第八章

第42話:心のオアシス

 魔物の繁殖騒動が落ち着き、数日が過ぎた昼下がりの午後。


 宮廷錬金術師の助手、兼、見習い錬金術師として活動している私は、アリスの実家の飲食店でのんびり休憩させてもらっていた。


「あぁー……。私の心のオアシスはここだったよ」


 昼の営業が終わったばかりの広々とした店内には、アリス以外に誰もいない。忙しい日々が遠ざかっていくように、街の雑音だけが小さく聞こえていた。


 その音が心地よくて、どこかホッと安心する気持ちが芽生えてくる。


「ミーアも大変だね。せっかくの休日なのに、周りの目を気にしながら過ごさなきゃいけないなんてさ」


 水の入ったコップを持ってきてくれたアリスは、向かいの席に腰を下ろした。


 疲れ切っている私は、コップに軽く口を付けた後、ヘトヘトになった体を机に預ける。


 もはや、貴族令嬢とは思えないほどグデーッとして。


「街中に良い噂が流れ続けて、プレッシャーがすごいんだよね……」


 魔法学園の生徒たちが襲われた魔物の繁殖騒動と、元婚約者が巻き起こした薬草不足の騒動が重なった結果、私はいま必要以上に注目を集めていた。


 未来の宮廷錬金術師だの、有望株の貴族令嬢だの、身を犠牲にしてまでポーションを作った聖人だの……。


 良い噂で身も心も美化されてしまい、とても過ごしにくい日々を送っている。


「笑いすぎてお腹が痛くなったことはあるけど、笑顔を作りすぎて顔がつりそうなのは初めてだよ」


 街の人に声をかけられる度、愛想よく振る舞っているため、表情筋がもうパンパン。常に貴族スマイル欠かさずに過ごしてばかりで、息苦しくて仕方がなかった。


 せめて休日くらいは、仕事や人間関係のことを忘れてゆっくりしたい……。


 よって、同じく休日だったアリスに泣きついた私はいま、ひと時の幸せを実感していた。


 身分差があろうとも、持つべきものは友である。


「外がダメなら、家でゆっくりしていてもよかったんじゃない?」

「それがさ、街中よりも家の方が落ち着かない状況なんだよね。目上の貴族が自慢の息子を連れてくるようになっちゃって」


 噂が流れているうちは家に引きこもってのんびりしよう……と思っていても、なかなかそうもいかない。


 各方面から縁談の手紙が山のように届くだけでなく、強硬手段に出て、連絡もせずに訪ねてくる人が現れたのだ。


「うわぁ……。親同伴とか面倒くさそう」

「貴族はそういうもんよ。親同士が結婚を決めるんだもん。訪問販売みたいに訪ねてくるのは、さすがに勘弁してほしいけど」

「突然お見合いが始まるなんて、エグイことするね。私だったら、その時点で無理だわ」

「私も無理だよ。家まで押しかけてくる家系なんて、切羽詰まっている事情があります、って自分から言っているようなものだからね」


 かと言って、うちよりも爵位の高い家柄や歴史の長い家系だったら、無下に追い返すわけにいかないのが、貴族のツラいところだ。


 それ相応の対応をする必要があるため、家に引きこもる方が気が休まらなかった。


 愛想よく振る舞うだけならまだしも、接待まで求められるのは、さすがに厳しい……。思い出すだけで胃がキリキリと締め付けられてしまう。


 また元婚約者ジール様の時と同じように首輪を付けられるなんて、まっぴらごめんだ。


 幸いなことに、婚約を一度失敗しているため、お父様も消極的になっている。余程のことがない限り、縁談の話を進められることはないだろう。


 可能性はゼロと言い切れないけど。


「ミーアはもう結婚する気ないの?」

「しばらくは考えたくもないかな。今は錬金術を楽しんで、もっと自由気ままに生きていきたいよ」


 せっかくクレイン様に錬金術を教えてもらえるようになったし、錬金術ギルドを経由して取引先も増えている。


 このまま生活の土台を作り、錬金術師として、幸せな暮らしを勝ち取りたい。


 私の人生はまだまだこれからが本番なんだ。幸せをつかむために年齢なんて関係ないし、結婚なんてしなくても問題はない。


 私の幸せは、私が決めるんだ。


「ねえ、ミーア。元婚約者前の男のこと、けっこう引きずってない?」

「正直、強烈すぎて、お腹いっぱいだよね。結婚の悪いところ、全部味わった気分だもん」

「確かに、婚約者がアレだったらねえ……。さすがに結婚願望もなくなるか」

「元から結婚願望があったわけじゃないけどね。貴族の結婚なんて、生涯を縛られる契約みたいなものだし。例えるなら、私生活に土足で踏み込んでくるビジネスパートナーを決めるような感じかな」


 愛もないのに後継ぎを作り、周囲に円満アピールをしながら夫を立てて、子育てを強いられる。目上の貴族の元に嫁いだら、生涯にわたって上下関係が決まるから……、完全に人生のギャンブルだよね。


 結婚生活地獄に足を踏み入れる前に別れられて、本当によかったよ。


「ミーアが言うと妙にリアルだから、やめてもらってもいい? 今後は貴族の既婚者を見る目が変わりそうだよ」


 どこか遠い目で窓を眺めるアリスには悪いが、本当に愛し合って結婚する貴族なんて、ほんの一握りだと思う。


 変な噂が立たないように、みんな口にしないだけであって。


「アリスの方はどうなの? 良い人でも見つかった?」

「私に声をかけてくるのは、酒臭いおっちゃんばっかりよ」

「冒険者ギルドと飲食店を掛け持ちしていたら、そういう感じになるかー。自由に恋愛できると言っても、簡単に良い人と出会えるとは限らないもんね」


 女同士の休日にしてはちょっぴり寂しい会話になり、ハァ~……と二人のため息が重なってしまう。


 自分が結婚を考えていない分、アリスには女の幸せをつかんでほしいんだけど……。


 そんなことを考えていると、急にアリスが目を輝かせて、私の顔を覗きこんできた。


「でもさ、ミーアの近くには良い人がいるよね」

「えっ? 誰のこと?」

「クレイン様に決まってるじゃん。話も合うみたいだし、将来有望だし、ミーアのことを気にかけてくれてるんでしょ? そんなの絶対に運命の神様のイタズラだよ。私は両者ともに脈ありとみたね」


 猛烈な勢いでまくし立てるアリスを見て、それが気になっていただけなのかと察する。


 クレイン様とは、互いに恩を感じているだけであって、特に深い関係でもないのに。いったい周りからはどう見えているんだか。


 変な誤解をされているみたいだ。


「別にクレイン様とは何もないよ。ただの師弟関係だもん」

「本当に? 裏の情報では、ミーアが寝込んでいる時にずっと看病してくれていたって聞いたよ」

「その情報の出どころ、だいたい察しがつくよ。錬金術ギルドのヴァネッサさんにしか見られていな……あっ、そうだ! 錬金術ギルドに報酬をもらいに行かないと!」


 魔物の繁殖騒動の時に受けた緊急依頼の件、すっかり忘れてた。変な情報をコソコソ流しているみたいだし、しっかり報酬を弾んでもらおうかな。


 そんなことを考えていると、アリスにクスクスと笑われてしまう。


「すっかり売れっ子錬金術師みたいだね」

「まだまだ見習い錬金術師ですよ」


 アリスには特別扱いされたくないなーと思いつつ、私は少しムスッとした表情を浮かべるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る