Breakpoint #1

1

 世界がバグった。

 

 そう思ったのはほんの数秒。

 瞬きすると、もう世界は元どおりになっていた。

 

 目の前でクラスメイトの遠藤が喋り続けている。

 

「……で、トヨセンが千里がいないことに気づいて、また怒り始めて……って、千里? どうした変な顔して」

「……え?」


 遠藤の言葉に、周りの連中も一斉にオレの顔を見た。


「うわ、何お前、めっちゃ汗出てんぞ」

「ホントだ、うわ顔色悪っ! まだ体調悪いんじゃね?」


 皆、『赤い世界』について、まるで気づいた様子はなかった。


「え、えと……お前ら、今の聞こえなかったのか?」


 おれは恐る恐るたずねた。

 だが、皆顔を見合わせ、意味がわからないといった様子を見せた。

 

「今の、って?」

「なんか聞こえたか?」

「いや、うるさかったから、あんま細かい音まで聞こえなかったんじゃね」

「……そうじゃねぇよ」


 呑気な皆の様子に、俺は理不尽にも苛立ちを覚えた。 

 

 聞き逃す?

 それ以前に、世界が真っ赤だった。

 そしてあの神経を逆なでするようなアラート音。

 

『物理法則のアップデートに失敗しました』

 

 絶対に聞き間違いじゃない。間違いなくそう言った。

 こいつらには、認識されていない……?

 

「ウッ……」


 急に吐き気に襲われる。


「千里?!」

「おい、保健室行けよ」

「お前、夜更かししすぎだろ!」


 クラスメイトに声を掛けられる。


「だ、大丈夫、ちょっと休んでくる」

「保健室、着いていくぜ」

「いや、いい。一人で行くから、担任来たら、うまいことごまかしといて」

「お、おお。わかった」

「気をつけろよ」

 

 クラスメイトの声を後ろに、教室を出る。


 向かうのは一階。

 職員室の前を通ると教師に見つかってややこしいことになりそうだ。

 少し遠回りする必要がある。


 と、そこで声を掛けられた。


「あ‥…あくつ先輩?」

「……トオル」


 小林透こばやしとおるだった。

 見れば、トオルの顔も緊張している。


「……さっきの……お前も聞いたのか?」

「……はい。システムメッセージ、ですよね」

「やっぱりか」

 

 予想してた。

 わかっていた。

 きっと、これは昨日の出来事と無関係ではないと。


 放っておく?

 とてもではないが、そんな気分にはなれなかった。

 自分に何かできるとも思わなかったが、放置することもできなかった。


 だから、俺は二度と近づくまいと思っていた、華道室に向かっている。

 

「な、なんだったんでしょうか」

「……わかんねぇよ。ただ、多分昨日のアレと無関係ではないだろうな」

「同感ですけど……先輩はどうしてそう思いました?」

「俺とお前だけが認識できてるんだ。他に気づいてそうな奴らは見なかった」

「……そうですね……」

「じゃあ、無関係なわけないだろ」

「……はい、ボクもそう思います」

 

 トオルの顔は真っ青だった。

 

 そりゃあそうだ。

 あのシステムメッセージは、強烈に不安感を煽ってくれた。

 俺の顔だって真っ青に違いない。

 

「加賀さんなら何か知ってるかもしれない」

「あ、ボクもそう思って……」

 

 そして、美術室、茶道室を通り過ぎる。

 

 昨晩、双子から逃げ惑った時のことを思い出す。

 だが、全てが元通りになっていて――まるで昨晩の出来事が嘘だったかのようだ。

 

 自分の中の現実が塗り替えられているのがわかる。

 だが、トオル――あの時の「荷物ちゃん」が横にいることで、おれはなんとか昨晩のことを現実だと認識している。


 美術室前の一年生の描いた自画像は全く化粧していないし、アクセサリーも描かれていない。

 

 大量の手が突き出ていた茶道室の障子も、破れてはいなかった。

 貼り直したというよりは、完全に元どおりになっている。障子紙も経年劣化を感じる質感だった。

 

 言うまでもなく、華道室のガラス障子もまったくの元どおりだ。


 ――その辺も、まぁなんとかしておくから、心配しなくていいよ


 加賀言葉を思い出す。

 間違いなく彼の仕業だ。

 どうやったのかは皆目見当もつかないが。

 

「すみません」

「お邪魔します」

 

 二人で声を掛けて、華道室のガラス障子を開ける。

 鍵はかかっていなかった。

 

「お邪魔します」

「加賀さん、いますか」

「なんだ、来ちゃったのか、キミたち」

 

 やけに姿勢の良い正座で、加賀が花を活けていた。

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