第23話 束の間の休息


 昨日、電撃的にリークされたクリストファ・ロートリンゲンの醜聞は、今日も世間を賑わせていた。


 その情報の真偽について語る者。

 以前からあったスターズ及びスターナイツに関する他の疑惑をここぞとばかりにあげつらう者。

 『烏』とは何者か検討する者。

 理由に寄らず、テロを許すなと訴える者。

 スターナイツを標的にしたことを念頭に置き、改めて同時多発テロに関する情報の再整理を行う者。


 こうした世の流れにだんまりを決め込むことはできず、クリストファ・ロートリンゲンは記者会見にて、すべてはテロリストからの偽情報であり、混乱を静めるよう呼び掛けたが、彼への多くの疑惑が証拠付きで残されており、追及の手は緩んでいない。


 部隊の不正な運用履歴。

 部下との癒着、犯罪の共犯や教唆に関する、加害者、被害者からの証言。

 暴力を受けた被害者たちへの数々の冤罪の証拠となる資料や記録。


 こうした件に関する内部資料付きの証拠がマスコミたちへリークされていて、クリストファ・ロートリンゲンからそれらに対する適切な釈明は、先の記者会見を除いて一切行われていないのだ。

 すべて事実だからまともな釈明などできなくて当然だが。



(全く予想の範囲を出ない。公人としてのクリストファ・ロートリンゲンは詰んだな)


 ケンタロウは、顔と声に修正の入った被害者女性のインタビューが流されている事務所のテレビを消す。


 ケンタロウはまごうことなき犯罪者だ。

 人を殺し、建物を爆破し、復讐と関係のない人々を多数巻き込み、傷付け、ごく少数ながら死に至らしめた。

 それでもケンタロウに後悔はない。


(人は自分が傷つけられなければ、悪を見過ごす。見ないふりをする。なら、見ないふりができなくしてやる。自分たちが見たいものだけ見て、持て囃した者たちがどのような悪なのか、目を開いて見るがいい)


 ケンタロウの怒りは、仇を持て囃す世間にも向けられていた。

 まごうことなき悪は仇たちに違いないが、仇たちを咎めず、増長させていたのは、彼らの周囲の者たちだ。

 その証の1つとして、クリストファの不正の証拠となりうる資料の保管状況は、自身が追い詰められることを想像もしていなかったような油断ぶりだった。

 この10年、誰もクリストファ・ロートリンゲンの、スターズの悪行を責める者がいなかったからだ。

 実際、クリストファ・ロートリンゲンにここまでダメージを与えられる政敵もテロリストもこれまでは居なかった。

 ケンタロウが集めた情報と証拠が、質・量ともに無視できないものだったからであり、同時多発テロが人々の耳目を集めたからこその、今の状況である。


(テロリズムに頼らなければ膿を出すこともできない、ということの恐ろしさに気付いている人がどれだけいるだろうか)


 ケンタロウは考える。

 それでも、多くの無関係の人を傷つけた自分は、地獄に落ちるのだろう、と。

 眉間を揉む。思考が散漫になっている。自身を蝕む睡魔を自覚した。


(……正直、疲れた。今日くらいはのんびりさせてもらおう……)


 ゆっくりと事務所のソファに身を横たえる。

 すぐに睡魔が襲ってきたが、脳はまだ活動を継続しようとして、自然と直近の出来事が脳裏をよぎる。


 同時多発テロの様々な前準備、エリオットとの戦い、レインの保護とレインを連れての首都からの脱出。

 さらにこの1週間は、クリストファの八つ当たりによるレインへの襲撃に備えてあまり休めておらず、合間にマスコミへリークする資料作りも行っていた。

 自分が糸で輪切りにした死体と情報を吐かせたスターナイツの始末は、心霊医師に売り払って処理を丸投げさせてもらった。

 以前情報を渡した心霊医師の知人の家族、行方不明の娘に関しても、実行犯の口から直接、裏も取れた。今頃は物言わぬ臓器になっているだろう。


 レインがテロに巻き込まれた直後だから1人で休養したい、というやや無理のある理由付けで家政婦と音楽教師には一時的な休暇を与えた。

 ただ、彼女たちにも休暇を取りたい理由があって、すんなりと受け入れられた。

 彼女らは今頃、オウガマスクが渡した情報に従って、車が山積みの鉄くず処理場の中で黒いワゴンを必死に探しているのだろう。

 ステュアート女公爵が欲していた手がかりの一つである黒いワゴンは、あの日にケンタロウが即席で準備した(中古車屋から盗んで事務所に代金を置いておいた)もので、実際に郊外の鉄くず処理場に放り込んでいた。

 相当に運が良ければまだプレスされていないだろうが、手掛かりは残していないからどちらにせよ無駄骨になる。


 マリア・スミスはあの同時多発テロに巻き込まれた際、あのロビーの隅で腰を抜かしていたらしく、チャールズ翁とスターナイツの戦闘の一部始終を目撃していたため、しばらく首都で火傷の治療を受けながら事情聴取を受けていた。

 チャールズ翁が気付いていなかったとは考えにくいため、見逃されたのだろう。

 もっとも、"レディ・シャドウ"の張った闇でほとんど声と音しか分からなかったらしい。

 警察から解放されてベクトラシティに帰ってきた後も、さすがにすぐに仕事をする気にならなかったようで、こちらも現在は休暇を取って実家で静養している。


 こうした経緯もあって、現在、レインの身の回りの世話の一部、買い出しなどはケンタロウが受け持っていた。

 疲労が溜まっていないはずが無い。


 同時多発テロの下準備と並行して行っていたクリストファへの攻撃材料集めだが、前述のように、自信過剰によるものか、長年の慣れによる緩みか、贈賄や横領の証拠集めは然程、手間でも無かった。

 とはいえ、ぎりぎりまで交渉を行っていた、性的暴行を受けた被害女性からの証言集めが精神を削った。


 幸い、とは言えないが、事前の調査時よりも被害者の総数が多く『被害者だとほぼ断定できた方』かつ『生きている方』だけでも、過去10年で3桁近い人数が居たことに呆れた。

 それだけの分母があれば、中には報復に前向きに協力してくれる女性も一定数おり、マスコミからの出演依頼にも応じてくれたのは仮面を付けて交渉したケンタロウにとって追い風だった。



 侯爵家の嫡男に生まれ、整った容姿と強力な超能力に恵まれたクリストファ・ロートリンゲンという男は、挫折らしい挫折も無く、周りが自身に従って当然の環境で生きてきたため、自尊心が非常に高く、傲慢だ。

 だが、根が小心者で、保身にも長けているため、表面上は善人を演じている男でもある。


 そんな男が、公人としての立場、名声、名誉を失墜させられたらどうなるか?


(……クク、あの男にまみえた時、どんな表情を見せてくれるか、見物みものだな……)


 ようやく脳が休息を受け入れようとしている。

 ケンタロウは意識を手放した。



 ……。


 トントン。


「もしもーし。貴方の愛しの恋人が今日も来ましたよー」


 ……。


「あら? 今日は出かけるって聞いてないけど、どうしたのかしら?」


 カチャ、ガチャ、ギィ。


「お邪魔しまーす……あら、寝てたのね」


 コツコツ。


「起きないわ……疲れてるのね……うふ、寝てる時までしかめっつら、かわいいわ……」


 ギシッ。


「よいしょっと。お疲れ様、ロウ。世間も、貴方自身も貴方を許さないでしょうけど……私は許すわ……♪~……♪~」



 少しだけ音程のズレた歌を聞いて、眠りながらもケンタロウの眉間に寄っていた皺は、いつのまにか消えていた。

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