第3話 おさらばしたはずだったのに
昼休み、俺は昼食の唐揚げパンと紙パックのヨーグルト飲料を手に、学校の敷地内をさまよっていた。
大夢から聞いた『E組のお嬢様系女子』が気になっていた。通りすぎるふりをして教室のなかを覗いてみたが、それらしき人物はいなかった。
その行為が大夢のストーキングと大差ないことに気づき、ぞっとする。
――ま、まあ、静かに食事できるところを探すついでだし……。
などと誰にともなく言い訳して、より
と、ちょっとした林のようになっている校舎裏のほうから、女子たちの笑い声がかすかに聞こえてきた。
――もしかして……。
俺の足はその声に誘われるように奥へと進む。
少し開けた場所が見えてきた。木製のテーブルやイスがいくつか並んでいる。
――こんな場所があるのか。やっぱり都会の学校は洒落てるな。
テーブルのひとつに三人の女子たちがつき、昼食会を開いていた。タイの色は俺と同学年であることを示している。笑い声の出所はそこだった。
シチュエーションも相まって、まるで妖精たちのお茶会に迷いこんだかのような不思議な気持ちになる。
そのなかのひとりに俺の目は釘付けになった。
――大夢が言ってたのって……。
木漏れ日を受けてきらきらと輝く黒髪。涼しげな瞳に穏やかな笑み。箸を口に運ぶ美しい所作。
誰かが冗談でも言ったのか、彼女は口元に拳を当てて顔をそむけるようにして肩を揺らした。
――………………え?
その仕草が、俺の脳内の引き出しを無理やりこじ開けた。
――そんな馬鹿な。
信じられない。信じたくない。しかし――。
髪の色が違う。メイクのせいか顔の雰囲気も違う。しかし七年間という歴史の重みがその大きな違いをものともせず、嫌でも俺に訴えかけてくる。
なにかのまちがいかもしれない。もっとよく見ようと、俺は木陰から一歩踏みだす。
彼女が俺に気づいた。小首を傾げ、微笑みを浮かべ――ようとして、メドゥーサにでもにらまれたかのようにぴしりと固まる。
「て……」
彼女の形のよいくちびるが、わななきながら言葉をつむいだ。
「てめえなんでここにいるんじゃごらあああああああああああ!?!!?!」
妖精たちのお茶会の場にドスの利いた叫び声が響き渡った。
ああ、もうごまかしようがない。その声、そのトーン、その声量。
まちがいなく、白瀬雪路だった。
なぜ彼女がここにいるのか、なぜあんな格好をしているのか理由は分からない。しかし大夢の情報と友人ふたりの驚いた表情から、今までお嬢様に擬態していただろうことが窺えた。
「あ」
雪路は我に返り、固まるふたりの顔を見比べる。
「え、ええと……。――お、お父さんと観た任侠映画のセリフがうっかり出ちゃって……」
百歩譲って父親と任侠映画を観るお嬢様がいたとしよう。しかしうっかりセリフが出てたまるか。
――さすがにそのごまかしは通らないだろ……。
友人ふたりは顔を見合わせたあと、口に手を当てて上品に笑った。
「なら仕方ないですね」
「ふふ、白瀬さんったらお茶目」
――通っただと……!?
なんというピュアな世界。まったく擦れていない。
「ちょ、ちょっと失礼」
雪路は立ちあがり、こちらへやってくる。
約一ヶ月ぶりに再会した彼女の様相はすっかり変わっていた。更家先輩が紅茶の似合う洋のお嬢様だとしたら、雪路は茶道をたしなむ和のお嬢様だ。実際の彼女がたしなんでいるのは喧嘩道だが。
雪路はにっこりと微笑む。不覚にもどきっとしてしまう。
彼女は俺の肩に手を置いた。
「放課後、体育館裏で待ってるから」
清楚な美少女に体育館裏へ呼び出される。めくるめく恋が始まりそうなシチュエーション。誰もが憧れながら、しかし実際には味わうことのない甘美な果実。
しかし相手が雪路だと意味合いはまったく逆になる。つまり、ヤンキーの呼びだし。めくるめく暴力が始まりそうなシチュエーション。誰もが避けたいと思いながら、しかしときに無理やり食わされる暴虐の果実。
彼女の表情は無理に笑顔を浮かべた般若だった。こめかみの血管がはちきれそうだ。肩に置かれた手に万力のような力が込められる。
「いてててて!?」
「分かったか?」
「わ、分かったから離せ!」
ぱっと手が離される。俺は肩をさすった。見た目がお嬢様化しても、中身はやはり――。
「さすが地獄の白雪――」
「その名であたしを呼ぶな……!」
今度は両肩を締めあげられた。
「いたたたたた!!? もげる! もげちゃう!」
「行けよ……。ほんとあたし、もうぎりぎりだから……」
頬の筋肉が痙攣している。
「わ、分かったから離して!」
肩から手が離れる。
「ほ、放課後な。じゃあ!」
俺は回れ右をして猛スピードでその場を走り去った。
いつもならうとうととしてしまう午後の授業。しかし今日はまったく眠くならなかった。
再会だけならまだしも、雪路のあの変わりよう。なぜあんなお嬢様の真似事を? 理由が気になってしかたがない。
睡魔がやってこないとはいえ、授業に集中しているわけでもない。じりじりとした気持ちで時間が流れるのを待つ。
そしてようやく放課となった。一刻も早く理由を聞きに行きたかったが、自分の気持ちを落ち着かせるために、俺はわざとゆっくり授業道具を鞄に詰め、トイレに寄ったあと、おもむろに目的地へ向かった。
体育館のなかからボールの弾む音や床を上履きが擦る音、元気のよい掛け声が聞こえてくる。それを横に聞きながら、俺はぐるりと裏のほうへ進む。
体育館とフェンスに挟まれた細長い空間。そこにはすでに先客がいた。
雪路だ。木の下でじっとうつむくその姿は、まるでこれからする告白に緊張している初心な少女だ。
――意外と絵になるな……。
いや、惑わされるな。ついさっき俺の肩を胴からはずそうとした奴だぞ? なぜキャラ変したのかは知らないが、中身がまったく変わっていないのはまちがいない。
俺の視線に気づいた雪路がこちらを見て顔をしかめた。遅刻してきたことにキレているのだろうか。
と、大股で歩み寄ってくる。
――やられる……!?
今度こそ腕をもぎとられる、そう思った瞬間――。
雪路が俺に抱きついてきた。
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