見て・聴き・触れる
白真
第1業務 若者共が夢の跡
俺はもっと優秀な人間だと思っていた。
新卒で入職して早半年。
同期は1人また1人と教育担当を外され一人立ちしていく。
そんな中、俺はというと未だ研修期間を抜け出せずにいる。
「こんな筈じゃ……」
流石に研修用の課題をすることはなくなったが、今は先輩が確認し終えた在庫チェックをさせられている。
俺は大学ではそれなりに優秀とされていた。
それなのに社会に出てみればこの
入社当初は溢れ出ていたモチベーションも今では見る影もない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
皆目検討もつかない。
「仕事……辞めようかな」
無理なことは分かっていたが退職の2文字が脳裏をよぎる。
世間では第2新卒という言葉があるが現実はそんな甘くないことぐらい分かっている。
スキルもキャリアも持たない俺が今以上に条件のいい会社なんて受かる筈がない。
だから俺はただひたすらこの苦行をこなす日々を送っていた。
「お疲れ様です」
デスクに座る俺は驚いて立ち上がる。
声がする後ろを振り向くとそこには教育担当の
「おい
「どうも初めまして。この度、人事教育課から貴方をお迎えに参りました喜多里です」
俺は一瞬にして状況を察した。
要は厄介払いされてしまったんだ。
そしてこのおじさんは人事教育課。
つまり俺というお荷物を採用した責任を取りに来た人。
あーあ、終わったな俺。
「ども……皆水です」
喜多里さんと名乗るおじさんは俺を連れて今いる営業課を後にした。
廊下を歩いている間も喜多里さんは朗らかな笑顔で話しかけてくる。
「壁に当たった若い芽がいると聞きましてね。労兵ではありますがお力になれるよう善処いたします」
「はぁ……」
正直このおじさんが頑張ったところで俺の立場がどうこうなるとは思えないんだけどな。
そんなやり取りをしていると俺達は人事教育課に到着した。
「さぁ皆水さん、ここが貴方の新しい仕事場です」
「はい……頑張ります」
愛想なく俺は返事する。
そんな失礼な俺にも喜多里さんは優しく微笑んでいた。
営業課では誰もが俺を邪険にしていたので少し珍しいものを見た気がする。
「では記念すべき初仕事といきましょう」
喜多里さんは得意げに人差し指を立てて話す。
そういえば人事教育課って何してるんだろ?
新卒採用シーズンでもないし、興味もないこともあってか俺は彼らの実態が分からなかった。
「あの、俺は何をすればいいんですか?」
「まずは挨拶回りです。この部署にいる全員に挨拶をしていきましょう」
俺は拍子抜けしてしまった。
仕事なんてご大層なことを言っていたから何をするのかと思えば挨拶?
そんなん子どもでもできるっての。
「はぁ……分かりました」
とはいえ俺に拒否権なんてものもなく、俺は喜多里さんと一緒に挨拶をして回った。
「あら、新人ちゃん? アタシ課長の
「新人か? 主任の
「わざわざどうも。出向中の
挨拶に伺うと全員が思い思いの挨拶をしてくる。
一方俺はというと終始ぶっきらぼうで見れたものでない。
そんな俺にも喜多里さんだけでなく部署のみんなも優しく受け入れてくれた。
いつぶりだろう……否定されなかったのは。
「皆水さん。仕事において大切な事とは何だと思いますか?」
一通り挨拶を終えると喜多里は俺に謎の質問をしてきた。
「仕事において? それって仕事をこなす能力ですよね? 体力とか学力とか職種によって違うでしょうけど」
俺は至極真っ当な回答をしたつもりだ。
しかし喜多里さんは斬新な答えを聞くかのようになるほどと頷いていた。
「やはり人の意見を聞くのは大事ですね。また1つ見識が深まりました」
「あの、俺何か変なことでも言いましたか?」
喜多里さんのおかしな反応に俺は訝しみ、逆に質問した。
「いえいえ、自分とは異なる意見を聞けてありがたいと思っただけです」
「なら喜多里さんにとって大事なことって何なんですか?」
俺は自分の考えが間違っていると言われているようで少し腹が立った。
実際にはそんなこと言われてないのに余裕がない人間というものは穿った見方をしがちである。
「あくまで私にとってはですが」
そう前置きを置くと喜多里さんはまたも人差し指を立てる。
そして、中指、薬指と順に立てていき3本の指を立てて話し出す。
「大事なことは3点……『見て』『聴き』『触れる』ことですかね」
「え? 何ですかそれ……」
俺は思わず聞き返してしまった。
そんな俺の態度を見ても喜多里さんのスマイルは崩
れない。
「皆水さん。先程お伝えしたかもしれませんが貴方を教育する期間を半年頂きました。その期間内に順次お教えいたします。ですのでどうか騙されたと思って私についてきてもらえませんか?」
相変わらずの笑顔だったが喜多里から言い表せない威圧感が出ていた。
それはこの人なら俺をどうにかしてくれると思わせる凄みを感じる。
その迫力に俺はただただ黙って頷くことしかできなかった。
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