今日の夕食はおでん
夕暮れのサクラギの城下町。
ミズキたちと別れたので、俺とアデルでの行動になった。
「じきに暗くなりますけど、ハンク探しは明日がいいかもですね」
「ええ、それでいいわ。元気にやってるでしょうよ」
ハンク探しは明日以降ということでまとまった。
あとはこの後のことについて、彼女と話しておきたい。
「旅の荷物もありますし、まずはモミジ屋に行きますか?」
「そうね、そうしましょう」
そこからモミジ屋を探して、事情を説明して泊まれることになった。
普通に泊まると確実に値が張るはずで、恐ろしくて正規料金が聞けなかった。
二人で通りに戻る頃には夕闇が迫っていた。
食事にこだわりのある俺たちにとって、これからは重要な時間だった。
「この前は寿司を食べましたけど、今夜は何にしましょう?」
「すき焼きという肉料理が食べたいけれど、マルクは何が食べたい気分かしら?」
アデルは民主的なところはあるが、本人が納得してくれないとなかなか意見を曲げてくれない傾向が見られる。
今回もすき焼き以外で食欲をそそる料理でなければ、彼女の賛同を得るのは難しいだろう。
俺は腕組みをして考え始めた。
アデルの方がサクラギに来た回数が多いため、今回は彼女に地の利がある。
あらかじめミズキに聞いていたならどうにかなったかもしれないが、今のような状況で機転が利くような情報はない。
「……なるほど、すき焼きですか」
俺は苦し紛れに言葉をしぼり出した。
こちらの反応に対して、アデルは意外そうな顔を見せた。
「あら、すき焼きを知ってるの?」
「サクラギに近い地方のレシピを見たことがあって、自分で作って食べたことがあります」
アデルにいい加減なことを言うのは気が進まないが、他の選択肢を得るために苦肉の策に出た。
サクラギになかなか来れない以上、日本から転生した俺はじっくり店を選びたいのだ。
こんなにも日本に近い雰囲気の町はここにしかないのだから。
「食べたことがなかったら、後学のためにご馳走しようと思ったけれど、何か別の料理店にしましょう」
「あっ、そういうことだったんですか。てっきり、アデルが食べたいのかと」
「アカネみたいにそこまで食い意地は張ってないわ。ふふっ」
アデルは楽しそうに笑った。
感情表現が乏しいわけではないが、彼女がここまで笑うこと珍しいので、何だか貴重な場面を目にしたような気持ちになる。
「あれ、何だかいい匂いがしますね……」
二人で立ち話をしていると、だしの香りが漂ってきた。
江戸時代を思わせる町並みにそんな匂いがするものだから、昔の日本にタイムスリップしたのかと錯覚を起こしそうになった。
「削り節か何かを煮つめたような香りね」
「ちょっと行ってみましょうか」
「いいわ、探してみましょう」
俺たちは匂いを頼りにその元を探し始めた。
夜が近づくことで路地にはかがり火や行灯が増えている。
町の人の一部は提灯を提げて歩いていた。
「そうか、あれが」
少し歩いたところで、匂いの元を見つけることができた。
路地の脇に屋台が止まっている。
城下町の景色に溶けこみ、味のある雰囲気を醸し出していた。
「まあ、サクラギの屋台ね。久しぶりに見たわ」
「ランス国内にもあるんですけど、こっちのは雰囲気が違いますね」
「何だか風情があっていいわね。どんな料理があるか行きましょう」
アデルと二人でのれんをくぐると客はまだいない状態だった。
どうやら、開店したばかりのようだ。
大鍋に浮かぶおでん種の数々を目にして、とても懐かしい気持ちになる。
「らっしゃい。お二人さんで?」
日本人と言われても信じてしまいそうな男が店主だった。
この屋台を始めて長そうな風貌で、額に巻いた鉢巻きが似合っている。
「ここでいいですよね?」
「いいわよ。実際に食べるのは初めてだから楽しみだわ」
アデルはおでんのことを知っているようだった、
もちろん、俺も知っているわけだが、あえて詳細な情報は出さないでおいた。
「お客さんたち、サクラギの人じゃないね。うちが初めてなら、おすすめの具を見繕って出そうか?」
「じゃあ、それでお願いします」
俺が答えるとアデルも頷き、店主は手際よく作業を始めた。
「お酒はいける口かい? 最近は夜も冷えるし、熱燗がいいよ」
店主がとっくりとおちょこを掲げて、熱燗が酒であることを伝えてくれた。
俺はもちろんのこと、サクラギに何度か来ているアデルも知っている。
「そうね、熱燗にするわ。マルクもいいわよね?」
「はい、それで」
店主は手慣れたもので浅めのどんぶりにおでんを盛りつけた後、手早い動きで二人分の熱燗を用意してくれた。
目の前に出されたどんぶりの中には大根と牛スジ、玉子にがんもどきが入っている。
アデルの方にはそれに加えてこんにゃくがあった。
「美食家のアデルさんだね? 屋台の主人に似つかわしくないかもしれないが、こう見えて読書家でね。あなたの書いた食レポを読んでファンになってしまった。こんにゃくはサービスさせてもらったよ」
こんなところにもアデルファンがいるとは驚きである。
当の本人はこんにゃくを箸の先で突いて、これは食べられるのかしらと不思議そうに見ている。
「アデルでも知らない食べものがあるなんて」
「聞いたことはあるけれど、実物を見るのは初めてだわ。やけに弾力があるわね」
「じっくり煮こんで味が沁みてるから、美味しいはずだよ」
店主に勧められて、アデルはこんにゃくを箸で掴んで口へと運ぶ。
見慣れた光景だが、彼女の所作はエルフという外見も相まって見惚れるような美しさがある。
「ふぅ、危ない。口の中をやけどするところだったわ」
「いやー失礼。熱いって伝え忘れていたね」
「ううん、大丈夫。それにしても面白い食感。鍋のつゆが沁みて深い味わいがある」
アデルの感想を聞いた店主は手拭いで目の辺りを拭った。
その様子から見るに感極まっているようだ。
「まさか本人の感想を聞けるとは。屋台をやっていてよかった」
「そこまで感動されると照れるわね」
店主と交流しつつ、俺たちはおでんを味わうのだった。
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