日本にいらない人
ぼく
過去からの呼び声
第1話 質問に答えてください
◆茅野秋人◆
「質問に答えてください」
低い男の声。
その瞬間、
「答えた方が良い……」
抑揚のない機械的な声。
布か何かで目隠しされて何も見えない。椅子に両腕を縛られ動けない。地面に打ち付けた頭より、蹴られた腹の苦痛が大きい。
「夕方五時十二分。あなたは嵐山の山中の道路にいた。あの場所で、何をしていましたか」
目隠しが外され、何者かが覗き込んでくる。
「俺は、ただ……取材で」
言葉を発した途端、男は倒れた秋人の顔を蹴飛ばした。衝撃で意識だけが外に転がり出そうになる。口の中を切った。鉄の味がする。
「――取材」
秋人はそろりと男を見上げる。
映画に出てくるボディーガードのような細身のダークスーツ。落ち着いている割にずいぶん若い顔立ち。右目の下に三つ並んだホクロがある。
ここはどこだ……。
コンクリートの床。埃っぽい空気が鼻腔に滑り込む。薄暗くて男の顔もはっきり見えない。ガレージのような屋内か。
「な……何なんだ、アンタは――」
言葉の途中で、男は秋人の脇腹を踏みつけた。硬い踵が肋骨に押し付けられ、秋人は引き絞るように呻く。
「社会ジャーナリスト、
名前を呟かれ、秋人の額に脂汗が滲む。
「昭和六十年生まれ三十三歳。大学卒業後に日本興業新聞社に就職し、大阪支局に配属された。四年後にフリージャーナリストとして独立し、ブラック企業に密着取材した著書『奴隷の王国』を発表。大手企業の違法労働を摘発し、その功績が記者として評価された」
男は秋人の半生を読み上げるように語る。
「家族構成は五歳の娘と二人暮らし。妻とは一昨年に離婚。現在は大阪市の西天満にある事務所兼自宅マンション住まい」
「どうして、そんな事まで……」
「あなたの事は何でも知っている。二十三年前の無差別テロの事も――」
二十三年前――。
秋人の背筋に冷たいものが走った。
「取材というのは、
秋人は息を飲んだ。何も答えずに男を睨む。
男は無言を肯定と取ったようだ。
今日の午後四時過ぎ、嵐山の山中の道路で男性の変死体が発見された。
五十代くらいの男性で、頚部にロープで締められた痕があった事から、警察は絞殺と判断した。
その後、驚愕の事実が発覚する。
絞殺死体は邑上琢也のものと判明。
邑上は二十三年前の事件の実行犯の一人。日本を震撼させた無差別テロ事件の逃亡犯だ。
「現場には他にも記者がいただろ。どうして俺だけ……」
「我々は、あなたの事を何でも知っています」
我々――。
何らかの組織で動いているのか。
「あなたも、あの事件の関係者です。被害者遺族。あなたの家族はあの日、毒ガスで亡くなりました」
無理やり記憶が掘り起こされる。粘っこい冷や汗が首に滲んだ。
「平成七年、三月二十日、午前八時二十三分発生。大阪市営地下鉄GB事件――」
男は囁くように言った。秋人の耳がぞわりと反応する。
平成七年、国家を揺るがす大事件が起きた。大阪市営地下鉄なんば駅にGBが散布された。
別名サリンとも呼ばれる化学兵器だ。
「負傷者約六〇〇〇人、死者二十四人。その二十四人の中に、あなたの母親と妹が含まれていた」
警視庁による正式名称は地下鉄構内毒物使用多数殺人事件だが、報道された通称である大阪市営地下鉄GB事件の方が一般的だ。
犯人とされたのはラヴァリア伝道団という新興宗教団体。
その信者であり実行犯の一人だったのが邑上琢也。事件後に逃亡して、二十三年経った今日、京都嵐山の山中で発見された。
――死体となって。
「答えてください。あなたは邑上殺害の何を知っているのですか」
「俺は何も知らない……知らないから、現場へ取材しに」
男の爪先が秋人の腹に突き刺さる。たまらず胃液を吐き出した。
「直接身体に聞いてみましょう」
男は何かを手に取る。ラジオペンチ。
秋人に馬乗りになり、ペンチの先を口に押し込む。重くて冷たい金属が秋人の前歯を掴んだ。
「や、やめっ――」
ゴキッと鈍い音が脳天まで突き抜けた。
燃えるような激痛が遅れて襲い掛かる。前歯をへし折られた。秋人は形振り構わずに絶叫する。
男は秋人の口にタオルを押し当て、強引に悲鳴を止める。
「成人の歯は三十二本。まだ三十一回も機会があります」
口の中が生温かい血で満たされる。息が出来ない。喉や鼻に流れ込んで溺れそう。男は無表情のまま再び口にペンチを押し込んできた。
「待て、俺は本当に……知らない!」
男の手がぴたりと止まる。秋人は荒い息を整えてから続けた。
「俺が現場に行ったのは今日が初めてだし、例の遺体が邑上琢也だったのもニュース速報で知った。ホントにただの取材だ!」
男はじっと秋人を見下ろす。
カメラのレンズのような無感情な瞳。秋人の顔を撮影し、表情を分析しているかのようだ。
祈るように見上げる秋人。男は音もなく立ち上がった。
「ラヴァリアを調べるな、GB事件を詮索するな」
秋人は痙攣するように頷く。口の中が鉄臭い血でいっぱいだが、漏れないように必死で口を結んだ。
男は懐から何かを取り出した。電気シェーバーのようだ。しかし違った。
耳障りな音がバチバチと鳴る。男が電源を入れると、シェーバーから青い光がほとばしった。
スタンガンだ。
「――!」
電極が腹に押し当てられる。
凄まじい衝撃と激痛が脳天から指先まで突き抜けた。
そのまま視界が霞んでいった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます