第28話 【番外編】小さな恋の物語

 その日も紫乃は、夕餉ゆうげの支度をするために御膳所に向かっていた。

 本日は良い大根が入って来ていたので、柔らかく茹でた後に上に味噌を塗って辛子を乗せ、風呂吹き大根にでもしようかと考えている。

 直前まで蒸し器に入れておけばあつあつの風呂吹き大根を出せるし、きっと凱嵐がいらんもさぞ喜ぶだろうと考えて紫乃はにんまりとする。

 作った料理を食べる凱嵐の顔には、「美味い!」という気持ちが前面に現れており、こちらとしても作り甲斐があると言うものだ。花見もそうだが、美味い美味いと食べてくれる人がいると「よし、もっともっと美味いものを作ろう」という気持ちにさせてくれる。

 天気も澄み渡る青空で、まだ空気は冷たさが残っているが春の気配が感じられるし、非常に心地のいい日だ。

 と、紫乃がご機嫌で宿舎から御膳所までの道を歩いていると、前方の木陰に何やら隠れている人物を見つけた。短く刈った茶色の髪、大柄な背中を丸めており、その身には紫乃と同じく柿色の着物と藍色の帯、そして白い前垂まえだれをつけていた。

 そっと近づくと、背伸びをして手を伸ばし肩を叩いてみる。


「旦那、何してるんだ? 昼餉ひるげはもういいのか?」

「…………うお!?」


 急に声をかけられてびっくりした昼餉の旦那は、彼にしては珍しく大きな声を上げた。そして背中をふり仰ぎ、そこにいた紫乃をぎろりと睨みつけた。

 紫乃はそんな旦那に構わず、彼が見ていた視線の先を追いかけると、そこには毒味番の美梅みうめが井戸のそばで柄杓ひしゃくに水を汲み、手を洗っている姿があった。


「美梅だ。何か用があるのか?」

「…………」


 旦那はむっつりとした顔のまま何も言わない。紫乃が旦那の手元に視線を落とすと、そこには皿に乗った可愛らしい生菓子が。一口サイズの生菓子は梅の花の形に整えられており、薄桃色の餡で出来ているようだ。


「可愛い。美梅に渡すの?」

「いや……その……」


 旦那はいつも以上に歯切れの悪く口をモゴモゴとさせ、生菓子と紫乃と美梅の顔とをかわるがわるに見つめ、その場で足踏みしている。

 そうこうしているうちに美梅は井戸でさっさと用事を済ませようとしていた。


「早くしないと行っちゃうよ」

「いや……あの……」


 しかし旦那は足踏みし続けるだけで、行こうとしない。

 一体何をそんなにまごついているのか。みかねた紫乃は、旦那の広い背中をぐいぐいと押し、木の陰から旦那を押し出した。


「ほらほら、まどろっこしい事してないでさっさと行きなよ」

「おい、やめろ……!」

「ほらほらほら、行って来なよ」

「うぉっ、おおうっ」


 抵抗していた旦那だったが、紫乃が万力を込めて尻に体当たりをした事でとうとう木陰から出て行った。

 片足でけんけんしながら生菓子を落とさないようにバランスをとりつつまろび出てきた旦那に気がついた美梅は、「あら、旦那じゃないの」と言って立ち上がる。

 紫乃はその様子を、先ほどまで旦那が隠れていた木陰から見守る。


「そんな所で何やってんの?」

「いや、あの……」

「あら、素敵な御菓子持ってるじゃない」


 なおもモゴモゴする旦那の手元に注目した美梅が、そう感心したように言う。

 旦那は意を決したように両手を勢いよく突き出すと、一息で言った。


「いつも毒味を、ありがとう……よかったらこれ、食べてくれないか」

「アタシに?」


 目を見開いた美梅に、旦那は首をガクガクと縦に振った。


「毒味番、大変だろ。たまには心置きなく、美味い物を食べてほしい。……味は、保証する」


 美梅はしばらく驚いたように固まっていたが、やがて口角を持ち上げ、旦那が捧げ持つようにしている皿を両手で大事そうに受け取った。


「ありがとう。頂くよ」


 するとその場で菓子を人差し指と親指でつまみ、パクリと品よく齧る。


「うん。美味しい。さすが旦那だね」


 指についた菓子を舐めとり、美梅はにこりと笑った。いつ紫乃に会ってもツンツンした態度をとっている美梅からは想像のできない、平和な笑顔であった。


(あんな顔も出来るのか)


 意外すぎる一面に、紫乃は思わずそんな感想を抱いた。

 美梅の感想が嬉しかったのか、旦那がいつもよりうわずった声で言う。


「また、作ってもいいか?」

「勿論。アタシ、甘い物好きなんだ。陛下は甘味をあまり召し上がらないだろ? こうして旦那から貰えると嬉しいよ」

「そうか……!」

「さ。昼餉の後片付けがあるだろう? 手伝ってあげるから一緒に行こうじゃないか。何せ夕餉の小生意気な娘が、毒味番は必要ないなんて言うもんだから暇なんだよ」


 美梅に促されるまま、旦那は御膳所に戻っていく。

 と、ちらりとこちらを見た旦那と目線があった。旦那は紫乃に軽く会釈をすると、そのまま御膳所へ入っていく。

 紫乃は二人が去って行ったのを見届けると、木陰から出た。


「いい事したな」


 二人がどんな仲なのか知らないが、ともかくなんかいい事したなぁ! という気持ちになったのだった。

 そうしてこの出来事を経て、美梅の態度は相変わらずつっけんどんだったが、旦那は紫乃に少々優しくなったのは言うまでもない。

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