第3話 独裁者

 フチン共和国、首都トロイアにそびえるグリム宮殿、大統領専用会議室……。イワンは、首相ピエール、国防大臣ミカエル、内務大臣ビクトリア、外務大臣アンドレ、法務大臣エフゲニー、運輸大臣アレクセイ、財務大臣コンスタンチン、公安局長ドルニトリーといった、ユウケイ民主国侵攻に関わる閣僚を呼び出していた。彼らは20メートルもあるテーブルの向こう端に身をすぼめて座っていた。その距離は権威の差であり、精神的な距離を象徴している。


「戦況はどうなっている?」


 イワンは8人の大臣に向かって訊いた。


 7人の大臣の視線がミカエルに集まる。


「ハッ……」


 彼は返事をしただけで、視線をテーブルの資料に落とした。


「今日にもセントバーグは陥落する計画だったはずだが?」


 イワンは問い直した。


「ハッ、それが生憎の天候と予想外の抵抗の強さで……」


「天候? 世界最強の我フチン軍が、天候ごときで作戦に支障が出ているというのか。まして敵の反抗などは想定内のはず。違うかな、ドルニトリー君?」


 矛先を向けられたのは、国内の治安活動だけでなく、海外の諜報活動まで一手に担う公安局長だった。


 突然指名されたドルニトリーが慌てて話しだす。


「はい。実はドミトリー大統領が……」


「あいつに敬称はいらん!」


 イワンは思わず怒鳴った。それから自分がいら立っていることに驚き、腰の位置を変えて大きく息を吸った。


「申し訳ありません……」ドルニトリーが起立して頭を垂れた。「……ユウケイのドミトリーの支持率は20%ほど、国民はもとより、軍も真剣に戦うことなどないというのが、諜報部の分析結果です」


「そういうことだよ。ミカエル君」


「ユウケイ国軍へは、西側諸国から最新兵器が大量に供給され、それが軍の士気を高めているのではないかと推測します」


「敵が最新兵器を使用するなら、こちらもそうすればいい。クラスター爆弾、気化爆弾、自立ドローン。戦力の違いを見せつけて、早々にユウケイ国軍のクーデターを実行させよ。ドミトリーを殺せ。それだけでユウケイは瓦解する。勝負は大地が凍結しているひと月だ。その間に、全土を掌握しろ」


「ハッ、ご命令の通りに……」


 ミカエルが起立し、敬礼した。


「それで諸外国の反応だが……」


 イワンは外務大臣のアンドレに目を向けた。


「国連の動きは想定内です。西部同盟の動きは若干ですが、想定より過敏なものとなっております」


「そんな報告ではどうにもならんよ。アンドレ君、具体的に話せ」


 この間抜けが!……胸の内で唾を吐きかけた。


 大臣たちの中に緊迫感が走る。イワンには、彼らの心臓の鼓動が手に取るようにわかる。


 バカ者どもが……。イワンは軽蔑する。


「国連は我が国に対する非難決議を可決しました」


 アンドレが言った。


「阻止できなかったのか?」


「東亜大公国など10数か国は反対や棄権に回ってくれたのですが……」


「フン、西の奴ら目が……。まあいい。東亜とは話ができている。ワントゥ総統は戦後の支援を約束してくれている。彼の国には天下三分の計というのがあるそうだ。西部同盟をバラバラに分解し、我が国、東亜、ライスの三国で世界を分け合おうということになった。その心づもりで当たれ」


「さすが大統領、おそれいります」


 アンドレは追従ついしょう笑いを浮かべ、他の閣僚はホッと胸をなでおろした。


「国内情勢は?」


 イワンはドルニトリーに目をやった。


「都市部で反戦デモもが少々……」


 歯切れの悪い言葉だった。その理由をイワンは知っていた。街に出ることの少ない自分をおもんばかってのことだと。


「世間を知らない若者ばかりだろう?」


 市民の中に自分に対する反発があるのは知っていた。しかし、そんな国民を生み出すのは、全て政策が悪いからなのだ。大臣たちが有能なら、国民は安堵し、反発も疑問も持たず、従順であるはずなのだ。


「大統領のおっしゃる通りです。ご明察、恐れ入ります」


「ネットで情報を得るなど非国民のすることだ。対策を取っているのだろうな?」


「手当たり次第に刑務所にぶち込んでおりますが、デモは拡大傾向で苦慮しております」


「そうだな……」


 少し考えた。東亜大公国という専制君主が思うがままに舵取りできる理想のモデル国はあるが、東洋人とフチン人ではDNAも文化も違う。熟慮すべきところだった。そうして二つの対策が浮かんだ。


「人は、優しい父親と恐ろしい母親との、どちらに従うと思う?」


「は?」


 ドルニトリーが首をかしげた。


「恐怖を与えろ……」イワンは命じ、話を続ける。「……母親だよ。優しいものは無視しても怒らず、彼から不利益を受けることはない。一方、恐ろしい者を怒らせたらたちまち困難に直面する。だから、人は恐ろしいものについていくことになる。君たちだってそうだろう。私に逆らったら、命が危うい。だからそうやって静かに私の指示に従っている。……それでいいのだよ。私に従っていれば君たちは安泰だ。生命が守られるばかりか、富まで得られるのだからな」


 みどりの瞳のビクトリアに目をやる。美しいだけでなく懸命で上昇志向の強い女性だった。権力に近づくためなら、毒も剣も飲み込むだろう。だから彼女を内務大臣にしてやった。


「ビクトリア君、君はフゲニー法務大臣と協議してSNSと独立系放送局から垂れ流されるフェイクニュースの統制をおこなうのだ。同時に従前通り、我々の軍はユウケイ国内でしいたげられ、差別され、命の危機に瀕しているフチン系国民を解放に向かっている解放軍だ、と徹底的に報じさせろ。無知な大衆は信じられるものを求めている。それが真実である必要はない。気持ちの良い正義であればいい。そのためにメディアを締め付ける必要があるなら、そうせよ。君らに任せる」


「承知しました」


 ビクトリアとフゲニーが了解するのを確認してから、イワンは口を開いた。


「大衆は愚かだ。政府を批判し、自ら不利益さえこうむろうとするのだからな。彼らからは反抗する道具と情報を奪い、厳しく当たれ。そうすれば、君たちの言うことを素直に聞く。それが、君たち自身を守ることでもある。で、経済情勢だが……」


 財務大臣コンスタンチンの赤ら顔に目を向けた。


「コンスタンチン君、ウオッカの飲みすぎではないのかね?」


「私はビール党でして……」


 彼の言葉を、机をたたいて遮った。


 ――バン!――


 大音が会議室に広がり、手のひらがジンジン痛んだ。


「申し訳ありません……」立ち上がったコンスタンチンが、諸外国の経済制裁が実行にうつされたため、今後、フチン国通貨の下落と輸入物資の高騰が推測されると述べた。


「で、どうするのだね。諸君?」


 イワンはテーブルむこう端で視線を落とす大臣たちの返事を待った。


 あいつらは何も話そうとしない。それはいいことだ。つまらぬ時間を使わなくていいからだ。だからといって、報告がないのは困る。何も言わないなら舌などいらない。……仕方なく口を開いた。


「……国内経済が悪化したら、それは君の責任だよ。コンスタンチン君」


 そう宣言して席を立った。


「無茶だ……」


 顔を青くしたコンスタンチンが崩れ落ちるように腰かけてつぶやいた。同情する視線が彼に集まる。が、擁護する者はいない。


 コンスタンチンのつぶやきも他の大臣たちのため息も無視してイワンは会議室を後にした。閉まったドアの音が、死刑宣告のように響いた。


「外務大臣、各国の経済制裁解除交渉を、早急にお願いします」


 コンスタンチンがすがるように言った。


「今は、とても無理だ。せめて戦況が我が国に有利だったら……」


 アンドレが国防大臣に目を向けた。ミカエルは首を横に振った。


「ならば、東亜のワントゥ総統の口から世界に、今後も我が国との貿易は続く、と話してもらうよう外交ルートで交渉してほしい。彼の国の通貨なら、国際的信用がある」


「それはどうだろうな。東亜も、今のわが国と同一視されることは望まないだろう。むしろ、我が国が窮地に陥ってから、買いたたくつもりではないのかな?……一応、交渉はしてみるが……」


 アンドレの話にその場の空気が重さを増した。それからいくつかの言葉が交わされたが、よどんだ空気を晴らすものはなかった。


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