壱章-転じた先が幸せとは限らない

剣道オバケ、異世界にて邂逅①

 チュンチュン、チュンチュン……という小鳥の鳴き声で滝澤は目を覚まし、呑気に欠伸した。目を閉じたままモーニングルーティンに入りかけた所で滝澤は異変に気付く。


「もう朝かよ……寝足りないんだけど……じゃねぇよ!湊は!?」


 辺りを見回すが、誰かの姿はおろか、気配すら感じられない。目に写るのは何の変哲も無い、唯の森。

 限りなく少ない情報の中で滝澤は自分が置かれている状況を理解し、最も有り得る可能性を口に出した。


「これ……転生だ」


 転生……転生……転生……と、滝澤の脳裏で“転生”という単語がリピートし、口元は緩み始める。異世界に転生したいという滝澤の願いは見事に叶えられたのだ。


「遂に、俺の時代が来たー!!」


 両手を天に掲げ、有り得るはずのない奇跡に上げられた雄叫びで鳥の群れが一斉に飛び立った。雄叫びはやがて木々の間に吸い込まれていき、森は再び静寂を取り戻す。


「……それで、ステータスとか、スキルとかが表示されるウィンドウは何処だ?」


 滝澤は自分の周りの空間をスライドしたり、叩いたりするが、幾ら探せどウィンドウらしきものは出てこない。


「……ないな。じゃあ指南書的な物が……」


 目を細め、今度は自らの周囲を舐めるように観察した滝澤だが、釣果は地面に突き刺さった一本の木刀のみ。

 使い古されて所々削れた刀身、柄の端に刻まれた意味不明の謎の印から滝澤の木刀であることは間違いなかった。


「お前もこっちに来てたのか。うん、いつもと同じ握り心地、振り心地。やっぱり相棒はお前しかいないぜ!」


 木刀を引っこ抜き、高々と掲げる滝澤。滝澤は現在進行形で気付いていないが、その目も当てられないような恥ずかしい様子を密かに何者かが木陰から見ていた。


「何か急に素振りしたくなってきたな。これが剣士の本能ってやつか。近くには誰も居ないのを確認して……っと」


 そう言いつつ半笑いで三度辺りを見回した滝澤、草むらから自分を見ているフードを被った何者かと目が合う。


「……!」

「だだだだっ、誰だお前っ!?」


 滝澤は突然の不審者の登場に臨戦態勢に入る。

 しかし、不審者の方は滝澤を攻撃する様子はなく、どちらかというと観察している様に見える。そんなことは露知らず、戦闘モードの滝澤はジリジリと不審者に近づいていく。不審者は近づいてきた滝澤の鬼のような形相に慌てて持っていた杖を構えた。


「っ……![土竜の手ディペンデンツ]っ!」

「なにィッ!?」


 木造りの杖に光が集まっていく。そして地面から現れた握り拳に防御の構えを取る隙もなく滝澤にアッパーカットが炸裂した。綺麗な放物線を描いて滝澤は飛んでいく。


「ぐへぇっ……」


 滝澤、弱い。唇の隙間から垂れる血を拭いつつ滝澤は起き上がって尚滝澤を狙う土の手を睨みつける。


「な、なんじゃそりゃあ。土のくせに速いとか反則だろ……いや、俺が遅くなってる可能性もあるな。なんか体が重い気がするわ、確かに」


 根拠も無い仮説を立て、一人で勝手に納得した滝澤は再び木刀を構えて土の手討伐に動き出す。右、左、右、左、と華麗なステップを踏みながら土の手へと迫っていき、それに合わせて土の手は拳を引いたり戻したりしている。


「一撃K.O宣言だ。土くれだろうと容赦はしないぜ、覚悟しな!」


 ビシッと土の手を指さした滝澤は単純に木刀を振り上げた。しかし、その動きには一切の無駄がなく、それ故に疾い。煌めく流星のように、斜め方向にブレることなく振り下ろされた木刀は、土の拳を両断した。土の手は地面に落ちるとともに唯の土の山へと変わって動かなくなった。


「おおっ!?なんかわからんけど土斬れた!理屈はさっぱりわからんけど!」


 予想だにしていなかった超展開に滝澤の心は転生直後のような興奮に包まれ、両手を上下させる。猿か。


「(あんな細いただの木の棒に、私の[土竜の手]を綺麗に斬られた!?)」


 不審者は驚きのあまり、その場で腰を抜かして動けなくなる。もちろん、この好機を逃す滝澤ではない。不審者の目の前に腕を組んで立つと、こう言い放った。


「何処の誰だか知らないが、取り敢えず話し合いをしようじゃねぇか……じっくりとな。フフフ……」


 先程までの軽口は何だったのか、不敵な笑みを浮かべつつ不審者を立ったまま見下している。追い詰めた獲物を喰らう直前の肉食獣のような、裏社会を垣間見たヤンキーのような、明らかに悪役である。


「あ、あ……」

「……?(恐れ慄いて言葉も出ないか……ちょっとやりすぎたかな……?)」


 調節が下手である。


「うぁぁぁぁん!」


 フードの下から聞こえてきた少女の泣き声に今度は滝澤が驚いて後退りし、木に頭をぶつけた。何しろ完全に相手は男だと思っていた滝澤、これは好感度が下がっても仕方がない。


「うっそぉ……女の子だったの?」


 フードの下から現れた美しい顔に滝澤の顔が一気に青ざめる。男なら誰だって女性に嫌われたくないだろう。


「す、好きなようにしなさいよ!殺すなり、脱がして辱めるなり、あんたの好きなように!……ぐすん」


 泣き喚く緑髪の少女。最後の方は嗚咽混じりでほぼ聞き取れなかった。少しでも好感度を取り戻そうと少女に手を差し伸べる。


「えーっと……、俺はそういうことが言いたいんじゃなくてな……」


 しかし、少女はそれをどう捉えたのか、自らの身に着けていた布の服に手を掛けた。


「分かったわ!脱げばいいんでしょ脱げば!」


 ダメだった。少女暴走状態である。滝澤は無理矢理服を脱ぎ捨てようとする少女を慌てて止める。


「待て待て!落ち着け落ち着けぃ!」


 いかに転生で興奮している状態の滝澤とて、善と悪の区別くらいは付く。先程の悪人面はどうかと思うが。


「取り敢えず落ち着け、名前を名乗るぞ。俺は滝澤。いいな?」


 両肩に手を置かれた状態での自己紹介に少女は只々頷くのみ。


「た、タキザワ……」

「そう、滝澤。落ち着いたか?」

「私の名前はナスカ・タイダルです……」


 平静を取り戻したように見える少女に滝澤が安堵の息を吐いたその時……。


「どうぞお好きに辱めください!」


ナスカと名乗った少女は再び服に手を掛けた。


「いやだから何でそうなるんだよ!」


 ツッコミつつも羽交い締めにすることで滝澤はナスカを沈静化させる。ナスカは手足をぶんぶん振り回して羽交い締めから逃れようとするが、滝澤より四肢が短いため、それもままならない。


「どうしてよ!あんたニンゲンでしょ!?」

「ああ人間だよ!君もだろ!?」


 滝澤が叫ぶ。


「……え?」


 ナスカの動きがピタリと止まり、それを抑えていた滝澤の力も抜ける。


「あれ?俺今変な事言ったか?」


 滝澤の拘束から抜け出たナスカはもの言いたげな顔で肩を震わしていると思いきや、次の瞬間には大声で叫んでいた。


「私はモンスター!あんた達ニンゲンが嫌悪し、弄んでいるモンスターよ!何の酔狂で放っておいてるの!?」


「それは襲えって意味で言ってんのか!?」


 咄嗟に言い返してしまった滝澤だが、心を落ち着けて、ナスカの容姿を今一度確認する。

 狩人が身につけるようなブーツ、森と同化させる目的で作られたのだろう茶色のローブ、決して豊満とは言えない胸。そして新緑色の髪の隙間からは一本、木の葉が付いた小さな枝が生えているのが見える。あと豊満とは決して言えない胸。


「何しれっと2回胸を見てるのよ!」

「あ痛ぁっ!」


 心ここに非ずだった滝澤はナスカに木の杖で頭を思いきり叩かれた。これは滝澤が悪い。


「悪い悪い。本当にモンスターなんだな。でも、俺はモンスターも嫌いじゃないぞ。可愛いしな」


 不意討ちの褒め言葉にナスカの頬がぽっと赤くなる。


「だから……ぉろ?」


 言葉を続けようとした滝澤の体がふらつき、その場にドサリと崩れ落ちた。本人が思っていたよりも[土竜の手]と木の杖によるダメージは大きかったらしい。


「くそ……もう終わりなのか……よ……」

「……」


 ナスカは倒れて動かなくなった滝澤を見つめる。モンスターと平等に接しようとするニンゲン。ナスカは今まで彼のようなヒトに会ったことはなかった。


「……また何処かで会えるといいわね」


 ナスカは滝澤に回復魔法を使用すると、フードを被り直し、その場を去っていった。

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