第12話 心霊医師


 時刻は23時。月と星は薄い雲に隠された、暗い夜だ。

 倒壊まで秒読みに見える古びたアパルトメントの影が地上を覆い、人の目には見通せない闇を作り出す。

 ケンタロウとコンラッドは連れだってその薄気味悪いアパルトメントへ足を進めている。

 遠くからは野犬の声が聞こえるが、この周辺には何者の姿も、声も、物音も感じられない。まるで何かを避けているように。


「本当にこんなホラー映画の舞台みたいなところに医者がいるんですか?」


 入り口ホールに入り、漆喰の剥がれた壁を見ながら、青い顔のコンラッドが尋ねる。図体の割に気が小さい面がある男である。

 入り口脇の管理人室には長く人が居た気配はなく、建物内からは物音一つしない。


「ああ。真面まともな医者じゃないが、腕は確かだ」


 答えるケンタロウは変装を取った素顔だ。

 これから訪ねる先は旧知の人間だからであり、今後のことも考えてコンラッドにはすでに素顔を晒していた。

 付き合いが長くなるほど、自分の新しい上司(?)が抱えているであろう闇を覗くのが怖くなってくるので、コンラッドは余計な質問は控えることにしていたが、周囲のあまりにも『らしい』雰囲気につい口数が増えてしまっている。



「こんな時間に来ても良かったんですか?」


「24時間受け付けてくれるが、彼は昼は大抵寝てるから、起こすと機嫌が悪くなるんだ」


 玄関ホールを迷いなく進みながら「それと」と言葉を続けるケンタロウ。


「あまり細かいことを気にしない人ではあるが、俺の恩人でもあるから態度には気を付けてくれ」


「分かりました」


 コンラッドはどうやったらこの穏やかだがおっかない上司に恩を売れるのだろうか、と益体も無いことを考えてこの場の雰囲気を忘れようと試みた。



 建物の中に入り、今にも朽ちて落ちそうな螺旋階段を登る。

 3階の奥まった一室の扉の前で足を止め、ブザーを鳴らす。

 扉には表札も看板も何もない。



「開いてるよ」


 低い男の声が中から響き、それを確認したケンタロウがドアを開け、中に入る。

 廊下を奥に抜けて扉を開けると、そこは意外なほど広く清潔なリビングで、右奥にある歯医者の患者用ベッドに似た治療台がすぐに目を引く。

 左奥はキッチンと生活空間になっているようで、一人用のソファに腰かけた若い男が琥珀色の液体と丸い氷が入ったグラスを片手に寛いでいた。

 男はケンタロウの顔を見ると、眉を顰めてグラスをテーブルの上に置いた。



「お前……確か以前、シンイチロウが連れてきた奴か」


 若い男は短い焦げ茶の髪に金の瞳の白皙の美男だったが、年齢の割に妙に退廃的な雰囲気が馴染んでいた。


「ご無沙汰しています。今は『草壁賢太郎』と名乗っています。こっちはコンラッド・モース」


 軽く頭を下げたケンタロウを見て、慌てて自身も頭を下げ、上司はどうやら偽名だったらしいことに驚くような納得するような、複雑なコンラッド。


「帰ってきたのか。シンイチロウは?」


「喧嘩別れしました」


「ああ……」


 コンラッドは(『帰ってきた』ってことは最近まで居なかったのか? あと『シンイチロウ』さんってのはそれで納得される人なんだ……)と新しい情報を整理しながら、2人のやり取りを黙って見ている。



「それで? 挨拶だけに来たんじゃあるまい?」


「モースの右足の怪我の治療と、簡単な強化手術をお願いしたいんです」


(え、強化手術って何?! 足の治療としか聞いてないけど?!)


「ふん。そこに横になれ」


 若い美形の医師はソファから立ち上がり、脇に掛けてあった白衣に袖を通す。

 コンラッドは内心のツッコミを飲み込んで、おっかなびっくり治療台に近づく。

 近くで見る治療台は大きく頑丈な造りで、ズボンを脱いで横たわるとコンラッドの巨体をしっかりと支えている。


「銃創か。恐らく9mm。弾は摘出済みで全治1か月。普通の医者の手当ては受けているようだが?」


 ちら、とコンラッドの包帯を巻かれた右足を一瞥しただけで言い当てる。


「少し急ぎますので」


 簡潔に答えるケンタロウの言葉を聞きながら、医師は慣れた様子でコンラッドの手足を丈夫そうな革のベルトで固定していく。


(え、ナニコレ?! いったい何されんの?!)


「ふん。強化のオーダーは?」


「持久力と再生力の単純強化。あとは暗視を」


「3つか……1週間入院だな。あと高いぞ……と言いたいところだが、シンイチロウの事務所は今どうなってる?」


「僕が引き継ぎました」


「なら仕事を依頼する。それで手術代はチャラにしてやる」


「どういった内容ですか?」


「少し待て」


 治療台に括りつけられ冷や汗を流すコンラッドを他所に話は進んでいく。


(ヒッ!)


 医師が顎をしゃくると、いつ、どこから現れたのか、看護師の格好をした女がよく分からない器具が納められた棚から、無言のままA4のファイルを取り出した。

 看護師の女はグラビアモデルのようなメリハリのある体つきでスタイルが良く、整った顔立ちだが、眼の下に濃いクマがあり、無表情の青い顔でまるで幽霊かなにかのようだ。

 看護師の女は音も無くファイルの透明のポケットから数枚の資料と写真らしきものを取り出して、ケンタロウに手渡す。


「知人の家族だ。行方を捜してくれ」


 ケンタロウは口に手を当て、手渡された資料をしばらく確認してから口を開いた。


「……多分、この方の行方は分かります」


「何?」


「恐らくですが、もう亡くなっています」


「……どうして分かる?」


「別件で調べた犠牲者リストの中に名がありました。恐らく犯人は、"フェニックス"とスターナイツ。この方は連中が攫った犠牲者です」


 医師は秀麗な眉を顰める。


「"ワーウルフ"の悪い噂は聞いたことがあるが、"フェニックス"もなのか」


「ええ。スターナイツの一部を私兵として使い、逮捕権を悪用して若い女を攫い犯しています。月に一度以上の頻度で。生きて帰った方もいますが、そういう方々は廃人同然になっているか、怯えて引きこもっています。弱みを握られている可能性が高いと見ています。帰ってきていないのなら、恐らくもう……」


(聞きたくなかった!)


 コンラッドの目の前で話されているのは、明らかにこの国の暗部。

 忘れよう、と心に決める。


「証拠が必要となると少し時間を貰いますが、どうしますか?」


「……頼む。家族も納得したいだろう」


「分かりました。では1週間後にまた来ます」


「ああ。施術は見ていくか?」


「男が苦痛で上げる声を楽しむ趣味はありません」


(どういう意味?!)


 看護師の女が、にたり、としか形容できない顔をしていたのを、コンラッドは見てしまった。

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