第7回:恐怖!かわいい耐久3D配信
VTuberグループShell'sに新しいVTuberが加入した。名前は干潟マテ。中性的な容姿と声をした少し幼い印象を与える配信者である。いきなり3Dのアバターを与えられているが、これは汎用のボディを調整したもので完全一品物の2Dアバターより安いという話だった。
先輩たちはそういう話で運営に納得させられた。
かわいがりたい、もといかわいい後輩の干潟マテは配信より先にSNSの∨∧(旧シイッター)で人気を博して、その人気が配信プラットフォームに移行する形で伸びていった。その勢いは先輩たちもうかうかしていられないと真顔になるほど。
特に伸び幅を完全に失っている状態の濁川たにしは強い危機感を覚えていた。一方、中洲しじみはAI以外では初めての後輩なので、かわがりたい気持ちの方が強いようだった。
そんなマテにも悩みがあり、運営経由で汽水あさりに話が回ってきた。オフコラボがあった機会に事務所のブースで新人と面談することになる。
(ったく…これは本来マネージャーの仕事でしょ…)
ぼやきながらも相談を聞いてしまう。頭の中では腕と脚を組んでいた。自分の手に負えなければ運営に差し戻すつもりだ。
マテはうつむきがちにあさりの目を見ずに話した。
「…俺はどうしても「かわいい」って言われるのが苦手なんです。チャットでみんなに「かわいい」って言われていると、たまに「うっ」ってなってしまうんです。あまり言わないでとは言っているんですけど」
あさりは(そういうとこだぞ)と思いながら、マテの意志を確認した。
「かわいいと言うのを辞めさせたいよりも、かわいいと言われるのを耐えられるようになりたいのね?」
「は、はい。あまりにしつこい人はブロックしたい気持ちもありますけど……」
「ふーん」
あさりは実際に腕組みをして渋面を作ってみせた。
「これはショック療法を試してみるか!」
マテは嫌な予感を覚えて身を引いた。
せっかくオフコラボをやった機会である。相談を押し付けてきた運営はもちろん、同僚たちにも協力してもらう。マテは再度トラッキングスーツを着せられ、ヘッドマウントディスプレイを被せられた。
純粋な善意からあるいは興味本位で――困った人間は上下関係を叩き込む機会とみて――参加した同僚たちがマテを取り囲む。
「それでは「干潟マテかわいい耐久配信」開始!」
直前の告知でゲリラ的に始まった配信は、3Dアバターの干潟マテが同僚たちに囲まれて「かわいい!かわいい!かわいい!」と言われ続ける異様なものだった。ヘッドマウントディスプレイにはチャットの内容が表示され、そこにも大量の「かわいい」が流れている。
「かわいいっ!」
「かわいー!」
「かーわいいんだ」
「かわぃぃかわぃぃかわぃぃ」
「うぐっ!」
全方向からの「かわいい」ストームに新人は膝をついた。
「かわいい」「かわうい」「かわー!」「ぷりてぃ」
たまらずマテは顔を赤くして耳を塞ごうとした。しかし、それすらヘッドマウントディスプレイが邪魔になる。
「やめ…っ!やめて!」
(イジメかっ!!)
「だ、大丈……」
思わず心配の声を掛けようとしたしじみをあさりは無言で止めた。ふりかえった彼女に首を振ってみせる。
(セーフワードを言うまでは続けるのよ)
しじみの方も辛そうになりながら「かわいい」の連呼を再開した。一方、濁川たにし大先輩はノリノリで言いまくっていた。顔が三つに分裂した勢いで、
「かわいい!かわいい!かわいい!」
なんかそういう妖怪みたいだ……あさりはちょっと呆れてしまう。干潟マテは夏のバター状態。猫みたいに液体化しかけて、今にも床に身体を横たえんばかりだ。息も絶え絶えにつぶやく。
「や、山悪い山悪い山悪い……」
「はい、ストーップ!!!」
ついにマテの口からセーフワードが飛び出した。「川良い」の反対は「山悪い」という変な発想で設定されたセーフワードだった。川の対比に山をもってくる発想に提唱者の世代が表れている。
途端に若干一名を除いて「かわいい」連呼が停止する。チャット欄でも少しずつ収まっていく。概要欄にセーフワードの注意書きがあったのだが、読んでいない人間はまだ続けていた。
「五分経っても「かわいい」を言いつづけている人はブロックされまーす!」
繰り返し警告を出し、画面にもテロップを表示させる――この配信の中でのことだと断った上で。
新人はヘッドマウントディスプレイから解放されて、いろんな液体でぐしゃぐしゃになった顔面をタオルで拭いた。もちろん配信上では汗が過剰にならない程度に描写されているだけである。
五分後もかわいいを書き込んだリスナーは宣言通りブロックされた。せっかく見せしめ用のサクラを用意していたのに本当に続ける奴がいた。そして、たにし先輩もブロックされた。リスナーの反面教師として彼女以上の適任者もいない。
かわいい耐久配信にはそれなりに反響があり、その反動で「かわいい」を連呼したあさりたちに批判の声も集まった。たにしは自業自得だが、ベテランとして既に可燃物を燃やし尽くしているので彼女に触れる声は小さかった。腫れ物扱いとも言う。
批判している人間の過去の発言を調べると、配信者が嫌がっているのに「かわいい」と言っていることが判明したりして、事前に合意の上でやっているあさりたちにどの口で批判しているんだとツッコミが集まった。そうして騒動は段々と沈静化していった。
これ以降、干潟マテの配信では「かわいい」が飛び出すことは滅多になくなった。禁止はされていないのだが、リスナーが戦々恐々とラインを探りながら発言している感じになる。それが楽しくない視聴者は離れていく一方で、新規加入者もいるので総合すると増加が減速する程度で済んでいた。
代わりにマテがすぐに見れないところでは前にも増して「かわいい」発言があふれるようになった。今度は∨∧でエゴサ用タグをつけて「かわいい」と言わないでくれと注意が出るイタチごっこが繰り広げられる……。
「けっきょくマテのためになったのかなぁ~」
珍しくあさりは弱気になった。事務所の丸テーブルに突っ伏して悩みを漏らした。
「やっぱり嫌なことでも我慢して伸びる材料にするくらいじゃないと大成しないわよ」
「……」
同席した濁川たにしが偉そうに語る。伸び悩んでいる彼女が言ってもあまり説得力がない。
「我慢できなくなって辞めたら、そこで配信者終了ですよ……ハイリスクハイリターンか、ローリスクローリターンか」
でも、ローリスクにするための選別で燃えてしまったらハイリスクローリターンになってしまう。一度、爆弾が育ってしまうと動きにくいものである。
VTuberは自分で姿から徹底すれば声まで選べるから、自分が創った理想像とリスナーの反応が示す姿の乖離が大きいと辛いことがある。生の姿なら「生まれつきだからしょうがない」と諦めることもできるが、理想を目指して創った姿ゆえに思った反応を得られないと失敗を強く意識してしまう。
マテが感じていた強いストレスはそういうものだろう。企業所属で用意された姿なら、ある程度は仕方ないと考えた方がいいのだけど、Shell'sの場合は要望で多少はカスタマイズされているし、難しいところだ。
そういうことを話したら、たにし先輩には
「完全に演技で創ったキャラクターなら何を言われても気にならないでしょ?」と言われた。
「せ、世代がちがーう!!」
考え方は人それぞれと思うべきか。配信者もリスナーも同じ「VTuber」を視聴しているつもりで、頭の中にある定義は千差万別のようだった。
VTuber汽水あさりの方法論 真名千 @sanasen
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