第20話 遺影

「その引き戸、滑りが悪いんでそのままでいいですよ」


 廊下からリビングに入る時、東峰栞は引き戸を閉めようとした俺の手を止め、慣れた手付きで異音を発する引き戸を閉めていく。


 リビングのソファーから栞の両親が立ち上がり来客である俺に会釈する。俺も慌てて頭を下げる。俺はぎこち無い口調で栞の両親に挨拶を済ませ、デパートで一時間悩み尽くして買った菓子折りを渡す。


 梅雨の真っ只中の休日。俺は東峰家にお邪魔していた。来訪の目的は東峯家に訃報があったからだ。

栞の妹が亡くなったと聞き、俺は線香を上げるために栞の実家に赴いていた。


 葬儀は家族だけで済ませると聞いた時、俺は後日伺うつもりだった。妹を亡くし意気消沈していた栞を俺なりに気遣い、支えようと必死だった。


 その事に意識を向けていた為に、亡くなった栞の妹の死因が病気だという事をかなり後になって知った。


「······お若いのに白血病で亡くなられたとか。ご愁傷様です」


 洗練された大人とは言い難い俺の所作に、栞の両親は後に俺をこう評したらしい。


「不器用だけど信用出来そうな人」


 随分後に俺は栞からそれを聞き、複雑な表情しか出来なかった。


 東峯栞に交際を申し込み了解されてから三ヶ月。俺は未だに生きていた。その理由はどう考えても分からない。


 栞に告白した時、俺は半ば意識を失いかけた。恋が成就した時に自分は死ぬ。そう確信していた俺は

、そのまま死ぬと思い込んでいた。


 デートの前日から睡眠不足だった俺は、栞に告白を受け入れられ緊張の糸が切れた。それが倒れかけた原因の真相だった。


 恋をしたら死ぬ運命。物心ついた頃から自覚していた自分の死の瞬間。それが間違いや勘違いとはどうしても思えなかった。


 何故なら俺が未だに生きている事に強烈な違和感が自分の中にあるからだ。俺は確実に死ぬ筈だった

。それがどうしてまだ生きているのか。


 栞と交際する日々が嬉しくない訳がなかった。だが、この幸福な日常がいつまで続くのか保証が無い不安も残り続けた。


「仏壇はこっちなの」


 栞に仏壇の間に案内され、俺は意識を現実に戻す

。仏壇の前に正座し、線香を上げる時に俺の両目に遺影が映った。


 ······それは、あの冬に出会った少女だった。まだ高校生と言っていたあの少女は、それを証明するかのように制服姿の笑顔を俺に向けていた。


「······栞さん。妹さんは何処で。もしかして海外で亡くなったのか?」


 少女の遺影を凝視しながら、俺は震える声で栞に質問した。


「え? 私話したかしら? そ、そうよ。妹は海外で。留学先のカナダで亡くなったの」


 留学先。カナダ。俺の頭の中で少女の記憶が思い起こされる。あの少女は目的通りカナダ留学を実現していた。


 ······そして、想い人の彼に告白したのだ。そしてそれが叶わず、失恋したら死ぬ運命の通り命を落とした。


「······妹は白血病だったの。でも、カナダ留学だけは絶対にしたいって言っていたの」


 栞の説明に俺は驚愕する。いつか少女は自分は病気だと幾つも病名を並べていた。その一つが本当だったとは夢にも思わなかった。


「······栞さん。妹さんの名前は······」


 少女の遺影から視線を逸らさず、俺は乾いた声で恋人にあの少女の名を尋ねる。


「······すみか。澄華って言うの」


 栞は俺に寄り添うように隣に座り、優しく微笑みながら妹の名を教えてくれた。


「·······澄華」


 俺はあの少女の名を口にした。澄んだ華。真っ直ぐ過ぎた彼女の生き方にとても似合う名だと俺は感じていた。

 

 東峯家をお暇した後、俺は曇り空の下で考え事をしながら歩いていた。栞の妹は何故亡くなったのか。病気の為か。それとも八重歯の神様に言われた運命の為か。


 俺にその答えを知る術は無かった。重たそうな黒い雲から雨が落ち始めた時、俺は空を見上げた。その視線を地上に戻した時、俺の目の前に誰かが立っていた。


 姿形を認識する前に、大きく開かれた口の中の八重歯が一番最初に目に飛び込んできた。


「いやあ。梅雨ってさあ。なんか気分が上がらないよねぇ。ジメジメだねえ。シトシトだねえ。カタツムリだねえ」


 陽気な口調で意味不明の事を喋りだした不審者に

、俺は一言も口を開けなかった。


「神様の気まぐれでねえ。あの娘に自分の運命を教えちゃってねえ。後で色々問題になっちゃってねえ

。困ったねえ。報連相だねえ。コンプライアンスだねえ」


 八重歯の不審者が言うあの娘とは、あの少女だと俺には分かった。


「そんであの娘に頼まれてねえ。自分への不手際の見返りに君の運命を変えてくれって。君もねえ。恋をしたら死ぬ運命だったんだけどねえ。本人がその運命を自覚しているってのも、そもそもこっちのミスでねえ。本当にねえ。やらかしたねえ。末期症状だねえ」


 陽気に落ち込む不審者の言葉を俺は必死に翻訳する。運命を司る神は、俺とあの少女にしてはならないミスをしてしまった。


 少女はその負債を俺を生かす事で精算すると神へ要求した。だが何故だ? 神へ望んだのは俺の運命の改変だった。


 どうして自分の運命を。失恋したら死ぬ運命を変えようとしなかったんだ?


「自分の運命を変える事は要求出来なくてねえ。それをあの娘に伝えたら、あっさり自分の事は諦めて君の事を助けてくれって言ってきてねえ。優しいねえ。真心だねえ。清らかなだねえ」


 少女の願いを聞き入れた神は、俺の死の運命を変えた。恋をしても俺が死なない理由はそう言う経緯があったのだった。


 ······俺の頬に雨粒が当たり流れ落ちる。その雨粒に俺の涙が混じって落ちていく。俺は目頭を指で押さえながら、八重歯の不審者に問いかける。


「······あの娘は。あの娘は満足して逝ったのか? 苦しまずに死ねたのか?」


 返答は無かった。俺の目の前には人影は無く、激しく降り始めた雨粒しか存在しなかった。あの少女にとって俺にしてくれた助言や運命の改変は単なる気まぐれだったのかもしれなかった。


 その気まぐれが。その真っ直ぐな生き方が。殻に閉じ籠もっていた俺の人生を変えてくれた。


「······ありがとう。ありがとう澄華」


 梅雨の夕立ちに身体を濡らしながら、俺は初めて知った少女の名を口にした。俺はもう一度空を見上げた。まるでそこに彼女の魂があるかの様に。


 降りしきる雨粒に両目を細めながら、俺は澄華から貰った命と人生の愛おしさを全身で感じていた。





          

            恋をしたら死ぬ運命 完

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八重歯の神様は気まぐれ @tosa

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