4

 オッペンハイム卿。

 蒐集家。


 魔術界では知る人ぞ知る有名人であり、あとから知ったところによると、「飛行に一番近い男」と呼ばれているそうだ。


 ▽


「えっ、オッペンハイム卿は管理者じゃないんですか!」

然様さよう


 トオルが買ってきたスクラッチくじで特賞の特大ぬいぐるみを手に入れたオッペンハイム卿はホクホクしながら答える。


「小林君。『オッペンハイム卿』では長ったらしくないかね? どうだろう、私のことはもっと短く『オッピー』とでも呼んでくれても良いのだが」

「お、オッピー……?」

「あるいはもっと短く『卿』でも構わないが……」

「で、では、これからは『卿』と呼ばせていただきます」

「お、俺も右に同じくで……」

「そうか……」


 オッペンハイム卿は一瞬だけしょんぼりして、それからまたぬいぐるみを愛でる作業に戻る。


 ……こいつ、『オッピー』と呼んでほしかったんだな……。


 それにしても、この訳のわからん人物と対峙していると、俺とトオルも目立つ目立つ。

 あとで誰かから「あの人とどういう関係?」とか聞かれたら、どう答えりゃいいんだよ……。


(それにしても)


 見れば見るほど、訳のわからん人物だ。


 オッペンハイム卿という名前でも判るが、どう見ても外国人だ。

 イメージ的にはイギリスとかフランスの貴族。

 人物だけ切り出せば、映画のワンシーンみたいな感じ。


 でもって……。


(オタ活、っていうのか?)


 アイドルやらアニメやらのグッズのコレクターであることを、微塵も隠す気がないようで、大事そうに抱えたトートバッグには大量のその手のグッズが詰め込まれている。


(なるほど、蒐集家ってそういう……)


 合点の行った俺は胸の中でうなずいた。


 ▽


 オッペンハイム卿は両手両脇に大量のグッズを抱えたまま、顎で俺たちを促した。


「要件は加賀君から聞いている。……ちょっと歩こうか」


 そう言うと、こすり終わった外れのスクラッチくじ(恐るべきことに1種類だけじゃなかった。何種類あるんだこれ……)をポイと投げ捨てる。


「あ」


 ポイ捨て現場を見たトオルが小さく声を上げるが、またもやビュッと風が吹いて、カードが舞い上がり、そのまま燃えるゴミポストにダイレクトシュートする。


 ……。


 こんなバカバカしい魔術の使い方、初めて見た。

 それも、偶然とか手品だと言えば押し通せそうなレベルなのがなんとも……。


 加賀は「日常生活じゃ、魔術を使うほうが便利なことなんてほとんどない」などと言っていたが、オッペンハイム卿はつまらないことにでも魔術を使うことに抵抗がないらしい。


 コツコツといい足音を立てながら、オッペンハイム卿が先行する。

 見れば、いつの間にか荷物はなく、パンパンに膨らんでいたはずのトートバッグもぺったんこになっている(缶バッジのお陰でものすごく似合わない)。


(……収納魔法みたいなもんか?)


 いつ荷物が消えたのか全く気づかなかった。

 魔術行使までもが、どことなくスタイリッシュなんだよな……トートバッグの缶バッジがスマートさを著しく削いでいる気がするが。


 それにしても、足のコンパスの長さの違いなのか、ゆったりした足取りの割に速度が早い。


 日本人体型の俺はちょっと小走りにならざるを得ない。


 と、横を見ると同じくやや早歩きのトオル(こいつの場合、足の長さというよりは背の小ささが問題なんだろう。クソが)がチラチラとこちらを伺っていた。


「……何?」

「先輩、気づきました?」

「ん? あ、ああ……」


 もちろん気づいている。


 オッペンハイム卿がいくつもの魔術を行使しているのを目撃しているが……。


使な」

「……はい」


 どういうことなんだってばよ。


 わからないが、とりあえず加賀の指示だ。危険はない……わけではなく、それについちゃ何の保証もないが、まぁ死ぬような目に遭うことはないだろう。

 とりあえずついていくだけだ。


 ▽


 到着したのは、人工林に囲まれた墓地の駐車場だった。


「ここでいいだろう」


 オッペンハイム卿は、駐車場のど真ん中に置かれた豪奢なテーブルの前の椅子にゆったりと腰掛ける。


 ……さっきまで、こんなところにテーブルも椅子もなかったように思うが。

 まあ、この手の人たちと付き合うのに、いちいち驚いていたらキリがない。


 オッペンハイム卿は俺たちにも椅子に座るように促す。


「安心しろ。今日はここに訪れる者はいない」

「そうですか」


 なんでそんなことが判るんだよ、などと言わずに大人しく座ると、オッペンハイム卿は眼の前で湯気を立てるティーカップにミルクを注ぎ、軽く混ぜると優雅に口に運んだ。


 ……もう、いちいち突っ込まないぞ、俺は。


「……あの」

「加賀君から聞いた。なんでも空を飛びたいそうだな」

「へ? あ、え?」

「ん? ちがうのかね?」


 オッペンハイム卿はパチンと指を鳴らし「Music!」と小さくつぶやく。

 途端、BGM が鳴り始める。

 どこから鳴っているのか全然わからない。

 わからないが……え、これ、生演奏じゃね?!


「おお……ビル・エヴァンスだ……」

「わかるのかね?」


 思わず呟いた俺の言葉に、オッペンハイム卿が反応した。


「はい、このアルバムなら俺も CD を持ってますし」

「これは CD ではなく、生演奏だがね」

「……やっぱりそうですか」


 明らかに聞き覚えのある演奏だが、録音ではなく、どう聞いても生のピアノの音だ。

 ついタタタッと特徴的なフレーズを辿って指が動いた。


「ピアノを弾くのかね?」

「え、あ、まぁ、昔にちょっとだけやってたことがあって」


 カッコ悪いところを見せてしまった……と思ったら、横でトオルが「ちょっとどころじゃないじゃないですか……」とつぶやいた。

 こいつ、相変わらず俺を妙に持ち上げたがるな……。

 無視だ、無視。


「これ、何の魔術です?」

「指定した時間と空間のするだけの、単純シンプルな『ログ再現魔術ログ・リプロダクション』だよ」

「……つまり、実際にビル・エヴァンスが目の前で弾いているわけすか」

「眼の前ではないな。演奏場所は60年前の自宅だ」

「自宅すか?」

「知らんのかね。ビル・エヴァンスの作品は自宅録音のものが多いのだよ。これもその一つだ」


 オッペンハイム卿は軽く目を閉じると、指揮者のように指先を動かす。


「うむ、クラシックも良いが、やはりスウィング・ジャズが至高だな」

「ジャズがお好きなんですか?」

「ああ。音楽という芸術は、有史以前から血液のように受け継がれてきたが――ジャズを以て完成したと言っていい」

「バロックやクラシックは不完全と?」

「いや、もちろんそれも素晴らしい。しかし、西洋の狭い地域で閉じてしまっているのが惜しいところだな。その点ジャズは世界中の、特に、それまで誰も注目していなかったアフリカ新天地のエッセンスが混じり合い、音楽的世界統一を果たした点が素晴らしい」

「なるほど、一理ありますね」

「ジャズより後に生まれた音楽なんていうのは、なんというか……アレだね。全部ゴミと言っていいね」

「「……」」


 そんなわけあるか!


 でもまぁ、目の前にいる貴族然とした男(実際に貴族なんだろうけど)なら、そういった弩偏見を口にしても「そういう考え方の人なんだな」で済んでしまうのが不思議だ。


 ……と。


「あの」

「なんだね」

「そのトートバッグは、卿の私物ですか?」

「そうだが?」

「……えっと、アイドル歌手とかのものも含まれているようですけど」

「うむ」

「……ジャズ以降の音楽はゴミなのでは?」

「貴様ッ!!」


 俺がついツッコむと、オッペンハイム卿が劇的な反応を示した。


「彼女たちの音楽を愚弄するかッ!!」


 いきなり手に持った杖(そんなもんさっきまで持ってなかっただろ!)をビュッと降ると、俺は全身に強い衝撃を受けてふっとばされた!


「あばばばばば」

「先輩ッ!?」


 トオルが悲鳴を上げる。


 車にはねられたような強烈な衝撃!

 なんか5メートルくらいふっとばされた!

 剣道で大人にふっとばされる経験を積んでなかったら意識を失っててもおかしくないぞコレ?!


 このままだと後頭部を地面アスファルトに叩きつけられる。慌てて後頭部を守る――受け身を取りたいが頭を守るのが優先だ――そこにトオルの鋭い声が届く。


「コールッ!!〈臆病者Coward〉ッ!!」


 この一瞬で素晴らしい反応速度!――しかし惜しむらくは汎用魔術〈臆病者Coward〉の効果は手に触れたものに限る。

 トオルと俺の肌が接触していない以上、何の効果も起きない――。


(ってアレ?)


 間違いなく来るはずの衝撃がいつまでもやってこない……と思ったら、俺は頭を守る体制のまま、その場に二本の足で立っていた。


「お、おお……?」


 これ、〈臆病者Coward〉がちゃんと効果発動してるっぽい?

 な、なんで……?

 手を触れていないなら、効果は発動しないはず……。


 トオルが肩で息をしながら呟いた。


「せ、先輩を失うという、を打ち消しました……」

「あ、そ、そう……」


 ありがたいけど、なんかちょっと怖いな……。

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