コーヒーの香りと遠い日の記憶

 少し前までのデックスには、どこか余裕を感じさせる様子が見受けられた。

 しかし、アレクシスが来てからは何も話そうとはしない。


「外にいるのは下っ端ばかりだろうな。自警団に逆らうような気骨のある者がどれだけいるか賭けてみるか?」


 ギュンターは勝ち誇った態度でデックスに言い放った。

 今までとは異なり、デックスに言い返そうとする素振りはなかった。

 単独での脱出は困難だと悟ったのだろう。


「有力そうな手下はすでに捕縛した。外にいる有象無象が追い払われたら、気をもむ必要もない。安心されよ」


 アカネは淡々と言った。

 彼女なりにギュンターに配慮したのだと思う。

 

「これでいよいよ、解決ですね」


「そうだな。ここまで長かった」


 俺が言葉をかけるとギュンターは疲れをにじませるような声で言った。

 ここまで伝え聞いたことだけでも、デックスと関わるのは苦労が絶えなかったことが分かる。


 部屋の中で会話を続けていると、屋外から怒号と歓声が入り混じったような声が聞こえてきた。 

 

「えっ、何があったんですかね」


「自警団の団員が手下を追い払ったんだろう。アレクシスがやってくれた」


 こちらの反応に対して、ギュンターが補足するように説明してくれた。

 

「ギュンター殿、あの男に抵抗する様子は見られない。夜も更けた故に姫様をお連れしてもよいだろう」


「そうだな。あとはオレたちだけでどうにかなる」


 ギュンターは肩の荷が下りたような表情で、俺やミズキ、アカネに目を向けた。


「きっかけはまああれだが、お前たちと出会えてよかった。時間も遅いし、今から宿屋に案内する」


「ありがとうございます。レイランドの地理はさっぱりなので、助かります」


 ヤルマで手に入れた地図はあるものの、宿屋のことまでは書いていないはずだ。

 地元民のギュンターに案内してもらう方が話が早い。

 俺たちは捕縛されたデックスのいる部屋を出た。


「――といっても、泊まるのはここになるんだが」


 ギュンターと来た道を引き返して、案内されたのは拠点として使われた建物だった。 

 どのみち、アデルを呼びにいかなければいけなかったので、手間が省けたとも言えるのだが。


「ここは宿屋っぽい雰囲気だなとは思いましたよ、二階にも部屋があるんですよね」


 俺は入り口から中へと足を運びつつ、ギュンターに言った。


「元々は宿屋だったからな。位置的にロミーが出入りしやすいのもあって、モリウッドさんが廃業予定だった主人から買い上げた。ああもちろん、立ち退きなんかしてないからな」


 彼は慌てたように付け加えた。

 

「まさか、そんなふうに思いませんよ」 


「それならいいんだが」


 部屋に足を踏み入れるとアデルとロミーが椅子に座っていた。

 

「おかえり。その感じだと無事に終わったみたいね」


「はい、アカネさんの活躍で幕引きです」


「つくづく敵に回したくない娘(こ)だわ」


 アデルは小さくため息を吐いた。

 俺も同意見で味方である限りは心強いが、その逆だったらと考えるだけで背筋が冷たくなる。 


「ロミーが部屋の掃除をしてくれているから、どの部屋も清潔に保たれている。空き部屋は好きに使ってくれ。それと明日の朝にモリウッドさんに会ってもらおうと思うんだが?」


「特に気にしませんけど」


「今回のことで、モリウッドさんはお前たちに感謝しているはずだ。挨拶に行ったら、きっと喜ぶだろう」


「そういうことなら分かりました」


 それから俺は宿の一室に泊まって、夜を明かした。



 翌朝、身だしなみを整えてから、皆が出入りしていた部屋に足を運んだ。

 パンを焼くような香ばしい匂いがして、キッチンの方にロミーの姿があった。

 他に仲間の姿はなく、ここには彼女だけのようだ。


「おはようございます」


「ベッドの寝心地はいかがでしたか?」


「よかったです。よく眠れました」


 ロミーはこちらの言葉に微笑んで手元に視線を向けた。


「もうすぐ朝食ができるので、よかったら召し上がってください」


「いいですね。何か手伝うことはありますか?」


「いえ、大丈夫です。椅子に座って頂いて」 


 彼女の言葉に甘えて椅子に腰を下ろす。

 この世界に転生してこの方、結婚について考えることはなかったが、ロミーのように家庭的な女と一緒になるのもいいような気がした。


「……でも、お父さんがレイランドのボスか」


 これから会うわけだが、モリウッド氏の存在感が大きすぎる。

 そんな人物が一人娘を娶(めと)る者を温かく迎えるだろうか。


「よかったら、こちらを飲んでください」


「……これはどうも」


 取りとめのない思考を遮るようにロミーがマグカップを差し出した。

 ふと、中から漂ってくる香りに懐かしさを覚える。

 転生前にカフェを経営していた俺にとって、コーヒーは特別な意味のある飲みものだ。


「もしかして、これはコーヒーですか?」


「あら、よくご存じですね。異国の行商人が取り扱っているもので、とても貴重なんですよ」

 

 ロミーの言葉に曖昧に頷いた後、マグカップの取っ手に手を伸ばした。

 全身を満たすような芳醇な香りを味わった後、カップの中をたゆたう真っ黒な液体に口をつける。

 苦みと酸味が折り重なり、複雑な風味が口の中に広がっていった。


「……とてもいい味ですね」


 コーヒーの味に触発されたように、ずっと昔のことだと感じていた転生前の記憶が脳裏を流れていく。

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