第11話 草壁賢太郎
昼下がりの草壁調査事務所、その一角。
そこは事務所部分とは天井まで届くパーティションで区切られた、ケンタロウの生活空間だ。
プライベートスペースとはいえ、窓はなく、私物は少ない。ワンドアの冷蔵庫、小さなオイルヒーター、スチールの戸棚、雑多なものがまとめて詰められたダンボール箱、複数のダンベル、そして安ベッド。
今、狭いシングルベッドに身を寄せ合って横たわるのは、事務所の主と美しい少女だ。
レインは隣に横たわる恋人に腕枕をねだり、足を絡ませ、猫のように自らの体を擦り付けながら尋ねる。
「ねえ、ミス・スミスに何かした?」
「話し合ったよ」
ケンタロウは銀髪を優しく撫でる。
「ふうん」
少し唇を尖らせて何かを考えるレイン。
「……まあいいわ。そんなことより、ねえ、どのようにしてあなたは『ケンタロウ・クサカベ』になったの?」
「そんなことが知りたいの?」
「好きな人のことは何でも知りたいわ」
「そうかい? それなら、そうだな……少し遠回りな話になるけど……ずいぶん以前から、ペンドルトン博士の変態ぶりは、ごく一部の人たちからは知られていた。あの邸には警備員も、雇われの庭師やハウスキーパーもいたし、全員が口が堅いわけでもないからね」
「……そんな状況で、有名な博士のスキャンダルが、よく広まらなかったわね?」
「博士には彼の代わりにそうした細かい問題に対処してくれる、献身的で強力なパトロンが居たんだ。彼の作った『老化を緩やかにする薬』を誰よりも欲するパトロンがね。それが君の後見人になり、博士の研究成果を手に入れた、ステュアート女公爵だ」
「以前一度だけお会いした時は30代くらいに見えたけれど……実際はおいくつなのかしら?」
「60は過ぎているはずだよ。博士より少し年下くらいだったはずだ」
「興味深いお話だけれど……そのお話に私の大好きな人は登場するのかしら?」
「もう少し聞いてくれるかい、せっかちさん? ……あるところに美しい娘を攫われた家族がいたんだ。彼らは警察に届け、自身たちも必死で探したが、手掛かりすらも見つからなかった。そうして彼らは、藁をも掴む思いで、知人から紹介された探偵を雇ったんだ。それが『草壁調査事務所』の前所長『草壁真一郎』だった」
「聞いたことのある事務所が出てきたわ」
「真一郎は、調査の結果、変態博士に辿り着いたが、ビビり……いや、慎重で遵法精神に溢れた真一郎では、どうしても客観的な証拠が掴めなかった。諦めず尾行を続けていたある夜、一組の男女を研究所敷地内の森に連れ出し、複数名で暴行を加えている現場に行き遭った」
「……助けては、くれなかったの……?」
「実行犯は博士以外にも4人いて、すでに少しずつ名前が売れ始めていた、戦闘向きの超能力者たちだったからね……。真一郎以外の探偵だったらそもそもペンドルトン博士まで辿り着けなかっただろうし、尾行もあっという間に見つかって、奴らが僕たちを研究所の焼却施設に捨てるときに一緒に捨てられてたろうね。朝になったら誰にも見つけられず、機械が自動で動き出して、骨まで燃え尽きてそれきりさ」
「そう……」
「僕は弱いながらも多少の超能力があって、それで急所を庇って一命を取り留めたけど、ミッシェルは救助が間に合わなかった。頭から膝まで麻袋を被せられていた僕は、音と声しか聞こえなかったけど……彼女にとっては、その方がマシだったかもしれないね」
「……そうしてシンイチロウさんに、クロウは助けられて、っん!」
「その名前はあまり口にしないで欲しいな? ……ん。……レインは、どうして僕の指を咥えたのかな?」
「ほうは、ははひほ、ふひびふひ、ははっはははほ?」
「……『ロウが私の唇に触ったからよ?』……かな?」
「ふん(こくり)」
「……ええと、どこまで話したかな……そう、真一郎に助けられた僕は、無免許だが腕利きの心霊医師の手当てを受けて一命を取り留め、リハビリに励んだ。真一郎はその後も博士の調査を続けたけれど、そのうち続けられなくなった。博士を嗅ぎまわっている探偵がいるらしいと感づかれたからだ。その探偵が真一郎だと露見すれば、依頼者の身の安全も脅かされる恐れがある。大貴族とはそもそもそういう連中だし、この場合は特に、美に憑りつかれた妖怪みたいな女が相手だからね」
「(ぴちゃぴちゃ)」
「……真一郎は依頼者に、大貴族から狙われる恐れがあることを伝えて、転居させた。真一郎も念のため、身を隠すことにした。なんとか動けるようになった僕も、彼とともに国を出て、世界を巡った。いくつかの出会いと幸運があって、僕の身体の後遺症も癒え、心も甘ちゃんだった以前と比べれば多少はマシになった。ある国で出国の際にトラブルがあって『死人との旅は不便だ』と言いだした真一郎が、伝手を使って僕を真一郎の甥に仕立て上げて戸籍を手に入れた。そうして僕は『草壁賢太郎』と名乗ることになったのさ」
「(ちゅぽん)シンイチロウさんは、今はどうしているの?」
「さあ……。僕が奴らに返礼するために、この国に戻りたいと伝えたら、喧嘩別れすることになったからなあ。たまにいろんなところからおかしな土産を送ってくるから、生きてはいるんだろうけど」
2人は部屋の隅のダンボール箱とそこからはみ出した何かにちらりと目をやり、すぐに反らした。
「……お土産のセンスはともかく、少しだけ、お会いしてロウを助けてくれたお礼を言いたかったかもしれないわ。(はむ)」
「真一郎の奴が君を見たら驚いて、また僕と喧嘩になるかもしれないな。『この変態野郎が!』ってね」
「(がぶっ)」
「あ痛て」
「私、もう大人なのだけれど」
半目で頬を膨らませてケンタロウを睨むレイン。
「それを知ってるのはもう僕だけだから。今の君は戸籍的にはローティーンだからね」
「……理屈と感情は別物なのよ。だから、貴方と2人の時くらいは、大人のレディとして扱って欲しいわ」
「これ以上なく、大人扱いしてると思うな」
「もっと。何度も。優しく。激しく」
「仰せのままに。マイレディ」
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