13.くノ一 参上?
「それって……結構マズくねえか」
「最悪です。篤志家が聞いて呆れます」
家で家出屋の潜入調査に赴いた日向から報告を受けた哲太は第一声でこう言った。
「そっちじゃなくて! おみよの方だよ!」
「そっちは何とかなる気がします。寂しい思いはしているでしょうけど」
どうにも嚙み合わない。哲太と日向に温度差がある。
「何とかって! そんな悠長な事を言ってる場合かよ。女郎屋だぞ!」
「おみよちゃんは、まだ幼いので
岡場所について、やけに詳しい日向。
日頃、世間知らず丸出しの彼女だが、忍びとして押さえるべき知識は押さえているらしい。
岡場所のような色町は、忍びにとって情報収集の格好の場所だ。
「そう……なの……か」
「はい。安心してください。あとは、どうやって見つけるか、だけなので」
「……それも結構な問題だろ?」
「うーん、運が良ければすぐに見つけられますね。駄目でも時間をかければ見つかると思ってます」
日向には、いくつか打つ手があるようだ。
それによる落ち着きなのだが、哲太には知る由もない。
苛立つ自分との温度差により、だんだんと苛立ちが募ってきているようだ。
「なんでそんな事が言えるんだよ!」
「花月屋に出入りしていた
「近場のって言ったって、俺やお前なんかは吉原の大門は潜れねえぞ?」
「まあ、私なら潜り込めますけどね。でも、そこにはいないと思いますよ。チャキチャキの江戸っ子を誘拐しておいて、官許である遊郭の吉原に売ったら、すぐに足が付いちゃいますから」
当時の江戸では、𠮷原だけが公に認められた遊郭であった。
それ以外の岡場所と呼ばれる場所は私娼、つまりモグリの遊郭である。
𠮷原には、大門と呼ばれる出入り口があり、そこ以外は塀で囲われ出入りできないようになっている。
そして、その大門には、町方の役人が常駐していて出入りの監視が厳しい。
「それならどこだよ?」
「私娼である岡場所が濃厚です。あそこなら存在自体が違法ですから客も店も誘拐だなんだと騒げば、町方さんにお縄にされちゃいますし」
客も後ろ暗ければ、店も後ろ暗いというわけだ。
多少のアレコレは、お互い様で見なかったことにされる。
「だけど、岡場所なんて沢山あるだろ。そうか! 泥亀って奴が出入りしていた足取りが掴めれば、絞り込めるのか」
「そうです。宮地家の同輩の方たちにお願いすれば、数日で見つかりますね」
「そんな事できるのか?」
「はい。江戸の民を虐げる事件ですから、きっと定八様も動いて下さるでしょう」
宮地家の同輩。日向は詳しく話していないが、御庭番衆のことである。
そして定八とは、薮田定八。薮田仁斎の子で薮田家の当主。
さらに言えば、御庭番衆の頭領でもある。
「そうか。良かった……頼むよ。おみよを助け出してくれ」
「わかりました。でも、それだと大事になるので、もっと簡単な手を取りますよ」
「簡単な手って?」
「花月屋に忍び込んでこようかと」
散歩にでも行くような気軽さで告げる日向。
「忍び込むって簡単にいうなよ。あれほどの大店だぜ。泥棒対策なら嫌ってほどやってるだろうよ」
哲太は何を言ってるんだ、こいつ。とばかりに否定の言葉を重ねる。
馬鹿にしている雰囲気はないので、日向のことを心配しているのだろう。
「泥棒さんと同じにされたら心外です! 何を隠そう私は凄腕のくノ一なのですよ! そんじょそこらの泥棒さんと一緒にされては困りますね」
これもまた、さらっと忍びであることを告げる日向。
「お前が忍者って柄かよ。全然忍んでねぇじゃねえか」
「まだまだですね。今までの姿は世を偲ぶ仮の姿なのですよ。ある時はおきゃんな町娘、またある時は楚々とした武家の姫君。その正体は日葵流印地術 第二代宗家にして御庭番衆随一の忍び。宮地日向なのです!」
またもや正論の哲太。
しかし日向はひるまない。流れるような自己紹介を続けた。
「色々ツッコミどころはあるけど、楚々としてた所を見た事ねぇよ。どこに団子を食いまくる姫がいるんだっての」
「コ・コ・で・す・よ!」
「馬鹿にしてんじゃねぇ!」
「馬鹿になんてしてませんよ〜」
「はぁ。相手すんの疲れてきた。もういいや。じゃあ頼んだ」
「了解です!じゃ、行ってきますね〜」
今回は哲太の力負けのようだ。
日向と常識の差がありすぎるのだから仕方のないことだろう。
哲太と別れた日向は、花月屋には向かわず、自宅のある神保町の屋敷に向かっていた。
「さてさて。このままでも忍び込むのは容易いですが、お着物が汚れちゃいますね。一度屋敷に戻って着替えてくるとしましょう」
※
陽も暮れた黄昏時。
そろそろ顔が判別できなくなる刻限に抜け出す一つの影。
淡い藍染めの単衣に濃い藍色の帯。半襟の襦袢も着ずに単衣をつっかけたように見えるその姿は着物の状態が良い事を除けば、町家の子供のような恰好だ。
その影は脇目も振らずに神田の町へと向かう。
神田のとある町の一角。
そこには、青物市場に庶民の長屋、それらを相手にする表長屋の小さな商家が並ぶ。
その中でひときわ大きく、異質な存在を示す大店、花月屋だ。
呉服屋である商店の造りは贅を凝らされ、これもまた周囲と馴染まない。
店の裏手まで来ると、神保町から抜け出してきた影は、塀に体を預けると、次第に気配が消えてゆく。
その裏手通りは、人通りは絶えて久しく表通りの喧騒がほんのり聞こえる静寂さ。
塀に張り付いた影がフワリと壁から離れたと思いきや、帯を解き、単衣を翻す。
淡い藍色だった単衣の裏には、濃い藍色の単衣が縫い付けられていた。
裏返した単衣の色は、藍色と言っても非常に濃く黒と見間違うほど。
夕闇が濃くなり影が濃くなってきたこの場では、もう着物の輪郭がはっきりとしないほど溶け込んでしまっている。
その影、日向は裏返した単衣を同色の袴の中に差し入れる。
日向は単衣の下に同色の袴と、革製の袖なし半襦袢のような胴衣を着こんでいた。
胴衣には小さなポケットが沢山あり、小さな何かが差し込んであるのが見える。
そして、上下の衣服だけでなく足先を覆う足袋まで同色で揃っており、衣服を整え頭巾を被れば猫のような爛々とした目以外、闇に溶け込んでしまった。
日向は自分の格好を確認して、周りを見回した。その瞬間、少し屈んだのも束の間、逆手で塀の軒瓦を掴むと逆上がりの要領で花月屋の敷地へと潜入したのだった。
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