第8話 選択肢


 ケンタロウはアパルトメントの扉の鍵を『力』で開け、自然な様子で室内へ入った。

 部屋は想像していたよりも整頓され、観葉植物が置かれるなどしていて、掃除も行き届いているようだ。

 廊下を抜けてドアを開けるとやや殺風景なリビング。

 リビングのテーブルの上には、開かれた油紙の上に、レンガ1つ分ほどのどぎついピンクの粘土が置かれている。 

 テーブルの向こうで1人の男が慌ててソファから立ちあがる。

 右足の怪我がまだ治っていないらしく、動きがややぎこちない。


「なっ、クサカベ?!」


 身長2mを越える熊のように大きな体に朴訥そうな顔が乗っている。

 驚きと苦みと嫉妬をブレンドしたような表情でケンタロウを睨んでいるのは、先日レインへの恋慕を拗らせて、警備会社を追われたコンラッド・モースだ。


 ケンタロウはテーブルの上のピンクの粘土へ視線を向ける。


「セムテックス(※プラスチック爆薬)か。警備員から建築会社にでも転職したのか?」


 ケンタロウの問いにコンラッドは答えず、立ったまま険しい顔で拳を握り締めている。


「また……俺の邪魔をするのか……!」


「するさ。それが僕の仕事だからな」


 コンラッドはテーブルの上の紙袋に右手を突っ込み、腕を振るって紙袋を払った。

 その右手にはごついシルバーの自動拳銃が握られている。

 ミドルイースト製の50口径のようだ。かなりの大型拳銃だが、コンラッドが持つと普通のサイズに見えた。


「止めておけ」


「ッ!……舐めるなッ!」


 コンラッドの親指がセーフティを解除し、トリガーガードに沿って真っすぐ伸びていた人差し指が曲がってトリガーにかかる。

 ケンタロウはその様子を底光りする瞳で見つめながら動かない。

 銃を構えるコンラッドの両腕に力が籠められる―――が、銃が火を噴くことは無い。


「なッ! 故障か?!」


 初弾は手動でチェンバーに弾丸を送っていた上に、そもそも信頼性が高いと評判の銃だ。その誤動作に狼狽えるコンラッド。ケンタロウの『力』の仕業だが、コンラッドに分かる訳もない。

 瞬間、ケンタロウによってテーブルが視界を塞ぐように高く蹴り上げられる。

 コンラッドは両腕でテーブルを防ぎ、逆に力任せに押し返すも手応えはなく、テーブルが落下した向こうにはもうケンタロウの姿はない。


「クッソ!」


 左右を確認しながら悪態をつくコンラッドの視界の下、テーブルをくぐって凄まじい速さで音も無く踏み込んだケンタロウは、大型拳銃を持つコンラッドの右手首を左手で握って外側へ押し出しながら、右の掌底でコンラッドの顎を下から撃ち抜く。

 流れるような足捌きで、堪らずふらつくコンラッドの右腕を銃ごと捻りながら足を払い、コンラッドをうつ伏せに倒して腕を極めた。


「ガアアア!」


 コンラッドは腕力を頼りに暴れ、銃のトリガーを引くが、やはり銃弾は発射されず、腕に掛かる体重と苦痛、さらに後頭部に当てられた重く冷たい銃口の感触に動きを止めた。


「詰みだ」


 ケンタロウの低く冷たい声が響く。

 コンラッドはそれでも隙あらば、と全身から緊張を抜いていなかったが、続く言葉にその意思が挫けた。


「ペンドルトン子爵令嬢から伝言を預かっている。先に言っておくが、お前にとって都合の良い内容ではない。それでも聞く気はあるか?」


 女神の言葉―――それが手ひどい拒絶であっても、聞きたい、そう思ってしまった。

 コンラッドは拳銃を握る力を抜き、凶器から手を離した。




 ケンタロウはコンラッドから銃を取り上げ、簡単にボディチェックを行ってから床に座らせる。

 さらにそこから3歩ほど離れて立ち、右手で銃口を向けたまま、左手に持ったスマートフォンで、撮影された動画を再生する。


『ご機嫌よう。コンラッド・モースさん』


 映し出されるのは、コンラッドが恋焦がれる美しい銀の少女だ。

 その声で名前を呼ばれるだけで、コンラッドの心は震え、涙が目に滲む。

 同時に、小さな画面に映る女神の姿の小ささが、彼女と自分の間の絶望的な距離を感じさせた。


 動画の中の彼女は、薄く微笑みながら言葉を紡ぐ。


『私はこれから、あなたに酷いことをたくさん言います。辛いようでしたらここでこの動画を見るのを止め、私のことは忘れて他の街へ移り住んでください』


 ケンタロウから釘を刺されたとはいえ、のっけからささやかな希望を打ち砕く言葉の弾丸を撃ち込まれるコンラッド。

 それでも動画を止めることは求めず、その姿を見つめ続ける。彼女の姿を見るのはこれが最後かも知れない、と思いながら。


『……。……。…………。そろそろいいかしら? 私に執着なさっているあなたに、これから3つの選択肢を提示します。……まず最初に申し上げなければいけないのは、私があなたの思いを受け入れることは、決して、未来永劫、生まれ変わってもない、ということです。その点については諦めて貰わなければ、貴方の前に居る私の探偵が、貴方の命を奪います。思いに殉じて死ぬ。それが1つ目の選択肢です』


 最初の選択肢からいきなりハードだ。

 予想でき、覚悟の時間も貰えたとは言え、コンラッドの肩が落ち、体が小さくなったように見える。

 『思いに殉じる』などと綺麗な表現をしているが『邪魔なら躊躇なく殺す』ということだ。

 淡々と語るレインの様子に「本当に、路傍の石くらいにしか思われてないんだな……」とコンラッドの胸に初めて虚無感が染み入る。

 レインの言葉は続く。


『2つ目の選択肢はもうすでに提示しましたが、私のことは忘れてこの街を去ることです。……正直に言えば、これが一番お勧めです』


 ますますコンラッドの身体が縮まる。

 ああ、本当に、自分の思いなどと言うものは、彼女には不要なものでしかないのだ……。

 コンラッドの目から光が消える。

 現実を受け入れると同時に、決して暗愚ではない彼は、今まで己がやってきたことの愚かしさが急速に理解できて来ていた。

 多くの人にも、会社にも迷惑をかけて……ああ、恥ずかしい、申し訳ない……。


 ……確かに、この選択肢はきわめて穏便で、甘い処断だ。それ故に『お勧め』なのは理解できるが……なら、3つ目はいったい……?



『3つ目の選択肢は……私の犬になることです』


「は?」


 思わずコンラッドの声が漏れる。

 え、い、犬?

 ケンタロウの方を見ると、コンラッドの疑問を無視するように目を閉じて口を引き結んでいる。

 動画の中でレインはカメラから目線を外し、撮影者らしき方へ目をやっている。  

 クサカベと思しき低い声が、何事かを語り掛けているようだ。


『この言い方だと誤解を招く? ……そう? ええと……具体的には、クサカベの部下として、子爵家の裏の働きをしていただきます』


 ああ、うん。おかしな意味ではなかったらしい。

 少し残念にも感じるが、では『裏の働き』……とは何だろう。


『細かいことはまだ何も決まっていませんが、今後起こりうる、あまり表沙汰にできない仕事を受け持っていただきます。この場合、クサカベの言葉は私の言葉と同等であることとし、拒否権はありません。貴方の生殺与奪の権限もクサカベにあることとします』


 クサカベに絶対服従で、汚れ仕事を受け持つ、ということか……。


『はっきり言って、私たちから貴方への信頼はゼロどころかマイナスです。どの選択肢であれ、私があなたに直接会うことはもう無いと思ってください。……それでも、もしも、今後の貴方の働き次第で、信頼を回復できたなら……このような形で働きを褒める程度のことは、あるかも知れません。……提案は、以上です』


 ここでレインは言葉を区切った。コンラッドが言葉を咀嚼する時間を与えているのだろう。


 ……なるほど。

 これはチャンスで、希望……いや、違うな。勘違いしてはいけない。

 これは女神へ今までの無礼を贖罪する機会が得られる、その唯一の道と考えるべきだ。


 だが、信頼の回復には年単位……いや十年単位で考えなければならないだろう。その間、彼女に近づくことも、姿を見ることも許されず、クサカベに従って行動する。

 そして恐らくこの男は……必要と判断したら、いつでもコンラッドを殺すだろう。


 レインは再び語りだす。


『ゆっくり考えて頂いて構いませんが、期限は区切ります。引っ越しも含めて、月末までに対応してください。賢明な判断を望みます』


 ……その言葉を最後に画面は静止し、動画は終わった。

 コンラッドは物寂しさを感じる。


「……対応が決まったら僕に連絡してくれ。じゃあな」


 ケンタロウは素っ気なく、連絡先を記載したメモをテーブルに置くと、背を向けて去ろうとした。


「ま、待ってくれ!」


 慌てて引き留めるコンラッドの表情は妙に必死で、だが言いにくそうな何かを孕んでいる。


「どうした? もう決めたのか?」


「い、いや、その、できたらでいいんだが」


 しどろもどろに言葉を紡ぐ、その表情にはもう拗れた恋慕の熱狂はなりを潜めていて、まるでプロスポーツ選手にサインをねだる子供のような照れと純真さすら感じる。

 だからか、ケンタロウの返事も幾分か柔らかい。


「なんだ?」


 俯き加減に、頬を染めながら申し入れられたコンラッドの希望は。


「その、さっきの動画を、コピーしてもらうことはできないか、いや、できませんか?!」


 ……。


「……僕の一存では決められない。確認しておく」


 答えるケンタロウの視線は、先ほどとは趣の異なる、生暖かいものだった。


「あ、ありがとう! よろしくお願いします!」


 純朴そうな顔に喜色を浮かべて、つむじが見えるほど、深々と頭を下げる、大男。

 ケンタロウは肩を竦めて、取り上げていた大型拳銃を玄関脇の観葉植物の鉢に置き、部屋を出て行った。

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