4.多恵
明くる日、いつもの二人は拝領した武家屋敷を出て、かのうぐいす屋へ向かう。
昨日お昼を食べ損ねた事への落胆と、二つのうぐいす屋への興味もあって、日頃は目移りしながらの移動も他へ目を向けず、ズンズン歩いてゆく。
「こんにちは。また来ちゃいました」
「あら、お嬢様。いらっしゃいませ」
女将の挨拶はいつもの通りだが、顔色は冴えない。ここまで落差があれば、来店が二度目の日向にも、何か心に影を落とす事柄があるのだと察する事ができる。
ましてや悲嘆場を目撃してしまった後なのだ。
そういった流れがあったせいか、日向は思わずこんな事を言ってしまう。
「何かお困り事がおありですか?」
いくら百戦錬磨の女将でも、二度目の来店のご新規さんで、武家の息女にそんな事を言われるとは思わなかったようで、一瞬、固まってしまう。
その表情はなぜ? と問いかけるようにも見えたし、理解者が現れたのかと嬉しそうにも見える不思議な表情だった。困り笑いといえば一番近いのだろうか。
そこから見える表情は、客商売の女将ではなく、年相応の少女の顔であった。
少女は、口を開き話すのかと思いきや、すぐに言葉を飲み込んでしまう。
日向と日葵は、その様子を急かすことなく、見守っていた。
その仕草を幾度となく繰り返すが、逡巡しながらも、話したい気持ちが強くなったようで、胸に手を当てると縋るような目つきで、「お話聞いてもらえるかしら」と呟いた。
彼女の話をまとめると、以下のようになった。
この店は婚約者と一緒にやる予定だったのだが、未だ親方でもある父親から許可が下りない事。
最後の試験である看板料理だけが合格できれば、結婚と独立の許可が下りるのに、なぜか婚約者は豆腐を食べると風邪を引くという事。
本当は結婚したくないのではと疑ってしまった事。
料理長である板前がいないのと看板料理が出せず、店の売上が芳しくない事。
医者にかかろうかと考えたが費用が支払えるか心配である事。
話し始めてみれば、出るは出るはの悩み事だらけ。日向たちは、昼食の事をそっちのけで感情移入してしまい、一緒に涙を浮かべる始末。
仕舞いにはこんな事を言い出した。
「うんうん、それは辛かったね」
「そうね。一人で抱える問題じゃないわ。私たちも協力するわ!」
「そうだね! ひまりちゃん。私と同じくらいのおかみさんが一人で頑張っているんだから、お手伝いしなきゃ!」
しくしくと泣いては愚痴を零していた女将は、思いもかけない言葉に顔を上げる。
「お嬢様って私と歳が近いの? 十を過ぎたばかりかと思ってた」
「ちょっと! 私はこれでも十五歳ですから!」
「ごめんなさいね。お互い若く見えるのかしら。私は十八よ。多恵っていうの」
「……まあ、そういう事にしておきましょう。私は日向。こっちはひまりちゃん」
「よろしくね」
「よろしくお願いします。お若いですが、年の離れたお姉さまですか?」
「そんな訳ないよ! ひまりちゃん、これでも三十五だから! おばちゃんなの」
「こら! 叔母の日葵です。私の知り合いに薬師がいるから、風邪の症状に効くお薬もらっておくわね」
「ありがとうございます。でも、お代は?」
「それは大丈夫。あのお爺ちゃん、私にベタ惚れだし。いつもお小遣いくれるくらいだから、少し薬をもらうくらい何て事ないわよ」
「ひまりちゃん、三十五にもなってお小遣いってどうかと思う……。ちゃん付けもやめるから、大人になろうか……」
「歳を言うんじゃありません! 貰ってくれと言うから貰っているだけです! それにその言い方、私が無理矢理、ちゃん付けで呼ばせてみるみたいだからやめて!」
「ふふふ。仲が良いのですね」
※ ※ ※
「くそ! 銀次のやつ。またお嬢さんを泣かせやがって」
先日、日向たちが目撃した店の裏での痴話喧嘩。それを隠れて見ていたのは、彼女たちだけではなかった。
他にも隠れ聞いている者がいたのだ。
「あの野郎には、お嬢様を娶る資格なんてねぇ。これ以上、お嬢様を悲しませないためには、あいつを追い出すしかねぇな」
その男は、憎々しげに顔を顰め、女将であるお多恵が泣いている元凶に明確なる敵意を向けた。
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