第7話 名もなき乙女の悲劇

 わたしたちの住む街ポリンピアには『禁断の森』と呼ばれる場所がある。


 そこは地盤の関係なのか魔力の数値が他と比べて異様に高く、制御機能もうまく作動しないため、異常なことがよく起こる。


 そこで精気を蓄えた魔物たちがたくさん住んでいるとも言われている。


 だからこそかつては別の名前があったらしいその森も現在では『禁断』と付けられるようになり、一般人は必要がない限りは近づくものはいなくなったという。


 街を守ってくれている兵士たちや調査団たちは魔物退治や訓練、その地の調査のために常々足を踏み入れている場所なのだそうだけど、魔力も少ない一般人が安易に立ち入って良い場所ではなかった。


 小さい時から様々なお話を聞かされていたし、おうちから遠いこともあり、わたしには無縁の場所で一生近づくことはないと思っていた。


 それは、十歳になった春のこと。


 穏やかな風が街を包み、色とりどりの花が街を染める頃、トレーニングに出かけたというテオがお弁当を忘れていってしまったというお話を聞きつけたわたしはテオのおばさんに頼まれてテオのお世話になっているトレーニング先へ向かった。


 兵士になりたいわけではないけど、大切な人たちを守れるくらいの力はつけておきたいといつも言っていたテオは勉学と家の手伝いに加え、自身を鍛えることにも妥協はしなかった。


 わたしはそんなテオの姿を見るのは大好きだった。


 当時は背丈もそんなに変わらなかったテオ。


 どちらかといえばわたしの方が大きかったし、か弱い背中はいつ倒れてもおかしくない状態で、いつも生傷が絶えず、マメだらけでボロボロ彼の手は痛々しいものだった。


 その手当はわたしのお仕事だった。


 どれだけ傷だらけになっても前向きなテオにわたしもできるだけのことはしようと心に決めていた。


 名誉の負傷を受けた彼をしっかり受け止められる存在になりたかった。


 ずしりと愛情のこもったお弁当を片手に、わたしは無我夢中で足を進めた。


 テオのトレーニング先へ行ったとき、彼の姿はなかった。


 今日は来ていないのだと彼の師匠に告げられたわたしは、疑問に思うこともなく引き返そうとしたそんなとき、いないと言われていたはずのテオの後ろ姿が目に入った。


 キラキラ太陽の光を浴びて発色するテオの金色の髪の毛を見間違えるわけない。


 テオ!と名前を読んでみたけど彼は振り返ることなく歩み続ける。


 聞こえなかったのだろうか。


 いつもはすぐに振り返り、満面の笑みを浮かべる彼はそのままこちらに背を向け続ける。


 おかしいな、と思いつつもわたしは違和感を感じることもなく慌ててその背中を追いかけた。


 周りの景色を把握していなかったわけではない。そんなに走った覚えもない。


 だけど、気づいたときには知らない森の中にいた。


 いつの間に?


 思ったと同時に血の気が引いた。


 まずい。


 そう悟ったときにはすでに遅く、自由に生い茂る草木の中に立ち尽くしていた。


 テオの背中がどんどん小さくなる。


 彼の名を何度も呼び続ける。


 それなのになぜかテオには届かない。


 振り返ってくれない。


 泣きたくなった。


 背中のあたりがぞくぞくとする。


 早く彼を連れて引き返さねば。


 ここがどこなのか、考えたくもなかったけどなんとなく予想がついてしまったわたしは、必死に彼を追いかける。


 そんなとき、突然目の前に現れた見たことのない大きさの生き物に行く先を阻まれる。


 魔物と呼ばれる生き物だった。


 足を止める。


 というよりも、身の危険と恐怖を感じ、動けなくなった。


 とても大きくて、不気味は生き物だった。


 影に覆われていたため、姿形は認識できなかったけど、嫌らしくだらんと開かれた口元に鋭い牙がいくつもあるのが目に入った。


 だらだらと垂れているのは唾液だろうか。


 それが地面に触れるたび、じわっと音を立ててわずかな煙が上がる。


 言葉にならない声がもれる。


 わたしの姿を認識した途端、奇声を発しながら近づいてくるその生き物を前に、もう無理だと思った。


 それでもその生き物が口をさらに大きく開いたとき、重い足を引きずり、必死で逃げていた。


 逃げて逃げて逃げて。


 奇声が大きくなったり小さくなったりして逃げても逃げてもその生き物が追いかけてきていることを背中に感じる。


 怖くて怖くて仕方がない。


 どのくらい走っただろうか。


 口の中で血の味がした。


 テオを追いかけて走ったときには感じられなかったほどの疲労感が一気に襲ってきて肩で息をする。


 喉の奥が狭くなったようでゼエゼエと言う息が漏れた。


 魔物の気味の悪い声が聞こえなくなったのはもう少し走り続けてからだった。


 後ろにその存在の気配を感じなくなったことに安心したとき、わたしの意識は遠のいた。


 ここは、どこなんだろう。


 どこまで走ってきてしまったのだろうか。


 これからどうなってしまうのだろう。


 咄嗟に、もう会えないかもしれない父さんや母さん、そして姉さんたちに謝罪の言葉を述べながら、わたしは意識を失った。


 遠くの方で、テオの声がした気がした。

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