第3話 ポリンピアに住むアイリーン
さて、今日も一日が始まる。
鏡の前に座ったわたしは小指を使ってローズピンクの紅を唇に乗せる。
血色の良くない肌色を持つ、非常に冴えない見た目にほんの少しだけ明るい印象をもたらしてくれる……気がする。
生まれてからずっと変わることのない一糸乱れず揺れる白金色の内巻きボブヘアーが今日も絶好調な動きを見せる。
「今日も笑顔のわたし」
そう口にすると、口元にほんのり光が宿って溶けいるように消えた。
これはおまじないだ。
今日も前を向いて過ごせるおまじない。
これがわたしの一日の始まりであり、日課だった。
「アイリーン、準備はできたかい?」
母さんの声が住居兼お店になっている我が家の店頭の方から聞こえてくる。
「え、ええ、今行くわ!」
うちは仕立て屋を営んでいる。
小さいながらも意外と繁盛していていつも朝から晩まで休むことなく働くこととなる。
先日までお手伝いに来てくれていたセシルさんに赤ちゃんが生まれることになったため、とても喜ばしいこととはいえ、さらに人手不足になってしまい、ここ数日は嵐のような激務の毎日を過ごしている。
だけど、父さんや母さん、そして姉さんたちはどんな環境下に陥ろうとも絶対に笑顔を絶やさないし、自然と我が家はいつも楽しそうな声で溢れていた。
みんなのことはとても尊敬している。
わたしも全力で頑張りたいと思わせてくれる。
そして、今日も母さんの元気な声とともに仕立て屋『ボヌール・ココン』(通称・ココンさん)は始まりを告げた。
もうすぐわたしの住む街、ポリンピアでは収穫祭を兼ねた秋祭りが行われる。
時計台のある大きな広場にみんなが集まって本年の収穫を祝うお祭りなのだけど、歴史を重んじる年配者はもちろん、最近では様々なジンクスも伝えられてきているようで、今では老若男女問わず街が浮足立つ季節が近づいてきていた。
仕立て屋である我が家もこの季節が特に忙しくなるのは、このイベントのおかげでもあった。
最新のトレンドの衣装の話が出回れば、若い女の子たちがああしてほしいこうしてほしいと願望を持ちながらひっきりなしに押し寄せてくるのだ。
おかげで小さいなりにも大家族な我が家は食い逸れることもなくお仕事を任されることになり、大変ではあるけど有り難い限りだった。
母さんに呼ばれたわたしは、いつも常備している裁縫道具を片手に店頭に向かい、定位置に座る準備を整える。
「はい! アイリーン、これが今日の分ね」
「はーい!」
母さんが大きなかごを抱えてやってくる。
その中には大量の衣装が積まれている。
「そこにおいてくれる?」
店の前に腰ほどの高さまである大きな看板を設置しながら、答える。
『衣服のことならなんでもお任せください』
そんなポップな補足シートも貼り付ける。
これが、わたしのお仕事。
店頭を担当しながら、ほつれなど不備のために依頼された衣服の修復を行っている。
不備については依頼を受けた際に括り付けられたメモに書き込まれているため、わたしはそれに従うだけでいい。
こんにちは、とお客さんがやってくると手を止め、接客対応を行うものの、普段は自分のペースで淡々と作業を進めている。
終わったと思っていても次から次へと母さんがかごを並べていくため、わたしの一日は驚くほどあっという間に過ぎていく。
今日もほころびの部分を確認しながらこつこつと作業に取り掛かる。
着古した衣服をも大切にしてもらえるのは仕立て屋としては嬉しいものだ。
父さんが作った衣服ならなおさらだ。
(はぁ……)
とはいえ、わたしに与えられた作業はずいぶん地味で単純なお仕事のため、ため息も出る。
父さんや上の三人の姉さんとはしばらく顔を合わせていない。とても忙しいのだ。
彼らはデザインから制作まで一気に行っていて、作業場から出てこなくなった。
スケジュールを管理しているわたしでさえぎっしりと詰まった彼らの予定と今後の予約状況を改めて見返すと大丈夫なのかと心配になるほど、それくらい多忙だ。
母さんも目にも止まらぬ高速な動きを繰り返しているし、わたしだって本当はもっともっとみんなに貢献した働きをしたいと常々思っている。
それでもわたしにはこの家業の才能がないのか、できることに限りがある。
デザイン力も無ければ器用でもない。
お仕事のための裁縫技術は長年の積み重ねで備わっているけど、そこまでだ。
加えて魔力の使用さえも制限されていて、わたしには彼らの雑務や補佐を行うくらいの手助けが精一杯だった。
ちくちくと針を動かし、何か他にも自分に出来ることはないかと試行錯誤を繰り返す。
わたしには自慢できるほどの特技がない。
結局何も思いつかないこの負のループの中、もやもや考えを巡らせて一日を終えることが多いため、むしろもう諦めて何も考えずに働き続けたほうが効率がよさそうだと最近はしみじみ思う。
基本前向きとはいえ、自身の無力さに絶望する日もある。
人には向き不向きがあって、わたしが大切な家族に貢献できていないのは悲しい現実だった。
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