『男の重さは何kg?』

『男の重さは何kg?』



僕が大学生の頃、父がいなくなった。


正確な記憶が曖昧であるが、数十年、真面目に会社勤めをしていた父が『寝つけない』と途切れ途切れに弱音を漏らしていたのを覚えている。その後、いつもより強気な母が父に「私は何をしたらいいの?」「そんなこと今までなかったじゃない」「しっかりしてよ」「あなたが働かないと誰がこの家を守るの」「そんな弱気だから部長にいいように扱われるのよ」。そんな風に言葉を浴びせていた。


当時の僕は高校3年だったこともあり、自分も受験勉強に忙しく、家族でなかなか食卓を囲まなかったこともあり、この時期にあまり父と母と深い話をするわけではなかった。だが、明らかに父が精神的に参った状態であることは何となく察することができたし、それに対して母が先行きの不安な気持ちを払拭するかの如く、父に毎日なんらかの声かけをしていたのを覚えている。

しかし、「あなたが休むと私がパートに出なくちゃいけないじゃない」「せっかくの習い事も辞めなくちゃいけないし」「あなたがもっとしっかりしてたら...」と、母が父にかける言葉があまり穏やかではないことは理解できた。


大人は、男は、大変なんだな......と父の置かれた立場を考えると胃の辺りがきゅっとするような閉塞感を感じた。


受験前、父から久しぶりにドライブでも行かないか?と誘われた。ドライブ?この瀬戸際の真っ只中なのに?と言葉を返すと、気晴らしになるからと勢いで車に乗せられた。久々に父の車の助手席に乗ってみたが、ちょっと埃臭いところを除けば、小学生の頃にこの車を買った時の父の喜ぶ顔を思い出した。自分もピカピカの緑の車を見てワクワクしたものだ。

自宅から車で15分ほど坂道を上がると見晴らしの良い丘があり、そこで車は止まった。

2人で車を降りた先に見えたのは、朱く、赤く、そして透き通るような空が広がる綺麗な夕日だった。「ここ、昔、母さんと恋人だった時によく来た所なんだ。みんなから夕日が丘って呼ばれててな。」「そうなんだ」真面目一辺倒の父もそれなりに青春をしていたのだろうか。「人生って、生きてたら、もうなんだか嫌になることがあるけどさ」「うん」「この夕日が丘の景色を見ると、もう少しやってみるかって思えるんだ」「ふーん」「だから、お前も、もう少しだけ、あと少し、やってみろ。お前ならきっとできる。きっと、できるから。」そんな事を話す父の横顔はどこか過去の自分を見つめているようで、父の思いがけない一面を見た気がした。


その後、なんとか滑り込みで世間で一流と呼ばれる大学の志望校に合格した僕は、携帯で父と母に連絡した。


「経済学部!受かったよ!」


母からは

「人生の本番はこれからよ。一流企業に入れるようにしっかり頑張りなさい」


父からは

「よくやったな。お前は俺の誇りだ」

とそれぞれメールがきたのを覚えている。


両親からの激励メールだ。少し嬉しかったのを覚えている。受験勉強はひたすらに孤独で辛く、これが人生を変える分水嶺に立たされていると考えると夜も眠れないことが多かったが、フラフラとよろめきながら粘り勝ちした大学受験だった。そんなこともあり、入学してからも気を抜かず、将来は一流企業に入社するため、シラバスを眺めながら、将来に役立つ教養科目や専門科目をがむしゃらに取り組んだ。


マルクスからケインズ、それからマクロ経済、ミクロ経済、経済に関わる法学、オーラルコミュニケーション、プレゼンテーション、ディベードの授業。サークルは模擬国連を主催しているインターカレッジサークルに所属して、経済で人をどのように豊かにできるかを研究していた。もちろん、週に一度だけの休みを除いて、課題やレポート、小論文に追われる日々でもあった。胃がキリキリするのを我慢しながらそれでも歩みを止めなかった。この日々がきっと、人生を成功に導くためのものであると信じきっていた。


大学3年の頃だった。学部内で1、2の厳しさを争うゼミに所属していたこともあり、その活動の忙しさは苛烈を極めた。今まで教養科目や専門科目の成績を最高評価で収めていたのだが、そんな自分の成績を軽々と乗り越えていく、同期の研究やプレゼンテーション、企業連携プログラムの進捗は誰もが一目置くほどの素晴らしいものであった。ここで僕ははじめて、努力ではどうにでもならない事があることを痛感した。何か次元が違うのではないかと疑いたくなるほど、優秀すぎる彼らはゼミの研究の成績も最高評価を叩き出し、研究室推薦の一流企業の内内定を涼しい顔で獲得した。もちろん自分もその研究室推薦の就職枠を必死に狙っていた。しかし、コツコツと研究を積み上げる自分を横目に、2段3段と飛び越えていく彼らの成績の良さや地頭の良さ、卓越したコミュニケーション能力や論理的思考力を見て、自分の能力の至らなさ、達成できなかったことへの敗北感、努力の質の圧倒的な差を痛感してしまった。どうして彼らと自分はここまで差がついてしまったのだろうと何度も思考する。しかし、何度思考したとして、仮に自分が過去に戻れたとして、どうしても彼らに追いつけるビジョンが見えなかった。"どうあがいても勝てない"という心の底からの敗北を味わった。


時は3年の秋に差し掛かった頃。就職活動用のナビサイトのメールがひっきりなしに飛び込んでくる憂鬱な時期だった。

そんな中、母からメールが届いていた。

「お父さんがいなくなった」

はじめは何を言ってるのかよくわからなかった。父が会社で泊まり込みで仕事をしていたのではないかと思っていたが「いなくなった」との文言が気がかりだった。母にとりあえず電話をしてみた。「お父さんが帰ってきてないのよ。」「会社に連絡したら、出勤していないって」「いつもは電車で通勤なのに、車も無くなってるし...」「警察に捜索願い出してくるわ。」「どうしよう...」

母から吐き出される言葉がどこか他人を探すようなものに感じて、"父がいなくなった"という実感がわかなかった。でも、これはなんだかおかしいのではないかと直感した僕は下宿先からすぐに電車の特急に乗り、1時間かけて地元に帰った。地元の駅前ですぐにタクシーを拾い、自宅へ向かう。

自宅へ向かう中、母に電話をかける。「母さん?父さんが行きそうな場所に心当たりある?」「え、あ、うーん...どうかしら」自分の額に汗が垂れる。なんだか心が落ち着かない。「あの人、ここのところずっと何を言っても上の空みたいな返事しかなくて」背筋に汗が噴き上がる。「ここ最近ずっと夜が眠れないって言ってたけど...」手と足が落ち着かない。

「運転手さん!」「はい!?」

「行き先変更!この坂を上がった見晴らしのよい丘!あったでしょ?夕日が丘!」

「はい、かしこまり...」早く!お願いします!

と叫び、タクシーは自宅を通り過ぎて、あの坂の上の丘に向かった。

10分ほど経った頃だろうか、受験前に父に連れられて来た、あの"夕日が丘"がそこにはあった。かつての綺麗なベンチや休憩所はすっかり寂れており、草はぼうぼうと生え、誰からも忘れ去られた過去の物であるかのように思えた。

周りを見渡すと、微かに視界の端に、緑の車を見つけた。父さん!?ここに来てたのか!と咄嗟に近付くが、中には誰も乗っていなかった。車の行く方向に、暗くなった林が広がる。


嫌な予感がする。手の平から汗がぶわぁっと吹き出して、心拍数が駆け上がる。


この林、この先の林に足を踏み入れてはならない。


頬に汗が落ち、林から冷たい風が吹き付ける。


"僕"はこの林に気づいてはならない。


心臓がこれまでにないほどドクンドクンと脈打つのが手に取るようにわかる。


『"僕"はこの林を見てはならない。』


そんな直感がアイスピックのように脳を貫くと同時に、視界に入って来たのは


父さん"らしきモノ"が


ロープで木から


ぶらんっ


と吊り下がっていた姿だった。


「ひ、ひぃ!け、警察!警察!」

と後ろで騒ぐタクシーの運転手に「救急車!119番!早く!」と吐き捨てる。


おいおいおいおい父さんどうしたんだよそんなところにぶら下がって。こんな所でそんなことするなよ寒いだろしんどいだろと思考が飛び交う中、必死にぶら下がった父を持ち上げる。持ち上げる。持ち上げる。


重い。


重い。


重くて持ち上がらない。


こんなに父は重かったか?と思うくらい、重く、どうしても満足に身体を上げることができない。近くに蹴飛ばしたであろう灯油の缶を持ってきて、登り、もう一度、この"重り"を持ち上げてみる。少し、少しだけでいい、持ち上がってくれ。力を込めて持ち上げるほど、視界の上には、皺の入った首筋に伝うロープが生々しい音を上げながら、ギシ、ギシ、と鳴る。蝿のような羽虫がぶん、ぶんと顔の周りにへばりつく。くそ、気持ち悪い、何度も何度も父を持ち上げようと挑戦するが一向に首は持ち上がったままだ。クソ、なんだよ、もちあがれよ、蝿がうっとおしい、今、もちあがらないと、手遅れになるだろが!なんの臭いだよこれ、どっから臭うんだよ、あぁ!くそっ!いい加減に!もちあがれよ!持ち上がれよ!クソ!


顔の周りで飛ぶ蝿を手で振り払う。


もう一度!持ち上げるんだよ!と両手の力を入れて汚れたスーツのパンツを力尽くで持ち上げた瞬間、ぶぅん...そんな音が耳に触れた時、父の顔にわらわらと蠢く蝿に気付いた時。


唇の中から飛び出た紫色の舌に気付いた時、そして、腐臭にまみれた父"だったもの''の顔を直視した時。


アイスピックに脳を刺されたような直感が確信へと変わった。


父が


父がいなくなった。


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父の葬儀はことが事の為、近親者のみのものとなった。これは家族葬とでも言うのだろうか。


自分が喪主のようなものを務め、母は親族の対応に追われていた。不安そうに、そしていつも以上に忙しそうに。


あの発見の後、母さんに、父さんが首を吊って自殺したことを電話で告げると「え...なんで...どうしてよ...」とこちらが問い詰められるような形で返され、そんなの自分が聞きたいよと叫びそうになるのをぐっと堪えた。救急車が駆けつけて、救急隊員がロープを切って、父さんを下ろすと、白く固まった身体を確認し「やっぱり固まっていたか...」と声を漏らした。その後、意識も呼吸も脈拍も消え失せたことを確認し、「ご愁傷様です」と答え、帰っていった。法律上、死んだ人は救急車に乗せられないのだという。その後すぐに駆けつけた警察にも父の最近の様子について話を聞かれたが、これといったこともわからず、ぐったりとした疲労感の中ただひたすらロボットのような答えを返していたと思う。


エンバーミングされ、棺桶の中に入った父は何かの蝋人形のように見えた。普通と違う所は首筋のロープの跡と収まりきらなかった舌、そして、冷たく、白く染まってしまった身体だろう。


近くの寺の住職が葬儀の段取りで読経をしている中、焼香を行ったが、この儀式に一体何の意味があるのかと思考する。おそらく、葬儀というものは、死者に対する儀式というより、生前に関わった人が住職の読経を聴き、焼香を行い、死者と別れをする為の儀式ではないかと思ったりしたが、住職の口からこだまする読経も、焼香も、すすり泣く親族の声も、ただただ困惑しているだけの母の姿も、自分にとってはただの気休めにしか思えず、あの時、林で持ち上げた重みが父の姿の本物の実感であったと思う。


全ての読経が終わった後は、地味な霊柩車にこの棺を乗せることになる。出棺の儀だ。近しい親族の中で、男がこの棺をせーのと、持ち上げ、霊柩車の後部に乗せるのだ。多少見知った親族の顔ぶれの中、自分は棺の先頭の右手の取っ手に手をかけた。せーの、で持ち上げるが、これが本当に重く、人の重さというものはどこまで変わるのだろうと疑問に思ったが、父をあの林で持ち上げた時の重さと近いものがあり、これが人の本当の重さなのかと自分の手と腕と肩と身体が思い知った。


出棺の挨拶の際、事前に用意していたテンプレートのような紙の上の文字を読み上げ、ご足労いただいたことに感謝を申し上げていると、遠目にこちらを向いている喪服姿の男女が複数人いた。おそらくは父の会社関連の人か、部下か、上司であろうか。そういえば、父は会社で慕われていたのだろうか。彼らはどんな思いでこちらを、父だったものを見つめているのだろうか。そんな事を思いながら紙に書かれた挨拶の文字を読み終え、出棺の儀が終わった。


火葬場まで数十分。車内は静かだった。

その間、母は静かにうつむき「何でこんなことになってしまったの...」と言わんばかりに憔悴していた。自分は何も言わなかった。言うことができなかった。これが男の生き方なのかと疑問だった。そういえば、昔、教育テレビで、昆虫の雄のカマキリは雌のカマキリとの交尾の後、食べられてしまうことを思い出した。所詮、人間が人権だなんだと言おうが、男は男、女は女。男は最後はカマキリみたいに用済みになるのか。それが男という生き物の巡り合いの一部なのだろうか。

そんな事を考えている間に火葬場に到着した。


火葬炉の前で、住職が最後に読経を読み上げ、手を合わせ、焼香を済ます。


火葬炉に入れる棺はずるっとベルトコンベアのように吸い込まれ、人生の扉を閉められる。


父、49歳。これで、終わり。


終わり。


これで、父の今までの苦労も努力も全てが終わり。


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父のお骨拾いは自分が率先して行った。

骨壷に精一杯詰められるように。

白いカルシウムの残骸と変わり果ててしまった父は、箸でつまめるほど軽かった。少し丈夫な発泡スチロール?と思えるほどの重さだった。


これが、父の、49年間、生きてきた重さなのだと否が応でも実感させられる。


何度も感じてきた父の重さ、重さ、重さ。


その重さが、ここまで軽くなってしまうと現実感がなかった。何か映画の小道具でないかと疑いたくなってしまう。


この骨って、灰って何kgなんだろうか。


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大学の最後の学費は父の保険で賄った。

自分はあの後、ひたすらに卒論に没頭した。

少しでも父の事を忘れたくて取り組んだ。


母はあれからどこかいつも不安げな表情をしながら、色んな人に連絡をとっている。その中に母の大学時代の恋人のような人がいたのを自分は見過ごさなかった。


父と母の間に何があったのか、起こってしまったのか、そんなことはもう過去の話になってしまった。この事を知っているのは、おそらく、父と母、そして、母の過去の友人、そして自分くらいだろうし、そこを詮索しても、父が死んだことには変わりがない。どんな出来事を掘り起こしても骨となり灰になった父はもういないのだ。考えないことにした。


卒論を書き終えて、所定の単位を取得した。


その後は怒涛の就職活動だ。


昨今の就職活動は受験者のそれまで生きてきた中での自分軸やら自己PR、志望動機、社会貢献、成績表、性格テストなどが多く課せられる。これは、それまで本人が受けてきた教育への成績と過ごしてきた時間の対価が問われる裁判なのだろうか。企業の採用人事は神なのか。一体、就職ってなんなのだろうか。就活生の自殺が1年で200人を越えたとニュースで片耳にしたことがある。就活生は社会への門を叩く前に自分を責めて自分の未来に絶望して自ら死を選んだのに、人事は誰1人として死んでないよな気がする。なんとなくだけど、人事は死なないんじゃないかな。聞いたことないや。そういえば、就活記事なんてのに、「就活は会社と就活生の立場は対等」で、「マッチング」、「お見合いの場所」だと宣伝されていたが、本当にお見合いなんだろうか。片方が生殺与奪権を握っているような状況に「お見合い」なんて綺麗な言葉はグロテスクすぎやしないだろうか。

それに、就活生はこうした綺麗事をCMで宣伝するだけの就職マッチング企業の喰い者にされているんじゃないだろうか。我々就活生は、企業側に出荷される人間商品として、スーツを買わせられ、攻略本が存在する試験を受けさせられ、同じような問答を面接で披露する人間商品。労働力としての人間商品なのではないか。


でも、そんな事を考えている暇はない。今までの人生を無駄にする事なく生きていけるように行動する。行動あるのみなのだ。一流の企業に入る方法以外は、考えている時間なんてない。


周りから後で言われたことだが、あの時の自分は死んだ目をしながら、必死にビジネススマイルで頭を掻きむしりながら就職活動をしていたそうだ。そういえば、この頃から自分の爪と指の皮膚を噛みちぎる癖が生まれたように思う。ぶちっと、皮膚を噛みちぎる。爪を削いでいく。時折、たらんと自分の血液が出てるとなんだか安心する。なんか自分のような人間でもちゃんと血が通っていて、人形や機械ではないんだなと実感できるからなのかもしれない。

そんな半狂乱の狂人でも、大学名と卒論の出来、そして、ビジネスマンとしてふさわしいビジネススマイルを演じたことが功を奏したのか、なんとか大手企業の営業職に就職した。


そして、現在、自分は入社7年目の営業マンを続けている。死んだ心でも日々の営業をこなし、一定の成果を出す。たとえ風が吹こうが嵐が来ようが、営業活動を行い、お客さまに成約させて、数字を出す。簡単な仕組みだ。できなかった奴は徐々に肩身が狭くなって、精神的に孤立させられ、心を病んで辞めていく。仕方ない、これが営利社団法人、資本主義の仕組みだ。ルールのあるゲームをプレイしている以上、負けたプレイヤーがルールに文句を言うのは何か違うような気がするのだ。


そんな日々を過ごしていると、物好きな人もいるもので、彼女と呼べる女性と関係が生まれた。彼女は中堅の大学を卒業したが、就職難の中、派遣社員でウチの会社で事務の仕事をしている。愛想が良く、笑顔も可愛く、周りの男性陣からの評価が高い中、なぜかこんな自分が好かれてしまった。あぁ、どうしようか、参ったな...と思っている間に、女性社員の中で彼女との噂が広まったのだろう。知らない間に別の女性社員から「良かったですねぇ」と声をかけられたり、自分と彼女との関係を陰で噂をされる事が多くなった。


一流大学卒業、大手企業営業職、笑顔が可愛い彼女がいる。


この字面だけで、他人は自分のことを羨むのだろうか。嫉妬したりするのだろうか。


正直な話、仕事さえしていればお金は入ってくるし、ボーナスも入る。資本主義社会での武器は金だ。非正規雇用、派遣社員など、定期的にお金が入る人が少なくなっている中、しっかりした金額を稼ぎ、タバコやギャンブルをせず、浪費を嫌い、貯金に励む自分はおそらく恋愛市場において悪くない物件だという事なのだろうか。


大学同期の友人には「大手企業の営業マンで、可愛い彼女までゲットしやがって!勝ち組か!」と茶化される。自慢したつもりがなくても、近況を聞かれる度に、現状を答えると羨ましがられる。


年収は30代手前で550万円ほど。福利厚生は整ってあり、会社の業績は右肩上がりで悪くない。十分すぎるほどの待遇だ。貯金額は...細かく数えていない。最低限のお金を使い、残ったお金を全額口座にぶち込んでいるだけだ。たまに銀行から金融商品を勧められるが、規約やら何やら細かい文字を読むのは疲れるので断っている。営業スマイルを使えば、勧めた相手もそこまで嫌な気持ちにならない。そう、これでいい。


入社して7年ぽっちだが、辛い時も、成績が出ない時も、この営業スマイルを演じる事で乗り切ってきたのだ。これは処世術。世渡りに必要な技術なのだ。


『営業スマイル』と聴くと嫌な顔をする人がいるが、一体、何の問題があるのだろうか。誰しもがその時々の顔を持って時を過ごし、世を渡っているというのに。


しかし、ここ最近は、うっすらと頭痛に襲われる事が多くなってきた。この痛みは一度感じると時間が経つ毎に勢いが増し、立ちくらみや胃液が逆流しそうになる。この対策として、海外サイトで買ったロキソプロフェン(頭痛薬)を飲むようにしている。これを飲む度に自分は薬学に感謝している。少しでも頭痛のキツさを忘れさせてくれるからだ。


だが、この頭痛が地味に厄介で、痛すぎて吐き気に苛まれている時は、熱も上がらず、他の症状も表立ってでないので、人には理解してもらえない。ただのサボりだと勘繰られてしまうのだ。


頭痛を測る、頭痛計みたいなものを誰か作ればいいのにと思う。そうするならば、このどうしようもない頭痛の発作を会社に、取引先に申告できるというのに。


そして今は頭痛の他に、食欲が日に日に薄れていく実感がある。ここ最近は何を食べても味が薄く、どうも咀嚼に耐えないのだ。そこで自分は味が薄く、咀嚼しても感覚が薄いのならば、ゼリー飲料でいいと判断した。最近は1日1回だけゼリー飲料で食事を終える。なぜ人はあれだけニコニコと物を食べることができるのか。今となっては不思議でならない。


食といえば、飲む、呑む。『呑む』だ。

酒は社会人になってからよく呑むようになった。特にロキソプロフェンと共に呑む酒はこれ以上ないほど心地良かった。ロキソプロフェンと酒を胃に流し込んだ数分後に、少しだけ力が抜けるのだ。この瞬間だけは世界を少しだけ許せる気がした。


しかしながら、ここ最近は、ロキソプロフェンと酒を飲んでも寝つきが悪くなった。いや、寝つきが悪いというより、ただ、単純に眠れなくなってきただけかもしれない。


真っ暗な部屋の中、テレビをつけていると、転職、派遣、サラ金、バイト、カードローン、酒、タバコとCMがやかましい。いつからこの国の民放は転職と派遣と借金に支配されたのか。誰もこの状態に声を上げないのが不思議でならない。陰謀がどこかにあるのではないだろうか。


でも、ここ最近はそれすら気にならなくなった。全ての映像なぞ、ただの情報であり、そこに意味を見出しているのは人間だけなのだから。犬が見てもなんのことかわからない。それと同じ。だから、本当はどうでもいいのかもしれない。


しかし眠れない。眠れない。眠れないのだ。

ロキソプロフェンに飽き足らず、海外サイトで睡眠薬を注文し、それを何錠かまとめて酒と共に呑む。それが多分、今の自分が眠るための条件なのかもしれないと考えている。


たまに夜中に叫びたくなる衝動に駆られるが、自分は大手企業の営業マンであると言い聞かせて、のみこむ。酒と睡眠薬と衝動を一度に飲み込む。飲み込むのだ。自分は立派な社会人なのだから。会社でも成績はしっかりと残しているのできっと問題はない筈だ。


そういえば、いつの間にか噂を立てられ、付き合っていた会社の彼女は、取引先の企業の営業マンと浮気をしていた。発端は彼女が送ってきた間違いメッセージだった。


自分の名前ではない、別の男の名前をハート付きで呼び、『次は私の家でしようよ』と猫撫で声が聞こえてきそうな文面だった。


その後に続いてきたメッセージには「弟に送ったのを間違えた」ときた。どこの世界に弟に猫撫で声で媚びるメッセージを送る姉がいるというのか。それによく思い出せばお前は1人っ子だろ。そう要点を書き上げて送る。その返信には『最低』の2文字が綴られていた。


次の日から、会社で自分の立ち位置に少し違和感を感じるようになった。なにやら女性社員の目線がきつく、いつもの営業スマイルで挨拶をしても無視をされてしまった。仕事をしていく中で、元彼女が「無理やり襲われた」「ストーキングされた」と他の女性社員にありもしない事実を吹聴していたことに気付いた。何故ありもしない事実を吹聴される筋合いがあるのか?と考えたが、現代の日本では、女性のお気持ちの訴えは仮に事実と大きく乖離していたとしても、深く検討はされず、社会的に真摯に受け止められることが求められ、告発された者はひたすら弾圧されるのだと痛感した。


ここ数日は客先のトイレを拝借する事が多くなってきた。胃酸過多なのか、大して何も食べていないのに、口から吐瀉物が出てくる。ちゃんとその後にケア用品でケアするので問題はないが、トイレの鏡に映る自分を見て、はて、自分はここまで青い顔をしていたのだろうかと疑問に思ったが、気のせいだろう。


21時、ようやく商談を終えて、今日は直帰だ。


ゆらめく人々の流れを見て、つくづく思う。

この流れの中では、しっかりした息をするのがやっとなくらい難しい。そんな世の中なのだ。みんなどんな風に息をしているのだろう。


ここ最近は、人混みを歩くたびに色んな人の情報量に驚かされる。少しでも気を許したら、ぎゅるんと脳内にあらゆる情報がアイスピックのようにザクザクと突き刺さることだろう。それほどの人、人、人、電車、タクシー、電車、人、人、通り過ぎる電車、人


人、人、子供、大人、人、人、人人人人、電車が通過、人、扉から出てくる人、ぶつかってくる人、なにかをわめいている人、忙しそうな人、嬉しそうな人、泣きそうな人、人、人、人人人人人。


足の力が自然と抜けた。ちょっとここ最近はふらつきが多くなったからであろうか。

体の脱力に身を任せ、駅のホームにペタンと崩れる。


ふと見上げると向かいのホームに大きな看板の広告があった。「これでキミもモテ男に!計算されたダイエットでスマートな身体をあなたに!」油でテッカテカに照らされたマッチョな男が笑顔で微笑んでいる。ダイエットでスマートな身体を...ねぇ。彼はおそらく職業マッチョだろうに。筋骨隆々な彼の体重は何kgなのだろうか。


そういえば、平均的な30代の男の重さは何kgなのだろうか。重さとはなんだったのだろうか。真面目さを重いと考える女性も多いと聞いた。では、真面目にしか生きられない男はどうすれば良いのだろうか。そんな男の重さは何kgなのだろうか。


そういえば、父の重さは何kgだったのだろうか。あの時の重さは何kgだったのだろうか。測っていないのでわからないし、もう思い出すことさえ叶わないが、あの時の父の重さは何kgだったのだろうか。死んだ後の、父だった骨と灰は何kgだったのだろうか。


そして、自分の重さは何kgなのだろうか。


この世の中で上手に生きていくだけに必要な重さは何kgなのだろうか。


父の重さは、僕の重さは、何kgなのだろうか。


僕の重さと世間の重さと父の重さと僕の生きていくための重さは何kgなら許されたのだろうか。


僕の重さは何kgなのだろうか。

重いのだろうか。軽いのだろうか。


僕の重さは何kgなのだろうか。


何kgなのだろうか。



『男の重さは何kg?』


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男の重さは何kg? @teriyaki_kei

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