イルカの看板
「本日は休館日です」イルカの看板が二人にそう知らせていた。父親の命日に水族館が閉まっているなんて考えもしなかった。7年間、命日には水族館参りを欠かさなかった。しかし、今日は水曜日、週に一度の休館日である。去年まで、偶然、父親の命日が水曜日ではなかったというただそれだけのことである。水族館参りを考慮に入れて、休館日がずらされたりするはずもなかった。
「閉まってるね――」
落胆の表情を隠せない李依のことを珍しく信人が気遣っている。
「そうね……」
いつの間にか李依の首から下げられていた年間フリーパスポートが虚しく揺れている。
「フリーパスがあれば休館日でも入れるじゃない?」
信人はそれを李依の首から勝手に外し、自分の首に掛け替えた。半ば冗談で入口の自動ドアを手動で開けようと試みる。ドアとドアの間に両手の指先を突っ込み、左右にこじ開けようとする仕草が実にわざとらしい。次の瞬間、両手がぶらんと垂れ下がり、彼はその場で泣き崩れた。
「7年間、長かっただろ」
「7年間、辛かっただろ」
「遅くなってごめんな」
「気にしてないから」
「もう気にするな」
「本当に幸せだった、ありがとう」
「頼むから、李依も幸せになってくれ」
まさに魂の叫びである。そして彼は李依を強く抱きしめた。
「お父さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
まるで、小学生のように涙をぼろぼろと流しながら、どうしても伝えられなかったその言葉を彼女は気が済むまで何度も、何度も、繰り返し叫び続けた。
「もう気にするな」
その一言を最後に彼は気を失った。
「信人――――――――――!!」
数秒後、彼はすぐに意識を取り戻した。
――どういうことだったのだろう。李依の父親が僕に憑依したということなのか。命日という特別な日。二人にとって特別な場所。でもそれは毎年のことだったはず。だとするならば僕がトリガーとなったのか。それなら、なぜ、僕が? そもそも、憑依されている間のことなんて普通、覚えているのだろうか。しかし、僕は、はっきりと覚えている。心揺さぶられた感情と共に。
「あなた本当に大丈夫なの?」
李依の顔から涙は拭われた後のようだが、泣きはらした目元までは隠せていなかった。
「今日は力を使い過ぎたのかも、少し休めば問題ないよ」
李依はそっとハンカチを差し出した。信人はなぜ自分が涙を流しているのか不思議そうな振りをして、くしゃくしゃになった顔を大雑把に拭った。
「自転車通学ってことは、あなたの家そんなに遠くないのよね、送るわ」
「だから、大丈夫だって」
「信人が大丈夫でも、私が大丈夫じゃないのよ!」
「それと、信人は覚えていないかもしれないけど……」
「何が?」
全く心当たりのない振りをする信人。
「ありがとう」
そう言うと李依は信人に肩を貸し、自転車を引いて彼の家に向かって歩き出した。
「で、あなたの家ってどっちなの?」
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