猿人族との遭遇

 猿人族の動きが気になるところだが、今いる位置から顔を出すと見つかってしまう。

 隠密行動はアカネが長けており、このような場面では彼女に任せるべきだ。

 そして、彼女は壁に背中をつけたまま身じろぎせずにいた。


「……どういうことだ。気づかれるはずないのだが、猿人族がこちらに近づいている」


 冷静沈着なアカネのうろたえるような声を初めて耳にした。

 どうやら、猿人族が予想外の動きを見せているようだ。

 敵の姿は見えずとも足音が近づくのが聞こえて、彼我の距離が縮まっていることに注意が向く。

 

「――キキッ、何かイイ匂いがする。これは何の匂いだ? ヒトでもオレたちでもない匂い、何の匂いだ?」


 猿人族は昂(たかぶ)るような様子で、一歩また一歩と近づいている。

 

 ……匂いとは何の匂いだ?

 香りが強いような食料を持ち合わせていないはずだが。


 所持品を確かめる余裕などあるはずもなく、動くことはままならないまま緊張が高まっている。

 それでも相手は一人に対してこちらは四人――数的有利はこちらにある。

 するとそこで、こちらの意図を見抜いたかのようにアカネが近づいてきた。

 

「早速、出番だ。マルク殿かアデル殿のどちらかで、光の魔法を放ってもらえるか。もう少しあの猿人族が近づいたら、低い位置で動かして驚かせてほしい」


「それならできますよ」


「マルク、ここは私に任せて。魔法の制御なら自信があるわ」


「では、お願いします」


 アデルは力強く頷いて、すぐにホーリーライトを発動した。

 火口の明るさがあるため、光が現れてもそこまで目立たない。


「だいぶ近づいてきた。拙者が合図したら放ってくれ」


「ええ、問題ないわ」


「もう少し……今だ――」


 アカネの合図の後、壁際に浮かんだ光球が地面ギリギリを這うように漂っていた。 

 エルフとして優れた魔法使いであり、アデルは魔法の扱いに長けている。

 集中を要する状況にあっても、ホーリーライトの動きは制御されているようだ。


 猿人族の気配はこちらに近づいていたが、ふいに足音が止んだ。

 こちらからはよく見えないものの、アデルの魔法に反応したのだろうか。


「――キィィッ、何だこれ!?」


 悲鳴のような声を上げて、猿人族は駆け足で立ち去った。

 幽霊の類を亜人が恐れるとは考えにくいが、動物が奇妙なものに本能的な恐怖を覚えるように、猿人族も突然のことに戦慄を覚えたのだろう。


「ひとまずこれで問題ない。仲間に報告する恐れもある、先を急ごう」


 アカネは前を向いたまま口にして、山道を先へと歩いていった。


「二人とも、アカネに続くよ」


「はい」


「ええ」

 

 ミズキがアカネの後を追い、それに俺とアデルが続く。

 たとえヨツバ村に不当な要求をしていたとしても、サル型の亜人を攻撃するのは抵抗が大きい。

 腰に携えた剣に触れて、これを使わずに済むことを願った。


 ヒフキ山は火山ということもあり、ヨツバ村よりも気温が高く感じる。

 途中まで気にならなかったが、傾斜を上がることでじわりと汗がにじんでいた。

 周囲を警戒しながら足を運びつつ、先ほどの猿人族が口にした「いい匂い」について意識が及ぶ。


「女性の匂いに反応? それなら村を襲っていてもおかしくないが、生贄を要求したのは今回が初めて……まさかアデル……?」


 種族の違いからくるものなのか、アデルは長旅でも汗が臭うようなことはない。

 活発なエステルからも顔をしかめるような匂いがしたことはなかったはずだ。

 むしろ、近くにいるとさわやかな香りがすることさえある。

 

 料理を作る立場上、鼻が利く方だと思うが、彼女たちが身に纏う香りは香水のような人工的なものではない。

 花の香りとも何か香木のような香りともつかない、すがすがしい気分にさせられる香りがするのだ。


「サルの方が人よりも鼻がいいはずだし、いや考えすぎか……」


 移動に集中すべきだが、なぜか無視することができず、先ほどの状況について意識が及んでいた。


 切り替えるように周囲へ注意を向けると右側が切り立った崖になっており、足運びに気をつけるべきだと注意を向け直す。

 崖下までの距離は十メートルほどで、下側には焚き火と数人の猿人族の姿があった。

 彼らは炎を囲むように座っていてこちらには気づいていない様子だ。


 火口が明るいとはいえ、焚き火がある方から見ればこちらは暗く見えるはず。

 そもそも、視線が向いていないうちに通過できれば問題ない。

 にじむ汗を首筋に感じながら、一歩また一歩と前に進む。

 

 厳重に警戒されていれば易々と見つかりそうなものだが、猿人族の慢心で事なきを得ている。

 サクラギの伝承――特に宝刀についての情報がないことで、自分たち以外に火山を鎮められる存在がいることなど想像もつかないのだろう。

 ミズキが大事に抱えているものに感謝しつつ、崖下を注視したまま通過した。


 何ごともなかったことに胸をなで下ろした直後、焚き火を囲む一団に一人の猿人族が加わるのが目に入った。

 見分けがつかないものの、その様子からアデルのホーリーライトに仰天していた者だと思われる。


 この状況をアカネに伝えるべく彼女の方へと顔を向ける。

 アカネはすでに気づいていたようで、姿勢を低くしてこちらに歩み寄った。


「さっきの猿人族だと思います」


「下側からこちらまで離れている。このまま火口へ向かえば、支障はないはずだ」


「……そうですね」


 心なしかアカネの顔から余裕の色が薄れているように見えた。

 それが杞憂であってほしいと思ったところで、足元から接近する影があった。

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