第17話 式典会場
翌日、式典当日。
かなりしっかり目に朝食をとった後、式典用のドレスは一人では着ることが難しいため、朝からマリアが部屋に来て互いに身だしなみを整えている。
ケンタロウは先に自分の準備を済ませて、当然ながら部屋の外で待機していた。
ケンタロウの服はいつも通りの黒づくめだが、レインが無理やりプレゼントした新しい服だ。地味だが高級品である。
およそ1時間ほどでレインとマリアは支度を終え、部屋から出てくる。
レインは全身黒のオートクチュール。
肌の直接の露出はほぼ無いものの、デコルテと両腕は黒いレースで透けて見えている。
大人っぽいデザインで、一歩間違えば喪服にも見えかねないドレスだが、ロングスカートは複数の薄い刺繍が重なりながらも重く見えないデザインで、そうした華やかさを感じさせる絶妙なデザインと、シルバーに多数の小ぶりのサファイアを星のようにあしらったネックレス、ベールが長めの黒いカクテルハットが、レインの持ち前の神秘的な美貌を見事に彩っている。
アクセサリはケンタロウが選んだものだが、レインがドレスの直しで席を外している間に、服飾店の店員複数を巻き込んで相談し、やっと決まったものだ。
「あなたの妻に何か言うことは?」
「今日も綺麗だよ。そのドレスも見るのは2度目だけど、何度見ても似合ってる」
「うふふっ。何度言われても嬉しいわ。式典なんて面倒でしか無いけど、断れない招待ならせめて少しでも楽しまないとね」
ペンドルトン家の唯一の人間として、さすがにこの式典は断れない。
実質、社交界デビューでもあるので、全力で着飾っているのだ。
付き添いのマリアもオートクチュールでは無いにせよ、流行のデザインの青いドレスに身を包み、もともと容姿端麗な彼女もまた美しかったのだが、些か比較対象が悪すぎた。
後見人代理として出席する以上、自身の雇い主より目立つ気も無いマリアではあったが、気遣いは不要なほど正装のレインは輝いている。
そんなマリアはレインとケンタロウの胸焼けしそうなやり取りに水を差すこともなく、死んだ目でその様子をやり過ごしている。
(お家に帰ってママのアップルパイが食べたいなあ……)
***
『スターズ結成10周年記念式典』は、一流と呼ばれる格式の高いホテルの式場で実施され、出席者は制限されるが、映像は中継され、ライブビューイングも行われる予定だという。
限られた高位の参加者はこのホテルに宿泊しているが、もちろんそうではないレインたち3人は、車を呼んで会場のホテルのロータリーに乗り入れた。
建物入り口で厳重なボディーチェックを受け、エスカレーターで式典会場へ移動する。
着いた先は、天井がガラス張りで陽の光を受けて明るい、専用ロビーだ。
この広く煌びやかなロビーには、式場への参列を許された者たちだけが集っている。
そこに居る多くは下位貴族と政財界に関わる者たち、あとはその付き添いや護衛だけだ。
高位貴族たちは最後に会場入りするため、社交的な一部以外にはこのロビーで出会うことはない。
休憩所も兼ねているのでソファや飲み物、軽食も準備されていて、要所要所には警備に当たった青い軍服のスターナイツが目を光らせている。
ケンタロウはもちろん護衛としての同行だが、刃物や銃器の持ち込みは禁止されている。
テロや不審者の相手はあくまでスターナイツの領分であり、個人が雇用している護衛を連れているのはほとんどが貴族である。
貴族の見栄、令嬢のお気に入り自慢、招待客同士のトラブル防止、などが護衛を帯同する理由だ。
ロビーを埋め尽くしていた、着飾った貴族、成功した実業家たちのさやさやとした談笑の声が、す、と止む。
黒いドレスの銀の美姫の入場に、場が飲まれていた。
年若い美姫は銀の髪をなびかせて悠然と歩きロビーを横切る。
ゆっくりと壁際の一人掛けのソファに腰かける様子は、一幅の絵のようだ。
付添いの金髪の女性が、ボーイが運ぶドリンクを受け取って美姫に渡す。
その飲む様子を盗み見た青年実業家が、ごくりと唾を飲み込む。
護衛の男性と付き人らしき金髪の女性が1名ずつ付いているため、いずこかの貴族令嬢であろうということしか分からず、あの輝く美貌の少女はいったい誰なのか、噂する声が小さく広がっていく。
レインは法的にはローティーンであるため、これまで社交も一切行っておらず、こうした場に知人が居ない。
後見人であるステュアート女公爵が居れば挨拶しただろうが、体調不良のため欠席しており、自然と誰とも関わらず1人になる。
声を掛けたいと考える者たちは数多くいたが、美貌に圧倒され、また、知己でもない年若い少女に声を掛けることもハードルになって、遠巻きにされている。
だが、どこにでも空気を読めない者、欲望に忠実過ぎる者等の例外はいる。
太った中年男が、椅子に腰かけるレインに居丈高に声を掛けてきた。
服だけは式典に相応しい高級なものだが、顔に脂と吹き出物の浮いた、不摂生が形をなしたような男が、ニヤつきながら近づいてくる。
覆せない程にそのありようが周囲に浸透していて、今更と開き直っているのか、あるいは単に愚鈍なのだろう。
「おい。小娘。名は何という?」
「……」
レインは中年男を一瞥すると、あからさまに鼻で笑って目線を外す。
「ぶ、無礼だぞ! 弁えろ!」
「失礼ですが、ペンドルトン子爵令嬢に、どのようなご用件ですか?」
マリアが間に入り、中年男の視界からレインを遮る。
「ペ、ペンドルトン? あのペンドルトンか?」
「ペンドルトン博士のお知り合いでしたか? 私、代理人のスミスと申します。そちらは、どちら様でございましょうか?」
「い、いや、そうとは知らず、失礼した」
徹頭徹尾、無様な中年男は汗を大量に流しながら慌てて去った。
愚かな男のおかげで身元がようやく周囲に伝わる。
世間的にはこの式典の主役たる英雄たちの生みの親、その親族。
そのネームバリューは虫よけにはちょうどいい。
だが、それでも、輝きに吸い寄せられる蛾の類は、ゼロにはならない。
「ペンドルトン博士の姪とやらか。子爵家ごときの割には悪くない見た目じゃないか。僕の供をすることを許す。来るがいい」
今度は妙に甲高い少年の声がレインに掛けられる。
傲慢を絵に描いたような態度、きらびやかな服装、お付きの人数からして、高位の貴族令息だろう。
年齢はレインよりやや上くらい、高等部程度に見えるが、悪い意味で社交的な、ありていに言えば、権力で言う事を聞かせられる女を狙うのに慣れた少年だ。
マリアには荷が重い相手である。
反応しないレインに苛立った少年が、手を伸ばしてレインの腕を掴もうとしてきたので、今度はケンタロウが間に入り、少年の腕を掴む。
「貴様っ! 護衛風情がっ! 僕が誰か分かっているんだろうな!?」
ケンタロウは叫ぶ少年の目を見つめる。
少年の護衛の黒服たちが身構えているのにも一切構わないその態度、何より、何の感情も感じさせない薄昏い東洋人の細い目に、少年が思わず恐怖し、一歩足を引いた時、レインから声が掛けられる。
「知らないわ。自己紹介もできないお子様など」
続けざまのトラブルに、彼らはロビー中の注目を集めていて、周囲は静まっている。
そんな中、初めて口を開いた美しくも冷たいレインの声は、さほど大きくは無いながらもロビーに響きわたった。
「なっ! それは僕に言ったのかっ!?」
「この場にお子様はあなただけよ。礼儀知らずで癇癪持ちの、どこぞのお坊ちゃま」
声も目も、口元の微笑みさえも冷たい美しい少女は、席を立ち、少年を真正面から見据える。
ケンタロウは少年の腕を離し、半歩下がる。
もし少年が激高して掴みかかったとしても、すぐに対応できる、と相手に示す距離だ。
「貴様っ! サンストーン侯爵家の名を背負う僕に対して無礼だぞっ!」
「無礼? あいにく、許可もなく女の体に触れようとなさるような、獣欲丸出しの輩に払う礼儀はございませんわ。高貴さ、あるいは卑しさは、行動に現れますのよ? ママに習いませんでしたの?」
「なっ……!」
年下の少女からの正面切っての侮辱。その初めての経験に、高慢な少年は、顔を赤くし、拳を握り締める。
ぶるぶると怒りと屈辱に震える少年は、自分の手で反対の腕を掴み、震えを押さえつけて、叫んだ。
「貴様ら、家族もろとも全員殺してや……!」
「騒がしいな」
叫ぶ少年の言葉を良く通る声で遮り、近づいてきたのは長身の貴族だ。
年は30前後、金髪に口髭をたたえた美丈夫は、ショートカットで黒髪の美女と、青い制服のスターナイツを2名引き連れている。
周囲の女性の、貴族らしい控えめな歓声を浴びながら近づいてきた金髪の貴族は、レインの肩を抱き、自身の後ろに庇う。
「レディへの言葉遣いがなっていないようだな、サンストーン侯爵令息?」
「ロ、ロートリンゲン侯爵っ……! なぜここにっ!?」
スターズ専用の青い軍の正装に身を包んだ、スターズNo.1の登場に動揺する少年。
同じ侯爵家とはいえ、権勢の差は明らかだと子供でも知っていた。
「会場の警備はスターナイツが管轄だ。高位貴族に関する騒ぎがあれば、近くに控えていた責任者が出向くこともある。君の父君には紳士の教育について、一言申し上げた方がよさそうだな。君もそう思うだろう? ブルックス伯爵令嬢?」
「そうだな。少なくとも私は、こんな下劣な男の無様な誘いなど、ご免被る」
さらに後ろからは、同じく青い軍の正装に身を包んだ美女、レイラ・ブルックス伯爵令嬢からの辛辣な言葉が掛けられる。
「ス、スターズが、2人も……」
顔を白くした少年は、この場でつまらない騒ぎを起こすことが、誰の顔に泥を塗ることになったのか、ようやく気が付いたようだ。
「消えたまえ。君にはこの式典に出席する資格が無い」
膝からくずおれた少年は、黒服に支えられながらその場を去った。
それを見守る貴族たちは、愚かな少年に冷笑を浴びせる。
もう彼が社交界に姿を現すことはないだろう、と。
「大丈夫かね? 勇敢なレディ?」
クリストファ・ロートリンゲン侯爵は、レインに話しかける。
周囲の女性たちから黄色い羨む声があがり、クリストファの笑みが満足げに深まる。
まだ些か若すぎるが、腕に抱く美しい少女は、数年もすれば彼好みの美女へと羽化するだろう。
「ミス・ペンドルトン。あの博士にこんな美しい親族が居たとは驚きだ。いつでも私を頼ってくるがいい」
これほどの美女なら、私の隣に立つに相応しい。
あの死んだ変態老人の『おさがり』なのは誠に業腹だが、これほどの美女なら我慢してやってもいい。
「サー・ロートリンゲン」
睫毛を伏せ、声を潜めた、ごく控えめな少女の声がクリストファに掛けられる。
「何かね?」
「私、貴方にも許可を出した覚えはございませんが」
クリストファは一瞬、少女から何を言われたのか分からなかった。
許可? とはなんだ?
ぷっ、と噴き出すレイラの声が後ろから聞こえる。
それでようやく、少女が先ほど無様な少年に言い放った言葉を思い出し、理解した。
『あいにく、許可もなく女の体に触れようとなさるような、獣欲丸出しの輩に払う礼儀はございませんわ。高貴さ、あるいは卑しさは、行動に現れますのよ?』
「サー、離してくださる?」
屈辱に体を震わせるのは、今度はクリストファの番だった。
幸い、レインは声を潜めてくれているため、辛辣にもほどがある拒絶の言葉は、近くに居る者にしか聞かれてはいない。だが。
獣欲丸出し。
卑しい。
そんな言葉をクリストファに掛けたのは、この10年誰もいなかった。
『わたし、あなたみたいな誠実じゃない、エロいことばっかり考えてる人に実験以外でキョーミありませんから』
かつて、研究所の助手風情から、早口で言われた拒絶の言葉がクリストファの頭をよぎる。
手の震えを堪えて少女の肩から手を離し、できるだけ平静を装いながら、レインから離れる。
「こ、れは、失礼しました、レディ」
「いいえ、助けて下さったこと、感謝しますわ。サー」
礼儀に乗っ取った完璧なカーテシー。
華やかな笑顔。
だが、すぐさまに一歩さがり、さりげなくクリストファから距離をとる。
目の前の美しすぎる少女は、クリストファを、あの程度の小僧と同等と、性欲むき出しの獣と断じ、行動にも表してみせた。
耐え難い屈辱だった。
クリストファが煮立った頭のまま、何か口に出そうとした、その時―――。
ゴゴォォォォン……!!!
遠くから響く轟音と、それほど遠いにも関わらず感じられる軽い地響きが、その場にいる全員に、容易ならざる事態が起こったことを知らしめた。
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