第三章

第12話:ジール、吠える……!

 翌朝、両家のサインが入った婚約破棄の書類の控えを届けに、私はボイトス家の屋敷にやってきた。


 ジール様と顔を会わせたくないので、使用人さんにお願いして書類を渡してもらおう……と思っていたのだが、運がない。


 ちょうど出かけるみたいで、ジール様と後輩のカタリナが屋敷から出てきたところだった。


 仲睦まじい二人の姿を見る限り、やっぱり夜遊びではなく、浮気だったんだろう。同じ屋敷から出てきた時点で、一緒に暮らしていると言っているようなものだ。


 いったん隠れてやり過ごそう、と思っているのも束の間、すぐにジール様に気づかれてしまう。すると、二人がどや顔で近づいてきた。


「何か用か、ミーア。先に言っておくが、今頃泣きついてきても遅いぜ。お前の居場所は、もうここにないんだからな」

「残念ですね~、先輩♪ ジール様の隣は、私で埋まっちゃいましたー」


 ジール様とカタリナが嬉しそうに話してくるが……、どうしよう。未練もなければ、まったく羨ましくもない。


 心から別れて良かったと思っている影響か、仲良くする二人を見ても、まったく興味が湧かなかった。


 むしろ、ここに私の居場所がなくなったと知れて、嬉しさが込み上げてくる。


「私はすでに新しい生活を始めておりますので、気になさらないでください。二人が幸せそうで何よりです」


 適当に二人の話を聞き流して、用件だけを済ませたいのに……、なかなかそうもいかない。


 ジール様とカタリナが意地悪な笑みを浮かべていた。


「よく言うぜ。あんな恥ずかしいデマを流すほど悔しかったくせによ」

「デマ、ですか?」


 身に覚えのないことを言われ、私は首を傾げる。


 厳格な父のいる我が家がデマを流すなんて、絶対にあり得ない。ましてや、その必要すらないのだ。


「宮廷錬金術師クレインの助手になった、なーんて子供でもわかる嘘のことに決まってるだろ」

「ミーア先輩、さすがにあれは恥ずかしすぎますよ~。嘘をつきたいなら、もっとマシな嘘ついてくださ~い。騙せないと意味がないですからね、プププ」


 二人がクスクスと笑い始めるけど、それは紛れもない事実である。


 騙すつもりも全くないんだけど……あれ? 冒険者ギルドで働いているカタリナは、クレイン様に引き抜いてもらったことを知らなかったっけ。


 ああ。そういえば、あの時は貴族依頼を適当に処理していたことがギルドマスターにバレて、別室で説教を受けていたんだった。クレイン様とのやり取りを直接見ていないから、私が嘘をついていると思い込んでいるんだろう。


 わざわざ二人に報告するつもりはないと思っていたけど、一応、ちゃんと伝えた方がいいかもしれない。


「残念ながら、その噂は嘘ではありません。今後はクレイン様の下で、助手として働きながら、見習い錬金術師として活動することになりました」


 しかし、私の言うことを二人が信じる様子はない。大きなため息を吐いて、呆れ果てていた。


「哀れな女になったもんだな。俺に振り向いてもらいたくて、嘘を並べることに必死だぜ?」

「最初からじゃないですか~? 先輩が、哀れな女だってこと」

「それもそうか。もっと現実に目を向けていたら、俺と婚約破棄するという馬鹿な選択を選ばないからな」


 私よりも二人が現実に目を向けないと、哀れな姿を晒し続けることになりかねないのに、大丈夫だろうか。


 ただ、何を言っても信じてもらえない以上、彼らの暴走を止める術はない。その証拠と言わんばかりに、ジール様がドヤ顔を向けてきている。


「いいか? 耳の穴をかっぽじってよく聞いておけ。宮廷錬金術師っていうのはな、俺みたいなエリートがなる職なんだよ!」


 シーンッと、王都が静寂に包まれた気がした。


 少し前の私なら、錬金術ギルドの評価を鵜呑みにして、納得していたかもしれない。でも、クレイン様の錬金術を見た以上、ジール様が宮廷錬金術師になる可能性は、限りなく低いと断言できる。


 だって、次元が違うと感じるほど、二人の錬金術には大きな差があるのだから。


 思わず、ムリムリムリムリ、と言わんばかりに手を横に振ってしまう。


「夜遊びに励まれている方には難しいと思いますよ」


 仮に錬金術の技術があったとしても、錬金術に対する姿勢を見れば、ジール様は相応しくない。


 それなのに……、どうして本気でなれると思っているんだろうか。自信に満ち溢れるジール様は、私のことを鼻で笑った。


「ふんっ、本当のことを言ってみろよ。俺に錬金術で本気を出されたくないんだろ?」

「ん? 本気?」


 あんなにも必死に調合していたのに、本気を出していないという言い訳が通るはずがない。


 顔を歪め、ぜえぜえと息が荒れ、大量の汗を流して錬金術をしていたジール様の本気とは……!


 とてもすごくなさそうである!


「今までどれだけお前が足を引っ張っていたか、俺の本気の錬金術で証明してやるよ」

「謝ってももう遅いですよ~、先輩。ジール様が本気を出したら、すぐに宮廷錬金術師になっちゃいますからね」

「その時、隣にいるのはお前じゃない。カタリナだ」

「いや~ん。大好きです、ジール様ぁ~」


 周囲の目を気にすることなくイチャイチャする二人を見て、私は思った。


 何を見せられているんだろう。そして、なぜ私が悪者にされているんだろう、と。


 この二人に関わる時間が増えるほど、良くない噂が流れ、トラブルに巻き込まれそうな気がする。当初の予定通り、婚約破棄の書類を手渡して、もう関わらないことにしよう。


「本日、ボイトス家に伺った用件をお伝えします。ホープリル家で正式に婚約破棄を受理しましたので、ジール様に控えの書類を渡しに来ました。こちらをどうぞ」


 手に持っていた書類を差し出すと、ジール様はイラッとした表情を見せた。


 今までの話から推測する限り、婚約破棄の書類を突き付けた時点で、私が泣きつく姿を想像していたんだろう。それなのに、アッサリと対応されて、腹を立てているのだ。


 ひったくるように書類を奪う姿を見れば、そのことがよくわかる。


「そんなに余裕で居られるのも、今のうちだぞ! 今日から俺は、本格的に錬金術を始めるんだからな!」


 今まではなんだったのか、そう問いたいが、グッと我慢する。


「そうですよ~。宮廷錬金術師の助手になれないからってぇ~、嫉妬しないでくださいねー」


 私はすでに宮廷錬金術師の助手なんだけど……と言いたいが、これもグッと我慢する。


「ねえ~。早く行きましょうよ、ジール様」

「そうだな。哀れな女と話している暇はない」


 そして、出かけるために歩き出した二人に向けて、いってらっしゃい、と言わんばかりに会釈をした。


 幸せな未来が確定している私にとって、二人の戯言なんて些細なこと。婚約破棄の書類を受け取ってもらった時点で、ジール様との縁は切れたんだから、こっちが腹を立てる必要はない。


 しかし、最後の置き土産でもあったのか、ジール様はわざわざ大きな咳払いした。


「やっぱりミーアの残していった薬草は、全部処分して正解だったな」

「当然ですよ~。妄想癖のある先輩の下処理した薬草でぇ、良質なポーションなんて作れませ~ん。ぜ~んぶ捨てて正解でしたねー」


 うぐっ……、それは普通にもったいない。騎士団に納品するポーションの下準備は、休日に丸一日かけてようやく終わらせたというのに。


 まあ、あとで私の下処理した薬草が原因でトラブルになるよりはいいかもしれない。本当にこれで、きれいサッパリ縁が切れたのだ。


 そう気持ちを切り替えて、私は薬草の買い出しへと向かうのだった。

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