5

「印象キー?」

然様さよう


 俺をふっ飛ばしたたあと、オッペンハイム卿は我に返ったように冷静になった。

 非難しようとしたが「悪かったな」と一言で済まし(一歩間違えたら人を殺しかねなかった男の態度じゃねぇだろ!)、「印象キーの影響だ」と悪びれる様子もなく言った。


 ……印象キー?


「キミたちは、汎用魔術しか使えないのだったね」

「はぁ……」

「はい、そうです」

「加賀は印象キーについて、キミたちに何も教えていないのかね?」

「……よくわからないですね」

「ふむ……」


 オッペンハイム卿は優雅にお茶を口に運びながら、「ならば、先ほどの詫び替わりに、私が説明しよう」と言った。


 ▽


「加賀がオリジナル魔術を使っているところをを見たことは?」

「見たことはありますが、詳しいことまでは……」


 オリジナル魔術。

 汎用魔術という「誰でも使える魔術」ではなく、自分で使いやすいようにカスタムしたり、あるいは独自に組み込んだ魔術、という程度のことしかわからない。


 加賀で言えば〈サイコロを転がせTärningen〉などがそうか。


「加賀は頭が回る。だが他者を過剰評価して、自分と同じ程度頭が回ることを前提にしているきらいがある」

「ああ……」

「印象キーなど、魔術を使うならば当然の知識なのだがな」


 言われてみれば、こちらが理解できていないことでも「もう分かるだろ」みたいに突き放すところ、あるな……。


「で、印象キーってなんなんですか?」

「印象キーとは、誰かが登録したオリジナル魔術を他者が使えるようにするためのセキュリティだ」

「セキュリティ?」

「そうだ。考えても見たまえ。人を傷つけるような物騒な魔術だってあるんだ。無制限に公開するわけにも行くまいよ」

「それはまぁ……」


 というか、魔術なんて人を傷つけるものが大半なような気がする……いや、そんなこともないか?


「違法な無認可の魔術はともかく、新しい魔術は必ず魔術院に登録される。それを他者が使うにはアクティベートする必要がある」

「あ、汎用魔術でも同じですね」

「ボクたちも、いくつかの汎用魔術をアクティベートされています」

「ふむ」


 オッペンハイム卿は頷き、「だかそれは違う」と言った。


「違う?」

「うむ。汎用魔術は、使用者を登録するだけで使える。だが、オリジナル魔術をそんなふうにばらまくのは危険じゃないかね?」

「それはまぁ……」

「故に、他者が登録したオリジナル魔術を使うには、印象キーを受け入れる必要がある」

「印象キーを受け入れる……」

「ちょっとよくわからないです」


 オッペンハイム卿はフッと笑って、


「センリ。キミは先ほどのビル・エヴァンスの生演奏を聞いて、どう感じた?」

「え、そりゃあ……」


 ビル・エヴァンスはジャズの世界では最も有名と言っていいピアニストだ。

 その技巧、完成度、極限まで研ぎ澄まされた理論的かつ情緒溢れた表現。

 ジャズ・プレイヤーとしてだけでなく、超絶技巧のプレイヤーとしても卓越したものがある。

 クラシックなどと比べ、どこか下に見られていたジャズの印象を押し上げ、一流の芸術として認めさせた功績も大きい。


 俺はジャズについては聴き専で、プレイヤーではない。

 それでも「これは真似できない」と関心するほかはない――。


「――強烈な印象を受けました。鮮烈っていうか」

「だろう?」


 我が意を得たりといった表情で、オッペンハイム卿は満足そうにうなずく。


「では、その印象は誰かと共有できるかね?」

「あー、いえ、多分人それぞれ違う印象を持つだろうし、俺の感じた印象は俺だけのものじゃないっすかね」

「そこだよ」

「そこ?」

「その印象をキーとして共有する。それを受け入れたものだけが、魔術を共有できるのだ」

「はぁ……?」


 よくわからんな。


 第一、何かの印象……例えば先ほどの演奏だって、聴く度に少しずつ印象は異なる。

 体のコンディションやら、その時の気分やら、満腹か空腹かなんてことも影響があるかもしれない。


 その瞬間の印象はその瞬間にしか存在しえない。


「わからないかね?」

「はぁ……」

「つまり、キミの中でのビル・エヴァンスの印象は刻一刻と変化しつづける。複製も偽造も再現も不可能だ」


 まてよ、ちょっとわかってきたぞ……?!


「……つ、つまり?」

「キミの、何かに対する印象が、そのままキーとなり、他者はそれを共有することで初めてオリジナル魔術を行使できる。これを指して、印象impressionキー、あるいは感動inspirationキーという」


 ▽


「え、じゃあつまり、誰かの考えた魔術を使おうと思ったら、その人の持つ印象や感動を共有しないといけないんすか」

「そうだ」

「え、え、じゃあ、たとえばさっきの演奏の場合、自分には自分の印象とか感動があったんですけど、それは……」

「もしその曲をキーにした魔術をアクティベートすると、キミの中にある印象か感動は、他者――この場合魔術の登録者の印象と感動に置き換えられるな」

「なんっじゃそりゃ!?」


 地獄みたいなシステムだぞ!?

 頭の中をかき回されてるようなもんじゃないか?!


「ふむ……」


 俺の驚愕を受け取ったオッペンハイム卿は少し考えて、


「センリ、確かにキミのような者も多くいる。しかし、魔術を行使するメリットと天秤にかけて、そのくらいのことは仕方ないと考える者もいるのだ」

「えええ……。そうっすかね……? だって、心の中で、他人の印象とかが混じりあうんですよね?」

「そうだが?」

「普通イヤなんじゃ……」

「人による。例えばトオルを見てみたまえ」


 言われて横を見ると、トオルはちょっと不思議そうに首を傾げていた。


「え、あれ? トオル?」

「はい?」

「もしかしてお前、今の話聞いても平気なの?」

「いえ、まあ嫌だなぁとは思いますけど」

「だよな?!」

「でも、多分先輩ほどの抵抗は感じてないと思います」


 えええ、マジか。


「え、だ、だって、例えば、好きな音楽があったとして、それを聞いたときの感動とかが、他人の持つ印象で上書きされるんだぞ? それはもう、自分の感動じゃないだろ……?」

「そう言われれば、まぁイヤっちゃイヤですけど……別に嫌いになるわけじゃないんですよね? あ、そうでもないんですかね?」


 トオルが訊くと、オッペンハイム卿は首を横にふる。


「いや、印象キーは通常、当人にとってポジティブな感情を呼び起こすものが使われる。でないとコールのたびに疲弊するからな」

「なるほど。……ならやっぱり、ボクはそこまで抵抗を感じないです」

「ま、マジかよ……」


 もしかして、自分の中にある印象とか感動に執着するのって、当たり前の感情じゃないのか?


「抵抗が全くないといえば嘘になりますけど」

「マジか……」


 と、いうか。


 聞けば、加賀の魔術にしても、これまで出会ってきた魔術師にしても。


 使のは、そういうことだったのかよ!


 ▽


「魔術師ならば、トオルのようにフレキシブルな感性のほうが楽ではあるな。しかし、センリ。キミのような手合も少なくはない」

「そっすか」

「例えば加賀もそうだ。彼は汎用魔術を除けば、自分が登録したオリジナル魔術しか使わないそうだ」

「え、そうなんすか」

「それどころか、普段は聞きたくない音楽が耳に入ってこないように気をつけてると言っていた」


 キミもその手合なのではないかね? とオッペンハイム卿が言うが、ちょっと違う。

 俺はどちらかと言うと何でもありでとにかく沢山の音楽を聞きたいタイプだ。


 そもそも、俺がピアノとヴァイオリンを辞めたのも、俺が表現者側じゃなく、鑑賞者側の人間だと思い知ったからというのもある。


 鑑賞。

 音楽にしても、絵画にしても、映画や漫画、小説なんかも広義でいえば同じかもしれない。


 それは、どこか自分の中にある風景を探すような行為だ。

 究極のプライベートであり、そしてそれを誰かに見せたいとは思わない。

 況や、誰かの印象を受け入れる――言葉にしづらい抵抗を感じる。

 これは、俺が狭量なだけなのだろうか……?


「……オッペンハイム卿はどうなんですか?」

「キーを受け入れることに抵抗があるかという話かね?」

「そうです」

「まったく抵抗はないな。受け入れるほうがメリットがあるからな」

「メリット……魔術を手に入れること、ですよね」

「そうだ。私の二つ名を知っているかね?」


 オッペンハイム卿の二つ名。

 もちろん知っている。


「――蒐集家」

「そうだ。私は魔術の蒐集を趣味としている。故に、こうして……」


 オッペンハイム卿はトートバッグに大量につけられたバッジを見せる。


「大量の印象を受け入れているし、その数だけ魔術を手に入れ、コレクションしているのだ」

「あ、それってそういう……」

「何だ、私がただの趣味で、ジャパンのペドフィリア臭が漂う小娘アイドルや、幼稚なアニメーション音楽を追いかけているとでも思ったのかね」

「「……………………」」


 その発現はアイドルファンが聞いたらブチ切れるぞ。

 あとアニメ音楽を幼稚というのはさすがに無いだろ……。

 ど偏見しか無いぞ、この貴族……。


 文句を言いたかったが、このトートバッグを見てしまうとなんとも……。


「……まぁ、はい、てっきり……」

「私はサブカルチャーには興味がないのだよ。一番好きなのはジャズだが、あとはクラシックがメインだ」

「はぁ……」

「先ほどは、このアイドルを悪く言われてカッとなったが、それも印象キーがトリガーとなっている。つまり……」


 ゴクリ。


「好んでいない何かを好きになるだけで新しい魔術が手に入るのだ。破格の条件ではないかね?」

「いや、でも、しかしですね、好きでもないものを好きになるように改造されるのは……それ以上に、自分の印象を書き換えられるのはキツいです」

「さもありなん。しかし、印象キーを使ったアクティベーション・システムのデメリットは別にある」

「別?」


 自分の印象をいじられる以上のデメリット?

 ちょっと想像がつかないけど。


「印象キーは、受け入れれば受け入れるほど、情緒が崩壊する」

「……は?!」

「キーを返納すればリセットされるようだが、あいにく私はコレクターだ。そんなことはありえない」


 ……俺、魔術師が向いてないっぽい……。

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