8.潜入 魚魚長屋

「はあ、なんか変な事になってきたわね」

「お薬を届けに行っただけなのにね。でも心配です」


 うぐいす屋本店から、上野うぐいす屋の下働きが住む長屋へと歩む道すがら、どうしてこうなったと嘆く日葵ひまり

 同じ気持ちだと答えた日向はお多恵に思いを馳せる。


 二人とも、足の運びにいつものような元気はない。

 ちなみに、こうなった原因は二人の興味本位の行動によるものである。


「そうね。お多恵ちゃんも可哀そう。早く包丁を見つけ出しましょう」

「ひまりちゃんはどっちかにあると思う?」



「きっとあるわ。日向の推理は当たってると思う」

「だといいな。気になるのは江戸の街には町木戸も長屋木戸もあるでしょ。夜中には出歩けないよね。私たちなら飛び越えられるけど、普通の料理人には無理」


 日向の推理とは、銀次の包丁を隠したのは身内の犯行だということ。

 本店の使用人たちには不可能だということであれば、残すは上野うぐいす屋の使用人ということになる。

 

「ええ。だから朝早いうちに出ているんだと思う。だから急いでいたと思うの。お店の仕事に遅れる訳にはいかないし」

「そうなると隠し場所は家くらいって事か。あとは捨てちゃったかだけど、盗んだ方も料理に携わる人間だし、仕事道具の包丁をそこらに捨てていないと思いたいな」


「良し! そうと決まれば、屋敷に戻って着替えましょう」


※ ※ ※


「弥助はおそらくシロね。魚魚とと長屋に行ってみましょうか」

「はーい。でも次もさっきの設定で行くの」


 先ほど屋敷に戻り着替えてきた日向たち。

 すでに弥助の五兵衛長屋に潜入し家探しを終えてきた。


 その結果が、今の会話となっている。

 

 日向はなぜか不満顔である。

 家探しが不発だったことが起因なのだろうか。

 それともというのが不満なのだろうか。


「そうよ。田舎から姉妹の町娘が遠縁を縋って江戸に出てきた。よくある話だし、差配さん(長屋の管理人)にも疑われないし良いじゃない」

「そこは良いんだけど、なんで姉妹じゃなきゃいけないの?」


「……何か言ったかしら?」

「もういいです」




「こんにちは。差配さん。こちらは魚魚とと長屋でいいかしら?」


 周りに聞いて訪れた魚魚とと長屋。入り口にある差配の住まいに顔を出す。

 そこかしこに駄菓子やら鼻紙、草履や草鞋など乱雑に置かれている。壁には大きな盥が立てかけられている。そろそろ金魚を売り出す時期だろうか。


「はいよ。ここが魚魚とと長屋だよ。美人姉妹が何の御用だい? ここは大きな魚屋が近いもんでね。棒手振りばかりが住まう長屋よ。男所帯の裏長屋だもんで、あんたらに縁があるとは思えんが」


「実は私たちは下総しもうさの田舎から太吉さんを頼って出て来たんです」

「おお、あいつかい。太吉は唯一、棒手振りじゃないね。料理屋で働いてるって話だよ。合ってるかい?」


「はい。田舎の父からそう聞いてます。今はいらっしゃいますか?」

「いや。あいつは毎日朝出て夜まで帰ってこないね」


「そうですか。中で待たせてもらっても?」

「親戚なら良いじゃろ。まあ、あんたらなら長屋の男ども全員が良いと言いそうだ。あいつの家は一番奥の左側だよ。ドブ板を踏みぬかないように気をつけてな」



 魚魚とと長屋は、差配が言っていた通り、男所帯の長屋のようで井戸端にも女房衆が見当たらない。

 普通の長屋なら子供が走り回り、女房衆の姦しい話声が聞こえるものだが、ここに限っては静寂そのもの。


 どの障子戸にも、魚と笊の絵、そしてひらがなで『じ』や『き』という風に名前の頭文字が大きく書かれている。


 最初に行った弥助の長屋には包丁は無かった。ここに包丁が無ければ、捜索は振り出しに戻る。


 長屋の静寂は否が応でも緊張感が増してくるように思えてくる。どの部屋も人の気配がないが少しだけ漏れ出る魚の匂いが唯一存在感を示す。


 ひたひたと二人の足音だけが響く。


「ここね。開けるわよ」


 どこもかしこも裏長屋は間口九尺(約2.7m)、奥行き二間(約3.6m)の一部屋だけという間取り。たったそれだけの広さ。開けたら見える部屋が全て。


 そこになければ……良くない考えを振り切るように日向は強く頷いた。



 何も書かれていない障子戸。それが来客の無さを表している。

 裏長屋特有の薄っぺらい戸は、いかにも年代を感じさせるような色合いになっている。張られた障子戸の新しさだけがやけに目立つ。


 日葵は障子戸に手をかけるが、ガタガタと音がするばかりで、うまく開かない。


 仕方ないとばかりに両手をかけ、少し空いた隙間に足を差し入れ、体全体で戸を引く。

 ズリズリとおよそ戸が開く音ではないような音がしていたが、なんとか開いた。


 だが、そこから見える光景は、小さな土間、小上りになった板の間、部屋の中心には筵が敷かれて、せんべい布団があるのみ。

 期待を込めて見直すが、見えるのは変わらない。


 裏長屋に押入れがある訳もなく、万年床と化した布団はぺったりと薄べったい。

 枕屏風もなく部屋の奥まで隅々まで見えている。

 見えているのに、見えない。包丁らしきものは。


 幸いなのは壁に付けられた棚がある事。それくらいだろうか。


「さあ、中を探してみましょう」



 中に入ってみたものの、土間は二人が立てば身動き取れないほど狭い。

 土間に探し物がないことは明白だ。


 とりあえず上がって家探しせねばならない。


「上がって探さないとね」

「ひまりちゃん、どうぞ」


「あんたも来るのよ!」

「上がりたくないです〜。なんか掃除してなさそうだし、足がベタつきそうです。草履履いたままでもいいかな?」


「良い訳ないでしょ! 忍びが侵入した痕跡残してどうするのよ!」

「ううー。嫌だけど……お多恵ちゃんのため、お多恵ちゃんのため」


 なんとか嫌がる日向も上がり込み、さあ探索に取り掛かろうかという時、遠くからカランコロンと下駄の音がする。

 その下駄の主は音を立てないように気をつけて歩いているようだが、御庭番衆随一の使い手の二人には聞こえていた。

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