【1/25書籍1巻発売】皇帝陛下の御料理番

佐倉涼@1/30もふペコ料理人2巻

天栄宮

第1話 田舎娘、美貌の男を(やむを得ず)助ける

「ーーーー!」

「ーーー!!!」


 声が遠くに感じる。向けられている弓から放たれた矢を空中で器用に避けた。

 落ちながら、しくったなと考えた。

 背中に衝撃を感じ、ドボっと音がして、自分が川に落ちたのがわかった。

 ああ、ここで死ぬのか。

 死ぬ前にーーもう一度、温かい料理が食べたかった。


+++

 

 ぶち模様の猫の耳がピクリと動く。ゆらゆらと、二股に分かれた尻尾が揺れた。


「紫乃、誰か流れてくるにゃ」

「え?」


 猫又妖怪ねこまたようかい花見はなみに言われて紫乃しのが顔を上げると、なるほど確かに上流から何者かが流れてくるのが見えた。

 うつ伏せで流れてくるその人物はあからさまに、普通の人間ではない。

 頭頂部で結った髪は庶民ではあり得ぬほど黒々としており、水に濡れて尚、艶やかで真っ直ぐ。

 身につけている衣服には金糸銀糸がふんだんに使われており、その素材は絹であろう。何よりもその衣の色が、この男の身の上を物語っている。

 水を大量に吸った衣服はぐっしょりしており、そのやんごとなき身の上の人物が生きているかどうかは定かではない。

 紫乃は身構えた。今しがた洗いにきた野菜を籠に戻し、立ち上がる。


「どうする? 生きてるかにゃ……」

「放っておこう」

「にゃ?」

 花見は虚をつかれたかのように、流れてくる人物から目を離して紫乃を見た。

「見捨てるの? ワテの時は助けてくれたのに?」

「花見の時とは状況が違いすぎる。関わらない方がいい」

「あ、待ってにゃ」


 そうして踵を返して歩き出そうとした、刹那。

 右足首をぐっと掴まれた。


「…………!」

「…………おい、待て。普通……助けるだろうが」


 死人のように冷たい指であったが、存外力強い。

 振り返ると、流れてきた人物が、川縁から紫乃の足首を掴んだまま睨みつけていた。眼光は鋭く、目には生気がみなぎっている。その顔は、滅多にお目にかかれないほどの美貌を有していた。


「俺を……助けろ」

「チッ」


 助けられるはずの立場であるその男に命令され、紫乃は思わず舌打ちをした。




 真雨皇国しんうこうこく屹然きつぜん。皇帝の住む皇都、雨綾うりょうにほど近い山間に、神来川じんらいがわという名前の川が流れている。

 山は雨綾と西の大都市、光健こうけんを阻むようにそびえており、直線で行けば近いとわかっていつつも、その山道を使おうとする者はいない。

 山はそれほどまでに険しく、一度迷えばまず生きて出てこられない魔境であった。

 一説には険しすぎて猿すら住まないと言われているらしいのだが、確かにこの場所で紫乃が猿を見たことは一度もない。虎や猪ならば頻繁に見かけるのだが。

 その山間、神来川じんらいがわの近くに、紫乃と花見は居を構えている。掘建て小屋には部屋はひとつしかない。板を張り巡らせた簡素な部屋の隅には囲炉裏いろり。そして箪笥たんすが一つだけ。しかし小屋には、妙に立派な調理場所ーーくりやがあった。

 火を起こした竈門かまどの上で鉄鍋てつなべが湯気を立てている。

 紫乃は中身を、わんの中へとすくった。


「ほら」


 紫乃は不承不承といった顔で、腕を先ほど助ける事になってしまった男へと押し付ける。

 男は肩にかかった髪を手のひらで退けると、腕に顔を近づけ、匂いを確かめた。白茶色の穀物、真ん中に梅干が乗っている。


「麦粥か」

「見ればわかるだろう。それとも高貴な身の上ではこんな粗末な飯など食えぬと言うか?」

「な……そんな事は申していないだろ。というかお前、存外に無礼だな。俺を誰と心得る」

「誰であろうと関係ないね。勝手に転がり込んできた、迷惑人だ」

「この俺を前にしてそこまで言うのは、お前が初めてだ」


 男はさも心外であるかのように目を見開くと、さじかゆすくい、まだ熱いそれを口の中へとき込む。

 途端、顔つきが変わった。


「…………!?」

「何だ、どうした。庶民の食い物は口に合わなかったか? 吐き出したら、この場でお前を殺して食糧にしてやるぞ」

「そうではない! ……美味い……」

「ならば良い」


 紫乃は胡座あぐらをかいて腕を組み、顎をそらしてふふんと得意げな顔をした。


「年頃の娘がそのような座り方をするのは良くない」

「怪我人の分際で、やかましい」


 男の言葉に、紫乃は得意満面な顔を即座に渋面に変えた。

 男は戸惑ったように視線を彷徨わせ、ボソリと言葉を漏らす。


「この粥は、誰に教わって作った?」

「誰にも。自分で考えた」

「それは真か」

真雨皇国しんうこうこく雨神あまがみに誓って」


 紫乃が神妙な面持ちで頷くと、男は「そうか」と言い、そのまま麦粥を一気に食べる。そうして腕をずいと突きつけた。


「お代わりだ」

「…………よく食べる怪我人だ」


 仕方なしに、しかし料理を褒められて悪い気はしない紫乃がお代わりをよそって持っていくと、部屋の隅にいた花見がにゃあと鳴く。

 男はそちらに目線を動かした。


「猫又か」


 花見はゆらゆらと尻尾を揺らしてから首を傾げる。そうしてもう一度にゃあと鳴いた。


「ごまかさずとも、姿は見えている」


 鋭い視線を投げかけると、花見はてててて、と歩いて男の側まで近寄り二本足で立ち上がった。


「にゃあ。良い眼を持っているな」

「そうでないと、俺の仕事は務まらん」


 言葉に反応したのは、紫乃だ。

 ずぶ濡れになっていたので脱がせ、囲炉裏の上で干している男の衣服にちらりと目をやる。その色はーーこの国でもごく限られた人間にしか身に纏えぬ、高貴なる色、蒼。しかも男が着ていたのは薄く淡く、雨粒のように儚い水縹色みはなだいろ。これが意味するところを考えそうになり頭を振った。

 今際の際の母の言葉が脳裏によぎる。


『良いか、紫乃。この場所にやんごとなき身分の人間がやって来たら、迷わず追い返せ。その者はもしかしたら、お前の命を狙っているかもしれない』


 人っ子一人現れないこの地にそんな人間が来るものかと思っていたが、まさか本当になるとは。

 逃げようとする紫乃の右足首を掴んだ男は、自力で川から這い上がり、紫乃の肩をがっしり掴むと「俺を助けろ」と再び言った。

 まるで子泣き爺のように離れない男に根を上げて、ついに小屋へと連れ帰ったのが半刻一時間ほど前の話である。

 全身の衣服をひんむくと、逞しい筋肉のついた体には無数の傷跡がついていた。

 崖から川へ落ちた時にできた傷だろう。しかし致命傷となるような傷はない。

 乾かすために解いた黒髪ははらりと胸元にかかり、無理やり着せた明らかに丈の合わない紫乃の夜着からは、長い手足が伸びている。

 尋常ではない色気を醸し出す美貌の男に、紫乃の心は少しもなびかなかった。

 どうせなら死んでくれればよかったものを……全くややこしい事に巻き込んでくれたなと紫乃は内心の苛立ちを隠せずにいた。


「ほら」

「かたじけない」


 礼を言って腕を受け取った男は、再び中身を一気に啜る。

 男の横には、豪奢な刀が一振り、置かれてあった。


(隙がないな)


 にゃあ、と鳴き声がして花見がこちらを見ている。紫乃は短く首を横に振った。

 いくら花見の力とて、この男に勝つのはきっと重荷だ。どうにかして油断を誘わなければ。

 結局男は、都合五杯もの麦粥を食らってから大の字に横たわり、そのまま寝息を立ててグゥグゥと眠ってしまった。


「……紫乃、やるかにゃ?」


 花見は寝入った男を見て、鋭い爪をぺろりと舐めながら問いかけてきた。紫乃は首を横に振る。


「にゃあ、せっかく出番かと思ったのに」

「……『美味い』と言った言葉に免じ、寝込みを襲うのはやめてやろう」

「お人好し」


+++


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