薫風に栴檀草

真島 タカシ

一章

一一0番通報があった。


東白亀通り商店街の貴金属店でウインドウケースが割られた。

店主からの通報だった。


ウインドウケースが、割られて、警備会社の警報が鳴った。

犯人は、店主の目の前で、暫く時計を物色していた。

人が集まり始めると逃げ出した。

という内容だった。


夜勤の林刑事が一報を受けた。

書類整理をしていた三好刑事が、同行し現場に急行した。

車輌を東白亀商店街の路地に停めて、襲われた貴金属店へ向かった。


ウインドウケースは粉々に割られている。

ガラスの破片が散らばっている。

店主が、割れたウインドウケースを見て、呆然としている。

警報は、止まっていた。


商店街にある交番の顔見知りの巡査が、店舗の脇から現れた。

店舗の周囲を警戒していた。

他に損害は無いという事だ。

警備会社は、まだ駆けつけていない。


何人か、物音に驚いて店舗の前で屯している。

三好刑事は、目撃者から聞き込みを始めた。


目撃者に、犯人らしい男が、急いで畠町商店街の方へ走って行ったと証言した。


四十歳前後の男。

白のTシャツに赤と黒のチェック前開きのシャツを羽織っている。

青色のジーンズだった。


店主が証言した身形と一致する。


林刑事と三好刑事は、畠町商店街へ向かって走った。


夜とはいえ、まだ、シャッターの開いている店舗も多数ある。


脇道には居酒屋が立ち並び、それこそ、今からが書き入れ時だ。

そんな時間に強盗に入るのは、どうかしている。

この辺りには、防犯カメラの台数も多い。

店主が居るにも拘わらず、人が集まるまで、高級時計を物色している。

畠町商店街の手前で目撃証言と一致する男を見付けた。


林刑事は、男を追った。

「うっ」歩道の縁石に躓いた。

身体は泳いだが、転倒を免れた。

「大丈夫ですか!」

若い三好刑事が振り返って、大声で怒鳴った。


林刑事は、息が上がって、声が出なかった。

手振りで男を追うように指示した。

足首を挫いたようだ。


林刑事は、足を引き摺りながら三好刑事の後を追った。


アーケード街から路地に入るのが見えた。

商店街の路地裏だ。

そこは、行き止まりだ。


男は、路地に面した商店の勝手口のノブを回していたが開かない。

ノブを後ろ手に、男は三好刑事の方へ向いた。


勝手口に背中を張り付けて、ポケットから果物ナイフを取り出した。

林刑事も、追い付いた。


林刑事は、男を見た。

「弘田。止めろ」

林刑事が叫んだ。


林刑事は、男を弘田と呼んだ。

弘田を知っている。


弘田は、タウン誌を発行している。

飲食店の広告が主な記事だ。


紙面に飲食店の割引クーポンを印刷していて、お店に提示すれは、飲食代から割り引いてくれる。

以前、流行った手法だが、今も変わらず利用している。

タウン誌は、無料でコンビニや書店に置いている。

もうひとつ、イベント情報誌を発行している。

こちらは、一部三百円で販売している。

更に、イベントの企画や会場の設営も請負っている。


弘田が手伝っているイベントは、全部、元中学教師の平野幸治が主催している。

平野氏は、中学教師時代に、何度か全国音楽コンクールへ生徒を導き、入賞を果たしている。

早くに退職して、音楽教室を開いて生徒を指導している。

地元では、ある程度、有名人だ。


平野氏は、音楽教室に通う生徒の発表会を開催したりしている。

その会場の設営を手伝っているのが、弘田だ。

弘田は、会場管理者とトラブルを起こし、警察沙汰になった事があった。


臨海公園の広場を会場にしていた時、公園の芝生内にまで客席を設営した。

おまけに、無許可で屋台まで出していた。

地方の音楽教室に通う生徒の発表会だ。

さほど集客が見込める訳がない。


林刑事は、弘田を何度か、事情聴取した事がある。

弘田と平野氏は、どんな関係で繋がっているのか分からない。

弘田は、そんな商売で安定した収入を得ているとは考え難い。


平野氏にしても、音楽教室に通っている生徒の月謝だけで、あれだけのイベント会場を押さえられるとも思えない。


何か他に、収入源を持っている。

それが、何であるのか分からない。

弘田から何度か聞き取りした時に、余裕を感じた。

警察沙汰になった時は、さすがに慌てていた。

やってる事は、せこいし、小心者という感じしか持たなかった。


弘田が、声を掛けた、林刑事の方を向いた。

刹那、三好刑事が弘田に突進した。

正義感ではない。

功名心でもない。

市民を守るという使命感でもないようだ。

闘争本能、丸出しの顔をして、突っ込んだ。

弘田は、ナイフを落とした。


林刑事は、弘田の後ろへ回り、腕の関節技を決めた。

三好刑事が弘田に手錠を掛けた。


商店街の交番から駆け付けた巡査が連絡を入れている。

三好刑事のお手柄だ。


パトカーが何台か、近くの道路に停まっている。

林刑事が、パトカーの後部座席に乗り込んだ。

三好刑事が弘田をパトカーに押し込み、林刑事と両脇から挟むように乗り込んだ。


北署に戻ると、何人か同僚の刑事が出て来ていた。


林刑事と三好刑事は、取調室で弘田の聴取を始めた。


弘田は、開口一番、「頼む。殺される」と云った。

弘田は、怯えている。


成程、あんな時間に、あんな場所で起こした犯行の意図が分かった。

ゆっくりと逃げて、わざと捕まったのだ。


「助けてくれ」

弘田は、哀願するように云った。

あんな、大袈裟な事件を起こしてまで、警察に捕まりたかった理由とは何か。

誰かが、弘田を見張っていたのか。

それにしても、殺されるとは、物騒な話しだ。


じっくり、話しを聞かせてもらおうか。

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