地元民の情報
アカネは模範的な従者らしく、すぐにミズキの後を追った。
俺はアデルが靴を履くのを待って、二人で旅籠から外に出た。
「雨は上がったみたいですね」
上空には雲が残るものの、青空が見えて穏やかな風が吹いている。
雨上がりの朝はさわやかに感じられるものだが、旅籠のことが胸に引っかかったままだった。
「……さてと」
意を決して後ろを振り返る。
旅籠の変化を確かめるのは不安もあったが、この目で見ておくべきだと思った。
廊下や玄関周りがそうだったように、外観も昨日見た時から変化している。
ボロボロとまではいかないが、しばらく掃除や手入れを行っていないような状態で敷地内の庭には雑草が生えており、ところどころに落ち葉などが散らかり放題だった。
アデルと二人で旅籠の様子を眺めていると、外の道を見知らぬ男が歩いていた。
服装や見た目の雰囲気から、近くに住む人だと思った。
「……おはようございます」
旅籠の敷地を離れて、男に近づいていった。
先ほどの主人のように消えてしまわないかと身構えるが、不審に思われないようにこちらから声をかけた。
「あんたたち、まさかそこに泊まったのかい?」
男は五十歳ぐらいで怪訝そうな表情だった。
「はい、そうです。旅籠について何かご存じですか?」
「……立ち話もあれだから、うちに来なさい」
男とは初対面だったが、家へ案内された。
確かめるようにアデルを見ると小さく頷いた。
「ちなみにここから近いんですか?」
「そう遠くない」
男は道の先を指先で示している。
「一応、ミズキたちに声をかけておくわ」
「あっ、ありがとうございます」
アデルは水牛の様子を確認中のミズキのところへ向かった。
彼女がこちらに戻ったところで、男の家へと歩き出した。
「この辺りに民家があったんですね」
「何もないところだから、うちを含めて数軒だ」
「そうなんですか」
男はこちらを招いたわりに、そこまで口数が多い感じではなかった。
どんな目的があるのか気になるが、根掘り葉掘りたずねて気分を害したくはない。
できることなら、旅籠の謎について知っておきたいという気持ちが芽生えていた。
男の家は旅籠の近くにあった。
日本の記憶がある俺からすれば、かやぶき屋根の古民家といった外観。
サクラギ周辺の文化水準からすれば、一般的な民家という印象を受けた。
民家の敷地に入ったところで、何かが足元を走っていった。
驚いて視線を向けると、茶色の羽根を生やしたニワトリだった。
見慣れない来訪者に興味を示すようにこちらを向いている。
「玄関はこっちだ。ついてきてくれ」
「はい」
俺とアデルは玄関に入ると土間で靴を脱ぐと部屋に上がった。
中心の囲炉裏に火が入っているからか、何かを燻(いぶ)したような匂いがする。
「こんなものしか出せなくてすまんが、この辺りで採れた野草の薬草茶だ」
「これはどうも」
「あら、ありがとう」
俺たちは湯呑みに入ったお茶を受け取った。
いい香りがするものの、今はそれよりも話を聞いておきたい。
「……あそこは弟が営んでいたんだ」
男は旅籠のことを話し始めた。
重たげな口調から何か事情があることを予想する。
「よかったら、詳しく教えてもらえませんか」
「誰かに話して罪滅ぼしになると思っちゃいないが、あんたたちに知っておいてほしい」
男はそう前置きをして、旅籠で起きた出来事を語り始めた。
男の弟――つまり俺が見た主人が始めたのがあの旅籠だった。
立地が影響して大繫盛とまではいかなかったが、定期的に旅人や行商人が訪れていたという。
やがて、主人と給仕を手伝っていた妻の間に一人娘が誕生した。
二人は愛娘に愛情を注ぎ、大切に育てた。
それから月日が経ち、旅籠の近くにアンデッドが出没した。
戦える者がいれば一体のアンデッドなど取るに足らないだろう。
しかし、巻きこまれたのは二人の愛娘だった。
アンデッドは呪詛を宿していることがあり、噛まれたり毒を受けたりするとアンデッド化することが稀にある。
不運にも旅籠の一人娘は呪詛を受けることになった。
旅籠の主人は宿泊客に不安を与えまいと考えたのだろう。
一人娘が出てこれないようにしつつ、呪詛が深刻になる前に対処しようとした。
しかし、サクラギの城下町や冒険者が複数いるギルドならともかく、この辺りは民家と田畑があるのみ。
移動時間を短縮できる馬さえない状況では手の打ちようがなかった。
娘を失った二人は生きる気力を失ったようになり、病気になったことがきっかけで後を追うように亡くなった。
「……あの旅籠でそんなことが」
男が話を終えると胸にずしりと重くなるような感覚があった。
アデルが幻覚魔法だと判断した場所は亡くなった二人が見てほしくないが故に壁のように見えたのかもしれない。
もっとも全ては俺自身の想像でしかなく、この話を聞いた後で確かめに行こうとは思えなかった。
「どうなってるのか分からんが、たまにあそこに泊まったという旅人が現れる。もしかしたら、二人が今でも客人をもてなそうとしている気がして、わしは客室の手入れを続けている。……あそこにあいつがいたのか?」
男の口にした「あいつ」とは旅籠の主人のことだと判断した。
親しみをこめたような響きを感じる。
「はい、俺たちを歓迎してくれました」
「……そうか」
男の目に涙がにじんだように見えた。
これで旅籠の謎は概ね解明できた気がする。
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