光の巨人と融合した悪役令嬢はどうすればいいの?

豊口栄志

 駅馬車


 牧草を求める牛の群れを追って、ジンジャーは馬の鼻を向ける。空は高く風はゆるやかで、冬を越えた牛たちは柔らかな草を食んで肉を蓄えていた。

 穏やかな陽気の下で、不意に背の高い牧草がカサカサとざわめいた。

 魔獣を警戒し、ジンジャーは反射的に拳銃を抜く。

 だが繁みの中から姿を現したのは小さな少年だった。見知った牧童の息子だ。

「よおジンジャー。今日も牛追いか」

「こら! 急に飛び出したら馬が驚くでしょ!」

 颯爽と馬を降り、流れるように少年の頭をはたく。

「イテェ! そんなだから嫁の貰い手がねえんだよ」

「いまどき十六でお嫁に行く子なんてそうそういないわよ。それにうちの牧場は、わたしより腕のいいカウボーイをお婿に貰うんだから」

「ならオレがジンジャーを嫁に貰ってやってもいいぜ。馬だって銃だって今に父ちゃんより腕っこきになるんだからさ」

 へへへ、と歯の抜けた口で笑って、少年は真っ赤なおもちゃの拳銃を構えて見せる。

 ジンジャーはその眼前に指を三本突き付ける。

「わたしには嫌いなものが三つあるの。ひとつは母さんのラズベリーパイ。もうひとつは土地を針金で囲みたがる奴。三つ目は銃を見せびらかす奴よ」

「なんだよ! オレが凄腕のガンマンになっても相手にしてやらねえからな!」

 少年は赤い拳銃を構えて木目の浮かぶ銃口をジンジャーの眉間に向けた。

 そのとき彼女の目の前で金色の光が瞬き、額に衝撃が奔った。

「痛ッた! あなたそれパチンコでも仕込んでるの!」

「え? 形だけだよ。虫でも飛んできたんじゃねえの?」

 ジンジャーは眉間にしわを寄せて額をさする。ふと空を見上げれば東の方角から湿った強い風が吹きつけていた。

「嵐が来るわ。牛を逃がして馬を小屋に入れないと。凄腕ガンマン、早く家に帰りなさい」

 少年の尻を叩き、ジンジャーは馬にまたがって牛を追う。風が勢いを増し、彼女は長い金髪を押さえつけた。春の陽射しがゆったりと翳りを見せ始めていた。


 夕暮れを前にしてすでに日が落ちたように空は暗い。

 母親と共に夕餉の支度をしていた頃、ジンジャーの自宅のドアが勢いよく開かれた。

「おおい! ジンジャー! どこだい!」

 玄関先から自分を呼ぶ父親の声に、ジンジャーは駆けだす。

「大変だぞジンジャー。魔獣だ。とんでもなく大きな魔獣が嵐を連れてきた」

 青い顔をして額の汗をぬぐう父の顔を見つめて、ジンジャーは首を傾げた。

「それでどうしてわたしを呼んだの? 今から騎兵隊に入れるつもり?」

「そんなわけあるか。おまえ、魔法が使えたろう。こいつに爆裂の魔法を込めておくれ。あるだけ全部だ」

 そう言って父親は居間のサイドテーブルに子供の握りこぶしほどの砲弾を五つ、六つと並べていく。

「これって魔弾スクロール。いつもの信号弾だけじゃないの? わたしの爆裂魔法なんて火種くらいにしかならないわよ」

「いいんだ。魔法を込めれば弾が勝手に強めてくれる」

「倒せるの?」

「分からん。だが騎兵隊が来るまでの時間稼ぎくらいにはなるさ。手をこまねいていても隣の牧場がいい顔せんだろうしな」

 父親の渋い顔を横目に、ジンジャーは魔弾を握りしめて魔法を込める。

「うちにも『白銀の巨人』が来てくれればいいんだがなァ」

「東大陸に出るってやつ? 眉唾でしょう」

「うそなもんか! 新聞で見たぞ! でっかい魔獣を倒すんだ」

「そんな与太話信じてるの、父さんと子供だけよ。……はい、魔法は込めたわ。でもどんなふうになるかは使ってみなきゃ分からないわよ」

「ありがとうよ、ジンジャー。それじゃ父さん行ってくるよ」

「うん、気をつけてね」

 スクロールランチャーに魔弾を装填してジンジャーの父は再び強い風の吹く野外へ向かって行く。

 ジンジャーはその背を追い、玄関口から空に横たわる暗雲を見上げた。湿った風が胸の中にまで吹き込んでくるようで不安を掻き立てられる。

 焦燥感に背中を押されてジンジャーは父親の後を追って家を飛び出した。

 父はすでに馬を走らせた後で遠くにぽつりと騎影が見えた。すぐに馬を駆り追走する。

 追い掛ける父親のさらに向こうに、渦巻く風が薄暮の天地を貫いていた。

 竜巻だ。巨大な。ジンジャーが、いや、父や母でさえ生まれてこのかた見たこともないほど巨大な竜巻が、ジンジャーの牧場の目と鼻の先に迫っていた。

 飛沫くように白く渦を巻く竜巻の渦中に妖しく光る目が覗く。魔獣である。風を纏い、竜巻と化してやってきた、意思を持った災害だ。

 ジンジャーの首筋に冷えた鉄を押し当てたような怖気が走った。魔獣への恐怖だけではない。自分の父親が拳銃とさして変わらないスクロールランチャー一丁を握りしめて、あの暴風に立ち向かっていくという無謀が、怖ろしくてならなかった。

 父さん、引き返して! 叫びたいのに、ジンジャーの顔に容赦なく叩きつける風が口を開かせてはくれない。手綱越しに馬が怯えているのが伝わってくる。ジンジャーの本能は逃走を告げている。家に帰って母親と共にベッドルームで毛布をかぶって震えて抱き合っていろと命じている。

 けれど彼女は鐙を入れて馬を先へと進ませる。何がそうさせるのか分からない。

 景色はもはや昼間の穏やかさを完全に失っていた。

 高台から遠くを見通せば、竜巻の無惨な爪痕が見て取れた。牧草を貯め込むサイロは中ほどから折れ、崩れ落ちている。牧草地は地面ごとめくれ上がって黒い地層が剥き出しになっていた。牛追いたちの休憩所は屋根も壁も失い、土台と柱が残るのみ。ぽつぽつと茶色い牛が横たわっているのは、竜巻に巻き上げられて地面に叩きつけられたものだろう。

 ジンジャーの視線が素早く走る。昼間会った少年の家が見当たらない。牧場で働く両親と共に暮らす一軒家があるはずの場所には、廃材が積み重なっているだけだ。

 ジンジャーの顔から血の気が引いた。父を追うのも忘れて、急いで馬を走らせる。

 辿り着いた廃墟で馬を降り、少年一家の名前を大声で叫んだ。風にさらわれそうな声でいくら怒鳴りつけようとも、潰された家からは誰の声も返ってはこなかった。

 あのこまっしゃくれた生意気な子供が簡単に死ぬはずない。そう自分に言い聞かせるジンジャーの足下に、ふと見覚えのあるものが見つかった。赤い拳銃だ。あの子が自慢げに持っていたおもちゃの拳銃だ。

 屈みこんで拾い上げると粘り気のある液体で濡れていた。手を開くと赤いものがべっとりと手の平を染めている。

 ジンジャーは完全に言葉を失った。荒くなっていく呼吸が震えている。唇を噛んで竜巻を睨みつける。

 渦巻く風の中、魔獣はジンジャーを睨み返していた。ジンジャーにはそう見えた。

 不意に竜巻の縁で炎が爆ぜた。爆裂の魔弾。父が孤独な奮戦を始めたのだと気付く。

 だが竜巻はそれを意に介さず、ジンジャーに向かってにじり寄る。

 暗がりを進む竜巻に二度、三度と炎が上がる。その明かりが暴風の中に潜む魔獣の姿を浮かび上がらせた。

「ヘビ……大蛇だわ」

 ジンジャーは息を呑んだ。見上げる竜巻の中で巨大な蛇が鎌首をもたげていた。父の放つ爆炎が蛇の鱗を艶めかせる。その蛇の背には鳥の翼が生えていた。

『羽毛をもつ蛇――ケツァルコアトルです』

「誰!」

 不意にジンジャーに向けて声が掛かり、彼女は素早く当たりを見渡す。無惨に破壊された家屋があるばかりで誰の姿も見当たらない。

『ここです。貴女の脳から話し掛けています』

 ジンジャーは赤く濡れた手で頭を抱え、耳を塞ぐ。

『無駄です。私の声を遮ることはできません。聞いてください、ジンジャー』

「呼び捨てはやめて!」

『ではお嬢さま。聞いてください。私は戦術支援人格。あなたを勝利に導きます』

「勝利? 勝つ? わたしが? 何に? わたしに何をさせる気なの?」

『ケツァルコアトルと戦っていただきます』

「無理よ! 出来るわけがないわ!」

 ジンジャーは竜巻に視線をやった。さっきより巨大に――いや、近づいてきている。

『貴女は選ばれたのです。神は試練を生み出しました。貴女の前に敵が現れ、試練が襲いかかります。逃げ続けてもいずれは追いつかれるでしょう』

 ジンジャーのすぐ脇で崩れ落ちている家屋は竜巻が通り過ぎた跡だ。なのに今、竜巻は過ぎた道を引き返して彼女に接近しようとしている。

『戦うことを決めてください。それだけで貴女の勝利は確定されます』

 立ち尽くすジンジャーの視線の先で、再び竜巻に爆炎が上がる。

 父親は戦っている。娘は戦いを促され、動けないでいる。

 ジンジャーはゆっくりと腰のホルスターに手をやる。空を掴んでガンベルトをつけてこなかったことを思い出した。

 あっ、と誰かが声を上げたように聞こえた。屋根の上で足を滑らせた粗忽者の放つ悲鳴に似た声にならない声。

 ジンジャーの視線の先で、竜巻に呑まれたものが空へ向かって落ちていく。

 暗がりに、人間と馬のシルエットが舞い上がった。

「――父さんっ!」

 そのとき、まばゆい光が溢れた。ジンジャーの腕はどこまでも伸び、その手は空に巻き上げられた父と馬を受け止めていた。

 ジンジャーは自分の両手を見下ろしていた。赤い手だった。血で濡れた手ではない。赤い光を放っている。手だけではない。腕も脚も、身体はどこも赤い色をしていた。

 その手はたやすく馬を受け止めるほど巨大で、その背丈も相応に巨大だった。

 ジンジャーは赤い巨人の姿になって、自分と同じ大きさの竜巻に向き合っていた。

 訳が分からなかった。理解できることがほとんど何もない。その状況で、ジンジャーは手の中の父親と馬を高台にそっと乗せた。どちらも意識を失っているようだったが目立った怪我はしていない。父親はスクロールランチャーを固く握ったままだった。

 変貌した自分の肉体をしげしげと眺めた。全身は赤く、薄っすらと光を帯びている。肉体のシルエットが剥き出しになっているが、そこに女性的な丸みも男性的な厳つさも見当たらない。女とも男ともつかない巨人になっていた。服といえば胸から背中に掛けて銀色の鱗状の装甲が覆っているのみだ。顔には表情の無い銀色の仮面が張りついている。

『これこそ、神が貴女に与えた力です』

 戸惑うジンジャーの脳裡に声が響く。

「わたし、あいつに勝てるのね?」

『私は戦術支援人格。貴女の闘争をサポートします。貴女に勝利を』

 ジンジャーはおもむろに長大な脚を踏み出して竜巻の中の大蛇へ拳を繰り出した。

 強い風が拳を弾き、巨体が流され、平衡を失ってあっさりと地面に転がされる。

「か、勝てないじゃない!」

『正面から殴り掛かるのは非効率です。竜巻を突破しても中心の魔獣へはさほどダメージが通りません』

「中心……そうか!」

 赤い巨人は小さく沈み込むと即座に高く跳び上がった。凄まじい跳躍力で竜巻の直上へ達すると、身を翻し、竜巻の中心にいる大蛇目掛けて跳び蹴りを放つ。

「竜巻の中心は無風! これなら!」

 手応えを期待するジンジャーを、竜巻の中から大蛇が睨み返す。その口が大きく開かれ、そこから鋭い水の奔流が迸る。

 高圧の水が矢のように鋭くジンジャーの脇腹を刺し、その巨体をはね返す。

 ずしん、と重厚な音を立てて巨体が地に沈む。

「どうやって勝てって言うのよ! そもそも人間と同じ大きさの蛇にだって素手で勝てるはずないのよ! ……そうだ。飛び道具は無いの? 拳銃みたいな」

『飛び道具はあります。ですがここは短剣ダートを使いましょう。胸を覆っている銀鱗を取り外してみてください。肩口のところから二枚ほど剥がせば足ります』

 立ち上がり、脳裡の声に従って肩の鱗を引っ張る。思ったより簡単に剥がれたそれは、手の平に収まるほどの楕円形の刃に見えた。

『エンゼルフェザーとでも名付けましょうか。それを優しく竜巻の中に差し入れてください。風に乗せるように』

 鎌首をもたげて威嚇する大蛇に、おっかなびっくりの及び腰で向かい、言われたとおりに二枚の刃を竜巻へ挿し込む。それはすぐに風に巻き取られた。

「ちょっと!」

『ご安心を。エンゼルフェザーは比重の軽い物質で構成されています。そして竜巻はその遠心力で巻き込んだものを分別していきます。重い物は外へ弾き出され、そして――軽い物は中心に吸い込まれる』

 声が言ったとおり、刃はくるくると大蛇の周りを旋回しながら中心に近づいていく。

 やがてそれは蛇の体表に触れ、鋭い刃を突き立てた。刺さった二枚の刃は、ざっくりと音がしそうなくらい見事に敵の身体を切り裂いて踊る。

 ジャージャーと空気を震わせる大蛇の断末魔が鳴り響いた。

『フェザーに命じてください。引き裂け、と』

 ジンジャーにはもう解っていた。自分の放った刃が自分の意思の下にあるのだと。自分の感覚の延長にある未知の武器に確信をもって殺戮の号令を下す。

「裂けろ!」

 掲げた手を振り下ろす。それを合図に大蛇に深々と突き刺さっていた二枚の刃が内包していたエネルギーを解放する。

 竜巻の中で二筋の青白い閃光が交差した。

 暴風は息を止め、寸断された蛇の胴体がぼとぼと落下した。

 空は晴れ渡り、紫紺の夜気に包まれるジンジャーに、切り刻まれた白い羽が降り注ぐ。

 その姿はもう巨人ではなかった。だが今しがたの現象が嘘でないと語るように、彼女の長い髪は赤い光を帯びて春の風に揺れていた。

「勝ったの?」

『おめでとうございます。貴女の勝利です』

 淡白な称賛を受け取った後、ジンジャーの髪は元どおりの金髪を取り戻し、代わりに彼女は意識を手放した。


 同じ頃、遠くの高台から青白い閃光を目撃した者がいた。胸に星のバッジを着ける男。騎兵隊に先んじて現場に到着した保安官である。彼は馬上から目を凝らし、巨大な魔獣が白羽を散らしてただの肉塊へ変じていく様をまじまじと見ていた。

 そして、その近傍で赤い髪を揺らす女の影を見逃しはしなかった。

「赤毛の、魔女……」

 赤い髪が闇の中に溶けるように消える。赤毛の女があの場から立ち去ったのだと確信し、保安官は手綱を引いて騎兵隊らとの合流を急いだ。


 ジンジャーは自分のベッドの上で目を覚ました。

「ゆうべは着替えずに寝ちゃったのね」

 身に着ている服の裾には、跳ねた泥のシミや巻き込んだ土埃が乾いて固まっていた。その服をいじる手を開く。手の平には赤黒い汚れが広がって乾いていた。指でこするとポロポロとこぼれていく。

「夢じゃないのね」

『はい。夢ではありません』

 確信めいてつぶやいた言葉に、頭の中から答えが返る。

「あなたがいるってことは、まだ終わってないのね。試練ってやつは」

『ご明察のとおり。これから四十日後、東海岸に最後の敵が現れます。貴女にはそれを倒していただきたいのです』

「夢ならよかった」

 起き出したジンジャーを両親は安堵の表情で迎えた。母親はジンジャーが知っているよりも歳をとったふうに見えた。父親は袖口から覗く手足を包帯で覆われ、首に白いギプスをはめられている。本人はそれを忘れたように娘に手を振って見せる。

「父さん、放牧は? いつもは牧場にいる時間でしょう」

「牧童頭が手配してくれたよ。今は瓦礫の片付けが最優先だ」

 ぎこちない仕草でティーカップを持つ父を、母が慌てて手助けする。手首も固定されているらしい。飲み物を顔に浴びせられている父に続けざまに質問を浴びせる。

「牧場はどうなったの? あちこち壊れたんでしょう? 被害は?」

「ああそうだね。建物は順番に直していけば秋までには元どおりにできるさ。死んだ牛は新しく仔牛を買おうと思うんだ」

「家とか牛って……人は、どうなったの?」

「人を新しく雇うことはないな。不幸中の幸いか、誰も死んじゃいないし」

「え? だって家が潰れて」

「ああ、あそこは嵐が来る前によその家に避難したよ。おまえが坊やに言ったんだろう。嵐が来るから早く帰れって。それで避難が間に合ったんだ。お手柄じゃないかジンジャー」

 ジンジャーは自分の手を開いて赤黒いシミを父の目にさらす。

「でも血が……」

「慌てて戸棚にぶつかって目の上を切ったんだと。坊やじゃないよ。旦那のほうがだよ。おまえはどうなんだい? 怪我は無いのかい?」

「ええ。どこも――」

 言いさして、ふとした疑問が頭をもたげる。

「わたしはどうやって家に帰ったの?」

「騎兵隊と一緒に駆けつけた保安官がおまえを見つけて運んできてくれたんだ。折り目正しいなかなかの好青年だったな」

 父の感想を聞き流し、ジンジャーは窓の外を見やる。見飽きたはずの牧場の景色が、竜巻でズタズタに荒らされていた。

「父さん、もう一度聞くけど、誰も死んでないのよね」

「ああそうだよ。誰か大怪我した人でも見たのかい?」

 いいえ、と話を切り上げて、ジンジャーはふらりと外へ出た。

 損壊をまぬがれた馬小屋の前で、誰もいないはずの自分の隣に語りかける。

「四十日後、だったわね」

『東海岸に最後の敵が現れます』

「そのとき、もしわたしがその場にいなかったら?」

『敵は貴女を追って来ます。貴女に辿り着くまで、立ちふさがる全てをなぎ倒して突き進むでしょう』

 意思をもつ竜巻を見たジンジャーに、その予想を否定する想像力は働かなかった。

 たしかに敵はいて、それがジンジャーを狙っている。

「最後の敵――そういうからには二番手とか三番手の敵がいるの?」

『どれほどの敵が爪を研いでいるのか、私には見当もつきません。ですが最後の敵とまみえるその時まで、貴女を狙って敵はやってきます。それがどんな姿かたちをしているのかも私には分かりません』

「あなた何なら分かるの……?」

『敵の出現なら感知できます。周囲に敵はいません。今はまだ』

「でもここにいれば、いずれそいつらはまた牧場に来るのね、わたしを狙って」

『間違いなくそうなります』

 ジンジャーは着けていないホルスターに手を伸ばす。空想の銃を握り、撃鉄を起こし、まっすぐ前に構える。引き金を絞れば、いつでも弾丸は飛ぶ。

「あなた、名前は?」

『ありません。私は貴女を導くための機能です。名前は必要ありません。ですが呼んでいただけるのであれば、ぜひエールとお呼びください』

「お酒みたいな名前ね」

『元々は神を指す言葉でしたが、天使という意味があります』

「天使……? まあいいわ」

 空想の銃でガンスピンでもするようにジンジャーはしばらく指先で空気をかき混ぜて、決断した。

「出発は明日ね。道連れはよろしく、エール」

『はい、お嬢さま』

 その日のうちにジンジャーはひとりで旅支度を整えた。着替え、毛布、薬、ソーイングセット、ぬいぐるみのともだち、それから拳銃とスクロールランチャー。

 翌日、彼女は仔牛の買い付けを引き受けて、父親から小切手をせしめた。隣の牧場で焼印のない牛を何頭か選んで買い叩くと、牧童に移送を手配し、自分の乗ってきた馬と家族へ向けた手紙を預けた。

 ちょろまかした小切手で当座の資金を確保すると、町はずれにある駅馬車の停車場に向かった。途中、町の広場にジンジャーの倒した魔獣の死骸が晒されているのが見えた。

 ジンジャーの旅装は、スカートにガンベルトを着けて、革のブーツを履き、似合わない中折れ帽を被るという、半端なガンマンのような格好だった。その出で立ちで旅行鞄を提げて馬車が来るのをじっと待っている。

「ひとまずここから鉄道の通ってる街まで移動しましょう。東海岸へは列車で向かうわ」

『賢明な計画です。速度の出る乗り物に乗っているかぎり、敵にはそれに追いつくスピードが要求されます。まず襲撃される危険は減らせるでしょう』

 エールの分析がひどくドライで、ジンジャーは急に現実感に追いつかれる。待合所から町のほうを振り返り、胸が詰まった。

「あのね、わたし自分の住んでる町がそんなに好きじゃなかった。たまに買い物に出掛けるだけで顔見知りが少しいるだけ。ふつうは学校や集会に行って友達を作るけど、わたしはいつも牧場で牛の世話。友達なんて馬しかいないわ。でも、離れがたい気持ちでいっぱいよ。まだ町を出てもいないのに、変かしら」

『郷愁ですか。私には無い感情です。ですが名残を惜しむのを止めはしません』

「母さんはいいかげんで大雑把だからわたしがいなくても平気でしょうね。父さんは誰がいたってドジを踏むわ。冬に生まれた仔馬の馴致を始めないと。それに来月か再来月か。大きなレストランがうちの牛を買い付けにくるの。いい牛を見繕っておかなきゃ……」

 遠くの寂れた町並みを眺めていると、待合所に男がひとり顔を出す。胸に星のバッジ。保安官だとすぐに気付く。

 まだ二十歳前後の彼はジンジャーの顔を見るなり目を見開いた。

 家出娘を捕まえに来たのかと身構えかけたジンジャーへ、彼は心配そうに声を掛けた。

「やあ、一昨日の娘さんじゃないか。怪我はしていないのかい」

 見覚えのない男の顔に戸惑うが、すぐに思い至る。

「もしかしてわたしを家まで運んでくださった保安官ですか?」

「そうか、君は気を失っていたんだったね。私はウェルチ。連邦保安官だ」

「ジンジャーです。その節は大変お世話になりました。ありがとうございます」

「お嬢さんはこれからよその町へ?」

「牧場があちこち壊れたのでほうぼうへ買い付けに」

「若い娘さんがひとりで……。頼るアテはあるのかい?」

 ジンジャーはホルスターの拳銃を指さした。ウェルチはわざとらしく口笛を吹く。

「勇ましいな。でもこいつには気をつけたほうがいい。刷りたてだ」

 言って、彼は待合所の掲示板にポスターを張り出す。女の人相書きの下に目立つ文字で大金の数字が並んでいる。それは賞金首の手配書だった。

「『赤毛の魔女』――こいつが現れて巨大な魔獣を呼び寄せたらしい。君ンちも被害に遭っただろう。私も遠目からだがこいつの姿を見た。長い髪が妖しく赤い光を放っているんだ。人間ではなく悪魔のたぐいかもしれない」

 それじゃあ道中気をつけて、と言い含めてウェルチ保安官は去っていった。

 残されたジンジャーは誰もいない虚空に話しかける。

「これ、わたしのことよね……」

『魔獣は貴女を狙って迫ってくるのですから、間違いは言っていませんね』

「そんなぁ……わたしは魔獣を倒したのに、なんでこんな扱いを――」

 嘆きはぴたりと止まった。

「もしかしてわたしに向かってくる敵を返り討ちにするたびに、わたしは赤い髪の魔女の姿で人目につくんじゃ……」

 手配書に目をやる。『生死を問わずデッドオアアライブ』の文字が踊っていた。

「こんなので四十日も切り抜けられるのぉ!」

『お嬢さま、それは違います』

 エールの進言に、ジンジャーは希望を見出そうとする。

『あと三九日です』

「そんな細かいこといいわよ! 手配書が出回ってるのよ。早くよその町に移らなきゃ!」

『郷愁はよろしいのですか?』

 ジンジャーは憮然として三本の指を突き出した。

「わたしには嫌いなものが三つあるの。ひとつは母さんのラズベリーパイ。もうひとつは牛を大事にしない牛飼い。三つ目は過去にこだわる奴よ」

 旅の道連れが脳裡で溜め息をついたふうにジンジャーは感じた。

 やがて他の乗客が三々五々に集まり、駅馬車がやってくる。乗客を詰め込み、御者が出発のベルを鳴らす。

 少女に旅立ちと試練の始まりを告げた。


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