第4話 デート?

 いくつかの台風と秋晴れの日々を過ごし、東京は冬を迎えた。暑い夏にも感じたが、冬の寒さも東京では地元よりずっと柔らかだ。人の話す口調もしかり、東京は優しさがある。まるで神父の説教のようだという喩えは、信じる神を持たない私がするには適切ではないかもしれないが。

 唯一辛いのはビル風だ。空に突き刺さるような高層ビルの隙間を吹き抜ける風は、冬の冷気を纏って私たちを襲う。駅ビルの前で立ちすくむ私は、何度か身震いを繰り返した。

 すると、それに呼応するように手の中のスマホが震える。

〈もうすぐ着きます。待たせてごめんね!〉

 剣持さんからのラインだった。時間を間違えて早く来すぎたのは私なのに、優しい人だ。大丈夫です、と返信してポケットに手を突っ込んだ。

 剣持さんに食事に誘われたのは、先週だった。しかし、発端はもう少し前だ。いつも通りカラオケで録音をしたある日、会計に向かうと、奥にいたベテランらしい店員が私にメモを手渡したのだ。

「あの、アオさん、ですよね? これ、剣持くんから。よかったら連絡してくれって言ってました」

「……はぁ」

「ごめんなさいね、彼、あなたのこと気になって仕方ないみたいなんですよ」

 母親のような顔をして笑うその人の言葉に、私は息をつめた。

「……その、それは……恋愛、的な、あれでしょうか……?」

「さぁ……どうなんでしょうね。まぁ、本人に聞いてみるのが一番じゃないかと……」

 聞けるわけがないだろうと思いつつ、無視をするわけにもいかないので、紙に書かれたラインのIDから連絡をしたのがおよそ一か月前。以来つかず離れずの頻度で他愛のない話をしていたが、つい先週、クリスマスの予定を聞かれたのだった。

〈そういえば、クリスマス空いてます?〉

 そういえばって何だよとか、脈絡がなさすぎるだろうとか、言いたいことはいろいろあったが、ともかくその一言で私はすべてを察した。

 この人は私を恋愛感情で見ている。

 一度は遠回しに断ったのだが、じゃあ他の日は、と食い下がられるともう受け入れるしかなかった。ほとんど曲作り以外の予定がないのに、忙しいなんて嘘が通るはずもない。

 嫌いなわけではないのに。身寄りのない東京で、バイト先の先輩や上司よりもずっと、程よい近さで頼りにしている人なのに。恋愛感情を持たれるだけで拒絶したくなってしまう自分に嫌悪を覚え、私はマフラーに顔をうずめる。

「青さん、おまたせ」

 突然目の前から声が聞こえ、私は驚いて軽く飛び上がった。

「寒いから中にいてくれてよかったのに」

 剣持さんはいつも通りの笑顔を私に向ける。怖いと思っていることに罪悪感が疼いた。

「大丈夫です。私こそすみません」

「いや、無理に誘ったのは俺だから。ほんとに嫌じゃなかった?」

 顔を覗き込まれ、思わずのけぞりそうになる。彼の問いを否定しきれない心を押さえつけながら、しかし目を合わせることができない。

「嫌だったら来てませんよ」

「そっか、よかった」

 微笑みながら答えると、剣持さんが目を細めるのが、視界の端に見えた。

「お店、どうしましょうか」

「俺もあんまり稼いでるわけじゃないから、ファミレスか居酒屋か、あとは焼き肉屋とかになっちゃうけど、食べたいものとかある?」

「あの、私未成年なんで。居酒屋はちょっと」

「え」

 途端に剣持さんは絶句した。

「未成年なの? いくつ?」

「十九です。高卒でそのまま上京してきたので」

 そういえば年齢の話はしていなかったな、と思いながら答えると、剣持さんは、十九……としばらく宙を見つめ、そうか、と何度か頷く。そんなに驚くことなのか、と私は少し滑稽に思った。

「何歳だと思ってたんですか、逆に」

「二、三個下くらい、二十三とかだと……まぁ、大人っぽいもんな、青さん」

「そうですか? あんまり言われたことなかった」

 色が抜けてきた金髪を軽く掻きながら、剣持さんは横目で私を見つめた。その目には、恋慕よりも慈愛のような感情、かつて両親の目に見たのと同じ色が、ちらちらと揺れる。刹那、とらえどころのない波が身体の内に起こり、私は喉の奥で小さく息を吸い込んだ。

「じゃあ、焼き肉行こう。お金は出すから好きなだけ食べて」

「え? いや、自分の分くらい自分で」

「青さん、食費削ってるでしょ?」

「……そうですけど……」

「俺もバンドやってた時、そういう生活してて、そしたら身体壊したんだよね。青さんの音楽好きだから、無理してほしくない。たまにはちゃんと食べてほしいんだ」

「…………」

 恋愛、ではない?

「ごめんね、俺のエゴというか、完全に押しつけなんだけど」

「いえ……じゃあ、お言葉に甘えます」

「よかった」

 微笑む剣持さんの横顔を、私は思わずまじまじと見つめた。

 バンド活動に打ち込んだ過去、それに私を重ね、応援したくなるのだと言ってくれた。

 ――青さんの音楽、俺が作りたかったものになんか似てるんですよね。

 あの言葉は、路上ライブに来てくれた時のものだ。嬉しく、少し複雑な気持ちになったのを覚えている。

 本当に、ただ、それだけなのだろうか。先ほどの慈しむような視線も、昔地元で向けられた劣情とはまるで別物だった。信じて、頼っていいのだろうか。

「青さん?」

「……あっ、ごめんなさい」

「寝不足? 大丈夫?」

「ほんとなんでもないので。行きましょ」

 メニューどうしようか、と二人でスマホを覗き込みながら、私たちは歩き出した。

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