参話 語る記憶は心に深く

「あの……、バレッタちゃんそれ全部一人で食べるつもりすか?」


「へ? もちろんですよっ! ……あ、ジェノ先輩も食べます?」


「いや別に……」


 ホールのバターケーキを前に話を繰り広げていたジェノとバレッタの鼻腔を、果実のような香りがくすぐった。


「お二人共、お待たせ致しました。本日の紅茶はダージリンですよ」


 二人が香りにつられてその方向に顔を向ければ、そこには人数分の紅茶が置かれたトレイを持ったシルヴィオが立っていた。彼は音を立てないようにカップをテーブルの上に置くと、「どうぞ」と優しく微笑みながら言った。何でも彼の前職は執事であったらしく、その一挙一動が美しかった。


「わぁ、いい匂い! ありがとうございます隊長!」


 バレッタは顔を綻ばせて礼を言うと、早速カップを持ち上げて薄いオレンジ色の紅茶を一口飲む。それだけで口いっぱいに爽やかな香りが広がり、バレッタは心底幸せそうな表情になった。彼女はその幸せが終わらぬ内に、既に切り分けられているバターケーキ一切れを皿に取り、その先端をフォークで刺して口に運んだ。


「はぁ……美味しい……! やっぱりこんなに美味しい物が食べられる時が、一番オーミーンに入って良かったって思いますよねぇ……!」


「えっ、もしかしてバレッタちゃん、美味いモン食べる為だけにオーミーンに入ったんすか?」


 幸せを噛み締めるようにしみじみと述べるバレッタに対して、ジェノはえっと小さく声をあげて驚いた様に問うた。シルヴィオは表情を変えることなくジェノの横に座ったが、ジェノと同じ事を考えたのだろう。バレッタに向けられたその視線は、少し不思議がっている様だった。


「んなっ! そんな訳無いじゃないですかぁ! 美味しい物を食べたい気持ちは半分だけです!」


 それを聞いたバレッタは慌てて口の中のバターケーキを飲み込むと、心外だと言う様な面持ちで反論した。


「でも半分はあるんすね。ええと……もう半分の理由、聞いても?」


 ジェノは楽しそうに口の端を上げてからかうと、バレッタが口にしなかった半分の理由を遠慮がちに聞いた。こういう場合は、大抵誰かの死が関わってる事が多いからだ。


「んもぅっ! うるさいですよぉ! ……もう半分は、オーミーンに恩返しをする為ですよ。私は物心着く前にオーミーンに拾われたらしくて……その時オーミーンの戦士の方に保護されて無ければ、きっと今頃ここに居なかったでしょうからね!」


 バレッタはジェノの問い掛けに、へらと笑いながら答えた。彼女は微妙な顔をしているジェノとシルヴィオを見ると、


「あ、平気ですよ! 私、家族がいた事すら覚えてなくて……むしろ、オーミーンの皆さんが家族なんです!」


 と慌てて付け加えて笑った。その言葉にジェノは「そすか」と笑って答え、シルヴィオは何処かくすぐったそうに小さく笑い声を上げた。


「それじゃあ次はジェノ先輩とシルヴィオ隊長が答えてくださいよ! 私ばっかり不公平です! ……あ、もちろん言い難い理由なら全然言わなくていいんですけど……」


 そのままバレッタは、瞳を好奇心に煌めかせながら二人へ聞いた。もちろんすぐさま、無理強いはしない事を表明していたが。


「あぁ、俺がオーミーンに入った理由っすか? 簡単すよ、単純に視えたからです」


 ジェノはそんなバレッタの遠慮をものともせず、飄々と語り始める。彼が語り始めたのは、至ってシンプルな理由であった。


「えっ!? ジェノ先輩って視える人だったんですか!? てっきりゴーグル持ってるから、視えない人かと……」


 今度はバレッタがジェノの言葉に驚く番であった。ジェノと彼の首に下げられたゴーグルを交互に見比べながら、バレッタはぱちくりと瞬きを繰り返した。


 ジェノが首から下げているそれは、確かに旧型ではあるもののオニを視る為のゴーグルのはずだ。

 それは新世代と呼ばれる、戦術に重きを置く教育を受けているバレッタ達には馴染み深い物であった。だが、旧世代と呼ばれる学問と戦術を半々で学んでいた時代のジェノが持っているのは珍しく、バレッタは常々気になっていたのである。


「あぁ、これすか? これは死んだ兄の遺品っす」


 ジェノは首から下げたゴーグルを弄りながら、サラリと信じられない様な事実を口にした。その言葉に、隣に座っていたシルヴィオが息を呑んで、正面に座っていたバレッタは目を見開いた。


「別に俺は普通に視えてますよ……って、何でそんな顔してんすか」


 臆する事無くすらすらと話を続けていたジェノは二人の異変に気付くと、若干呆れた様に半眼になった。どうやら本人は、自分が話す分には全く気にしていない様だ。


「ご、ごめんなさい……! 私……」


「んや、全然気にしてないっすよ。どんな世の中でも人は遅かれ早かれ死ぬんすから……ま、兄貴はとりわけ馬鹿な奴だったんで、死んだって聞かされた時もあぁやっぱりって思いましたけどね」


 顔色を青くしたバレッタの謝罪に、ジェノはなんでもない事の様な態度で首を振った。亡き兄を「馬鹿な奴」と形容しながら淡々と語る彼の瞳に、未練や怒りなどは一切感じられない。


「ジェノ、君……」


 シルヴィオは顔を強ばらせたままジェノを見つめた。彼の表情には、驚愕の他に微かな非難の情が混ざっている様に見受けられた。


「……あ、スイマセン、薄情だと思いました?」


 部屋内に気まずい空気が流れている事を察したジェノは、流石にバツが悪そうに頬を掻きながら謝罪した。自分でも薄情だと思われる事を言っている自覚はあった様だ。


「まぁでも、本当に兄貴は馬鹿だったんすよ……馬鹿ほど真面目で、正直で……馬鹿みたいに、優しかった。視えねぇ癖に最前線で研究続けて、呆気なく死んだ……そんな馬鹿。だから俺は、そんな視えない馬鹿がもう二度と無理しなくて良い様に、視える俺が戦えばいいんだって思ったんです」


 ジェノはゴーグルに手を当てながら小さく笑う。流れていた気まずい空気も、彼が続きを語る内に解されていった。普段見せる事のない、彼の昔を懐かしむ様な優しい声音と表情が、亡き兄を十分なまでに慕っている事を物語っていた。


「確かに、こんなアッサリ割り切っちゃ薄情だと思われるかもしれないですけど、どんなに泣いて悲しんだって、死んだ人が生き返る訳じゃ無いんです。だから、俺は今こうして前を向いて、兄貴みたいな馬鹿達を守る為に戦ってるんすよ。ま、雑魚清掃は面倒っすけどね」


 ジェノは晴れ晴れとした様な顔で言い切った。その様子は大人顔負け、まるで何年も歳を重ねてきた者と違わなかった。彼のその言葉を聞いた途端、シルヴィオは一瞬痛い所を突かれた様な顔になったが、喋るのに集中しているジェノも聞き入っているバレッタもそれに気が付かなかった。


「……って、何か湿っぽい空気になったっすね、スイマセン」


「――っ! 私、感っ動しました! いつも何も考えて無さそうな先輩とか思っててごめんなさい〜っ! 尊敬です、ジェノ先輩!」


 その場に流れるしんみりとした空気感に苦笑しながらジェノが語りを終えると、バレッタは顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら賞賛の言葉を述べた。聞いている間にも食べ進めていたのか、ホールのバターケーキは半分ほどに減っていた。


「なんすかそれ、失礼っすよ」


 ジェノはバレッタの賞賛を受けて、恥ずかしそうに顔を逸らした。照れ隠しなのか、「何も考えて無さそうな先輩」という部分にだけ反応をしていた。


「……んで、ヴィオさんは? 入った理由教えてくれるんすか?」


 ズビズビと鼻をすするバレッタを横目に、ジェノはシルヴィオへと話を振った。何か物憂げに沈んでいた彼は、声をかけられてハッとすると、


「私、ですか……」


 と小さく目線を落として呟いた。その様子にしまったと思ったジェノが口を開こうとした瞬間、シルヴィオは顔を上げて「そうですね」と言った。何かを覚悟しているのか、彼の表情は固い。


「ジェノ君の言葉を聞いた後にこんな事を言うのは、大変心苦しいのですが……私は、あるオニへの復讐の為にこのオーミーンへ入ったのです」


 シルヴィオは口元だけを笑みに染めたまま語り始めた。その内容にジェノは「あ、いや……!」と慌てて何かを言おうとしたが、シルヴィオに手で制されて口を噤んだ。


「私が探しているのは、とある大型のオニ。奴は私の主……いいえ、妻の仇……なんです」


 悲嘆と憤怒が混ざった様な声がそう告げた時、ジェノもバレッタも驚愕し、小さく息を呑んだ。シルヴィオがここまで負の感情を出す事も珍しい。


「柄でも無い事は承知しております。きっと妻が知ったら笑われてしまうでしょう……ですが、私はどうしても奴を許す事が出来ないのです……! 奴だけはどうしても……、どうしてもこの手で葬り去りたいのです……!」


 シルヴィオは激しい怒りに体をわななかせ、長年その体内を巡っていた憎悪の感情を包み隠さず吐露した。気付けば彼の顔は苦痛に歪んでいる。それを見た二人はとうとう何も言えなくなってしまった。


「……と、ついつい感情的になってしまいました、申し訳ありません。紅茶、冷めてしまいましたね。今すぐ入れて参りますので……」


 二人に悲痛な感情が伝播している事を感じ取ったシルヴィオは、ハッとしていつもの笑みを作った。作り笑いである事は最早明確だ。彼は冷めてしまった紅茶のカップをトレイに戻すと、そそくさとキッチンへと消えていった。


「……私、知りませんでした。隊長があんな気持ち抱えてたなんて……」


 バレッタはシルヴィオの背を見送ると、俯いてポツリと零した。サラ、と銀の横髪が思い詰めた様な彼女の顔を隠した。


「俺もっすよ。そりゃ復讐の為にオーミーンへ入る人は少なからずいるだろうけど、まさかヴィオさんもそうだったとは……」


 目を伏せて、ジェノもそれに同意する。彼はかなり長い間シルヴィオと組んでいたのだが、それでも隊長が抱えていた暗い感情の鱗片すら感じ取れていなかったのだ。


「ヴィオさん……」


『アヤメよりシルヴィオ隊へ緊急要請! 歪みの発生や! すぐに動けるのはヴィオはんらの隊だけなんで、よろしく頼んます!』


 ジェノが小さくシルヴィオの名を呼ぶのと同時に、インカムから緊急要請が入った。こうやって休憩時間に連絡が入るのはよくある事だったが、やはり慣れていないのかバレッタは分かりやすく肩を震わせて驚いていた。


「た、隊長!」


「えぇ、聞こえました。急ぎましょう! アヤメさん、移動の間に詳細をお願いします」


 焦るバレッタの呼び掛けに応じたシルヴィオは、もう既にいつも通りの雰囲気に戻っていた。真剣な表情でアヤメとやり取りをする彼の姿には、先程の激情などは微塵も現れていない。


(……ヴィオさん、無理してないといいけど)


 そんな不気味なくらいにいつも通りになったシルヴィオを見たジェノは、微かな心配を頭の片隅に置いたまま立ち上がり、ラウンジへと駆けていくのであった。

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