怪しげな旅籠

 食事を終えた俺たちは揃って食堂を後にした。

 会計は事前に聞いた通り、ミズキが持ってくれた。

 牛車は店の近くに置いてあり、引き続きアカネが御者を務めることになった。


「今日中にはヤルマへ着かないから、途中にある旅籠に泊まる予定だから」


「分かりました」


 牛車が動き出したところで、ミズキが俺とアデルに説明した。

 今のところ、あらかじめ聞いていた予定に遅れはないように思われた。

 ここまでの道中と同じように、窓の外をのどかな景色が流れていく。

 その後も牛車は順調に進んでいった。

 

 昼頃に移動を再開して日が傾き始めた頃、徐々に空模様が怪しくなってきた。

 ミズキが窓の外を眺めながら口を開く。

 

「ヤルマに近づくと湿気が多くなって、天気が崩れることも多いんだよね」


「悪天候でも水牛は動けるんですか?」


「よほどの大雨でもない限り、進むことはできるよ。御者台は濡れちゃうけど、客車は幕を閉じれば雨水は入らないし」


 その時に御者をする人には気の毒だが、雨の中でも移動できるようだ。

 空模様に意識を向けつつ、牛車が徐々に減速していることに気づく。

 

 ミズキは異変を察知したように立ち上がり、アカネに指示して牛車を停車させた。

 足早に客車の外に出て、水牛の元へと駆け寄った。


「何かありましたか?」


 俺も水牛のところへ近づき、心配しながらたずねた。

 ミズキは水牛の頭の辺りをさすっている。


「うーん、この子はお疲れみたい」


「無理はさせたくないですけど、この辺りは何もないですね」


 最後に町を通過してから時間が経っている状況だが、かといって次の町が近いようには見えなかった。

 馬であろうと水牛であろうと、動けなくなってしまえば人の方がそれに合わせる以外に選択肢はないのだ。


「姫様、しばらく進んだ先に旅籠がありました」


「そっか、ありがと」


 アカネの姿が見当たらないと思ったら、周辺を調べていたようだ。

 走っていったようで、珍しいことに息を切らせている。


「水牛がその調子なら、今日はここまでね」


 心配そうな様子でアデルが客車から出てきた。


「アカネが旅籠を見つけたみたいだから、何とか引っ張ってそこまで移動するよ」


「何か手伝えそうなことがあったら言ってね」


「とりあえず大丈夫そう。特に理由はないけど、二人で旅した頃を思い出すね」


「ふふっ、そうかもしれないわね」


 アデルとミズキは楽しそうに笑い合っている。

 水牛のことはアクシデントだったが、まだ余裕があるようだ。

 

「よろしければ、拙者が水牛を引きますが」


「大丈夫。今日は御者をしてもらったから」


「では、お言葉に甘えて」


 アカネはミズキに助力を申し出たが、本人がやると言ったのでおとしなく引き下がった。


「ミズキさん、俺も何かあれば手伝うので」


「うん、何かある時は頼むね」


 こうして、ミズキが水牛を引く状態で移動することになった。

 雨が降ってはいないものの、上空はどんより曇っている。

 南の方へ移動している影響なのか、普段よりも湿度が高く感じる。


 アカネの先導で移動すると、途中から街道を逸れて脇道に入った。

 交通量は多くない道のようで、ところどころに雑草が伸びている。


「拙者が見つけたのはこちらです」


 一軒の建物の前にたどり着くと、アカネが俺たちに言った。


「うんまあ、普通の旅籠だね」


「先ほど宿の主人にたずねて、部屋の空きがあることは確認済みです」


「さすが仕事が早い。とりあえず、牛車を置かせてもらおう」


 ミズキが水牛の手綱を握ったまま言った。

 ちょうどそこへ、旅籠の敷地から誰かが出てきた。


「おやっ、先ほどのお客さんですかな」


 初老の男で和服を身につけている。

 この旅籠の主人だろうか。


「今日、ここに泊まりたいんだけど、牛車をそこに置かせてもらっていい?」


「はい、どうぞどうぞ」


「それじゃあ、置かせてもらうね」


 ミズキは旅籠の手前の空き地に水牛と牛車を移動させた。

 慣れた手つきで留め具を外していくが、どこかへ逃げる可能性は低いためか何かに係留する様子は見られない。


「みんな、お待たせ」


「では、どうぞこちらへ」


 俺たちは男に案内されて宿の玄関に進んだ。

 そこで各自履きものを脱いで、床の上に足を運ぶ。 


「申し遅れましたが、私はこの宿の主人をしております」


 男はいつの間にか帳場に立っており、ちょこんと頭を下げた。

 小柄で年老いた小動物を思わせる風貌だ。


「……くさい」


 旅籠の主人に目を向けていると、ふいに隣にいるアデルがポツリとこぼした。

 顔をしかめており、何か気になることがあったのだろうか。


「それでは、お部屋に案内します」


 主人はそそくさと帳場から出てきて、そのまま館内の廊下を歩き始めた。

 俺たちは部屋に移動するためについていった。


 外観は何の変哲もなかったが、日当たりがよくないことで廊下はところどころ薄暗い。

 どことなく不気味な感じがするものの、そこまで違和感はない気もする。


「……気のせいよね」


 アデルの様子が先ほどから少しおかしい。

 やはり、何か気にかかることがあるのだろうか。

 この後で確認した方がいいかもしれない。

 

 廊下の角を曲がったところで、等間隔で部屋の扉が見えた。

   

「今日は部屋が空いておりますので、お一人様ごとの個室で泊まって頂けます」


 主人はそう言った後、帳場の方へ戻っていった。

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