っていった。
「……あっ」
せんぱいをお店の前で待たせるわけにはいかないし、早く会計を済ませよう。
下着一式を持って、わたしは急いでレジに向かった。
会計を済ませて店を出ると、
「あ」
せんぱいと…………あの子がベンチに並んで座っていた。
「……ちょっと目を離した隙に」
「あははは……」
「…………」
わたしとしたことが……この子のことを忘れて……って、
「どうしたんですか?」
彼女の顔色が、見るからに悪かったのだ。
さすがに心配になるほどだった。
「今思い出したんだけど。つぐみ……こういう、人がたくさんいるところが苦手だったんだ」
「苦手な場所なのに、付いて来てしまったということですか?」
「そうなるね……」
「先輩……ごめんなさい……」
「あ、謝るなって。苦手なんだからしょうがないだろ?」
「…………っ」
落ち込んだように、つぐみは顔を俯かせた。
「凛々葉ちゃん。ちょっと飲み物買ってくるから、つぐみのこと見ていてくれない?」
「あ、はい……っ」
「すぐ戻って来るからっ!」
と言い残して、慌てて走り去っていったせんぱいの背中を見送ってから、わたしは隣に座った。
「………………」
「………………」
この二人だけになれば、しーんっとした空気が流れるのは至って普通のことだ。
「……せんぱい。あんたのときだけは行動が早いんだ……」
「…………」
向こうからの返事はない。
顔色が悪い人にあまり言いたくはないけど。
「どうして付いて来たの? 見栄を張らなければ…――」
「自分でも、どうしてこんなことをしたのか、わからない……」
落ち込んだ声というには、あまりにもその落ち込みようは激しかった。
まあ、声のトーンなんて、この際どうでもいい。
わたしが気になったのは、今、彼女が言った『わからない』という言葉だ。
そんなわけがない。せんぱいに誘われたことが……嬉しかったのだ。
感情を表に出さなくても、心の内は……
(……わたしと、同じなのかもしれない)
………………。
デートに付いて来た元カノに気を遣う必要はない。
でも、気を遣えてしまう性分なのかもしれない。
……はぁ。
「それくらいのことで、せんぱいがあんたを嫌ったりすると思う?」
「…………っ」
なにも言わなかったが、首を横に振った。
……わかっているのなら、それだけで十分だ。
「だったら、今みたいに落ち込んでいてもしょうがないでしょ?」
「…………」
すると、ふと目が合った。
じーーーーーっ。
……ん?
じーーーーーーーーーーっ。
見つめ合うにしても…………な、長くない?
「な、なに?」
「……たまには、良いこと言うんだ」
そう言って、控えめに微笑んだ。
「……っ! 『たまには』が余計なんだけど!」
と言いながら、わたしは、彼女のある“部分”に目が止まった。
……別に、『胸』や『おっぱい』ではなく。今の彼女の“服装”が気になったのだ。
(“あのとき”と、全然違う……)
数日前、彼女がせんぱいを『ヒマワリ』に呼び出したときと……。
あのとき着ていたのは、花柄レースの白のワンピース。
今着ているのは……まあ、説明がいらないほど地味な服。
この二つを並べてわかったことは、彼女にとって、今日せんぱいと会うことは予想外だったということだ。
あのときは、自分から呼び出したということもあって、“気合い”が入らないわけがなかったのだから――。
(やっぱり。この子、まだせんぱいのこと……)
………………。
「二人ともーっ」
声のした方を見ると、ストローの刺さった紙コップを持ったせんぱいが小走りでこっちに向かっていた。
「はぁ……はぁ……。お待たせっ、はいっ」
「あ、ありがとう……ございます……」
「すみません、先輩。いくらでしたか?」
「これくらい別にいいよ」
「そ、そうですか。せんぱいの分は?」
「あははは……そこまで考えてなかったよ」
「え?」
「…………フフッ」
二人は目を点にしてつぐみの方を見た。
「先輩らしいです。そういうところ……っ」
その笑顔は、まさに年頃の女の子だった。
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