終章 深き業を知る

One week later ~ラストエピソード~(前編)

 冬の気配を感じさせる冷たい風が、道路の端に追いやられていた黄土色の枯葉を巻き上げる。

 セントラルの中央を走る片側四車線の大通りは、いつもと変わらず自家用車や工場のトラックで混み合っていた。

 しかしその背景はというと、いくつか奇妙な空白がある。


 あちらこちらにあったオーラス財団のポスターや看板は軒並み撤去され、あのイヴェール工場のCMやオーラス自身を特集した映像が流れていた大型ビジョンも真っ暗になっていた。

 あれほど町中に溢れかえっていたオーラスの姿は、跡形もなく消え失せている。


 オーラス財団がオーパーツを違法に扱っていたことが明るみに出、マスコミの報道はオーラス一色になった。オーラス財団のすべての企業がクロという訳ではなくごく一部だと考えられてはいるが、今も念入りに調査は続けられている。


 しかしアルベリク・オーラス自身の関与は確定だ。そして不完全なオーパーツにより行方不明……恐らく死亡。

 犯罪者である彼を財団のトップとして掲げたモノを、そのまま残しておく訳にもいかなかったのだろう。

 それは当然の対応だっただろうが、こうして間が抜けて精彩を欠いたセントラルの光景を見ると、このシャルトルトがいかにオーラスに依存し、発展してきたのかがよくわかる。

 しかし、一人の王様によって掌握された世界における幸福感というのは、やはりまやかしなのだろう。閉ざされた世界での充足感は、『井の中の蛙大海を知らず』とでも言うべきものだ。


 今回の事件で、大陸では国家レベルの事案と考えたようだ。大陸の高位高官や検察官、専門家が大陸間鉄道で海を渡り、シャルトルトに派遣されることになったらしい。

 こうして今後シャルトルトは大陸に、そしてその他諸外国にと開かれていき、少しずつ変わっていくのだろう。

 『されど空の蒼さを知る』。新しい風が吹くことで、この島の古き良きところを再発見できるかもしれない。シャルトルトにとって良い変化になるといいのだが。


 しかし研究者出身のラキ局長は、

「オーパーツの何たるかもわからん人間に指図されたくはないがな」

とひどく渋い顔をしていた。

 当然ながら、このオーパーツ監理局も大陸からの介入を余儀なくされるだろう。


 O監はシャルトルト警察から分離して設立されたシャルトルト独自の機関だが、その設立時には大陸から人間が派遣されている。〈未知技術取扱基本法FLOUT〉の制定にも当然大陸が関与、厳しい審議を通して正式に許可を得たものだが、大陸が関わったのは設立当初だけ。その後は実際に運営には殆ど関わっていない。

 特にこの十年、O監を動かしてきたのは間違いなくシャル島の人間だった。


 ラキ局長と言えば、O監にグラハムさんと二人で戻ってきたときはかつて見たことがないほど怒り狂っていた。

 危険な実験を阻止した労を労うでもなく、安堵の吐息を漏らすでもなく。


 というのも、グラハムさんがマーティアスのあの巨大なオーパーツを完膚なきまでに破壊してしまったからだ。

 配線を引っこ抜いて停止させただけではない。内部を露出させ変換部を取り出して床に叩きつけた。念入りに足で踏み潰し、本体に《トラロック》の電気弾を何発もぶち込んだ。

 希少で貴重なオーパーツは、完成目前でガラクタへと変わり果てた。


 グラハムさんが何を思ってそこまでの破壊行動に及んだのかはわからない。

 だけど俺は、この場ではそれが正しいことのような気がしていた。


 しかしこれは、明らかに違法行為だ。O監の人間は『許可したオーパーツの使用を認められている』だけであって、見つけたオーパーツを自由に扱っていい訳ではない。

 マーティアスとピートを確保したのだから未然に防ぐことには成功した。だからその元凶であるオーパーツを破壊する必要はないはずで、これは明らかに越権行為だった。

 意図的な証拠隠滅とも言える。それこそ、〈未知技術取扱基本法FLOUT〉違反で逮捕、O監捜査官の身分を剥奪されても仕方がないぐらいの。


 しかし俺は、止めなかった。

 無線でミツルから

「リュウライ! リルガを止めてください!」

と何度も指示が入ったが、

「無理です」

「マーティアスを確保しているため動けません」

としか答えなかった。


 勿論、それはただの言い訳だ。俺が両腕を押さえていたマーティアスも、魂が抜けたような表情でへたり込み、呆然とその様子を眺めていただけだった。

 仮に俺が腕を離しても、きっとそのままだっただろう。グラハムさんを止めることはできたと思う。


 だけど、そのときは「これでいい」と思えた。

 マーティアスに「間違っている」と言い、その野望の象徴を彼女の目の前で叩き壊すことは、少なくとも彼女にとって必要な儀式のような気がした。

 グラハムさんがそこまで考えていたとは、とても思えないけれど。


 怒り心頭のラキ局長はひとしきり雷を落としたものの、その後の俺達への処置はというと至って寛大だった。

 クビは免れるにしても左遷、また無人の発掘現場の見張りからやり直しか……と覚悟していたのだが、今回の事件に対する始末書の提出で済ませてくれた。しかも公的記録とはならないため、格下げも給料の天引きもなし。

 ありがたい……が、きっとまた無理難題を言われるに違いない。確実に社畜への一歩を歩んでいる。


「まぁこんなんで済ませてくれるなら、どれだけでも書くよ」


 今回の件の顛末と反省、これからの心構え等をレポート十ページでまとめてこい、と言われたグラハムさんが肩をすくめる。


「……はぁ」


 どう応えたらいいかわからず、溜息が漏れる。そんな俺を見て、グラハムさんが「ん?」というように首を傾げた。


「あれ、リュウは五ページでいいんだろ? 楽勝だよな? 何しろ俺様、研修期間に始末書の書き方まで教えたからなっ」


 こんな親切な先輩はそういないぞー、と俺の背中を叩き、なぜか得意気なグラハムさんに対し、


「せっかく教えて頂きましたけど、僕はあれ以来、一度も書いてませんから」


ときっちりと言い返す。

 グラハムさんは「はー、優秀だねぇ」とのんびり相槌を打ったあと、


「そんなんだからいいように使われちゃうんだぞ。……でもまぁ、俺もか」


と言い、ガックリと肩を落としていた。

 これは俺も優秀だから、という自慢なのか、それともこれから訪れるであろう苦行の未来を憂いているのか、どっちだろう。


 そう言えばこのとき以来、グラハムさんとは顔を合わせていない。

 警備官は現場や人間の警備が仕事、特捜は捜査中の案件の裏調べが仕事。

 逮捕された人間の事情聴収や証拠固めといったものは、また別の部署の仕事だ。


 ――あれから一週間。

 事件の捜査はどれぐらい進んでいるんだろう。

 そして彼らは――どうしているのだろうか。



   * * *



 今日は三時までディタ区で警備課の任務だった。その後イアンの交通事故の件の話をしにディタ署へ。こちらは俺が取り調べられる立場となるのだが、O監職務中の出来事なので事実確認だけで終わり。

 O監に戻って来た時には午後四時を過ぎていた。終業まで一時間足らず。とりあえず警備課で待機するか、と歩きかけてふと思い出す。

 そう言えば、グラハムさんも今日は内勤じゃなかっただろうか。確か始末書は今日が提出期限だった気がする。俺は昨日のうちに出してしまったが。


 捜査課を覗いてみたが、いたのはグラハムさんの上役の人間だけで、他には誰もいない。

 予定表を見ると午後休になっていた。珍しい。

 ……ということは、今日はもう会えないな。当初の予定通り、警備課で過ごすことにしよう。


 警備課へ行くと、今日は誰もいなかった。確かに今はオーラス財団の調査に手が足りない状態で、警備課が家宅捜査などの任務に就いていると聞いている。

 事件の一番近くにいた自分がここで一人というのもおかしなものだ、と思いながら自分の席に座った。

 パソコンを起ち上げようと手を伸ばした瞬間、そのすぐ左手に置いてある電話の内線ランプがつく。


「――はい、警備課……」

『リュウライ、局長がお呼びです』

「……」


 まるで俺の動きが見えているかのようなこのタイミング。

 この事件の始まりも確かラキ局長の呼び出しからじゃなかったか、と嫌な予感が頭を掠める。


『聞こえていますか?』

「あ、ああ」

『そうですか。また聞こえていないフリかと思いました』


 それは、あのグラハムさんの破壊行動のときに何回か無視したことへの嫌味だろうか。……だろうな、多分。


「わかった、すぐに行く」


 いかんせん、今の俺の立場はとても弱い。温情溢れる処置で済ませてくれたのだから、この場で「是」以外の返事などあろうはずもなかった。


 中央エレベーターで五階に上がり、すぐ隣にある局長室の扉をコン、コン、と二回ノックする。「入れ」という声が聞こえてきたので金属製のノブをゆっくりと回した。


 声の感じから言えば、あまり機嫌はよくないようだ。捜査が難航しているのか、はたまた大陸との対応に追われているのか。

 そんなことを考えながら一礼し、入室する。


「レポートは読ませてもらった」

「はい」


 紙五枚の端をステンレス製のガチャ玉で止めたものを右手でパタパタと振りながら、ラキ局長がじろりと俺を睨む。


「マーティアス・ロッシに語りかけて止めたとあるが、どういうことだ?」

「マーティアスは未知の〈クリスタレス〉を所持しており、迂闊に近づくのは危険だったため……」

「違う。始末書の内容を復唱する必要はない。なぜそんなことが可能だったのか、と聞いている」

「え」

「相手は研究の為なら大量殺人もいとわないような女だぞ?」


 そんな女が見知らぬO監の人間の言葉に耳を傾ける筈がないだろう、とラキ局長が言葉を続けた。

 それは確かにその通りだった。マーティアスに届いたのは俺の言葉じゃない、『アヤ・クルトの言葉』だ。


「……それは……」


 そう言えば、二人が実家の食堂『ディタ・プロスペリータ』の常連だったこと、そのやりとりを眺めていたことについては報告していなかった。

 最後の最後まで、あの『マーサ』とマーティアス・ロッシが同じ人間だと心のどこかで認めたくなかったからか。しかしこれは、明らかに職務怠慢だ。

 とは言え、バカ正直に「黙ってました」と言う訳にもいかない。


『十三歳のときに見たその女性達が当の二人とは確信が持てず報告を控えていた』

『あの明るい光の下、初めて顔を合わせて間違いないと思った』

『マーティアスの気を削ぐために、思い切って記憶していた当時のアヤ・クルトの言葉を投げかけた』


というようなことを努めて淡々と説明した。


「……なるほどな」

「……」


 俺の説明が気に入らなかったのだろうか、ラキ局長が始末書をバサリ、と乱暴に投げ捨てる。そして両腕を組み、じっと俺を見つめた。


「そのマーティアス・ロッシだが」

「……はい」


 やや緊張しながらも返事をする。ラキ局長の鋭い視線に耐え切れなくなり、床に目を落とした。


「事件については一切黙秘している。何を言おうが反応すらしない」

「……」

「だが、一回だけ口を開いたそうだ。〝あのO監の少年は……〟とな」

「え」


 思わず顔を上げると、ラキ局長が口の端だけを上げ、わずかに微笑んでいた。

 しかしその目はというと、獲物を見つけた鷹のように鋭く光っていたが。


「O監の〝少年〟と言えば君しかいないだろう、リュウライ。取調官が聞き返しても、それ以上は何も言わなかったらしいがな」

「……」

「という訳でリュウライ、命令だ。マーティアス・ロッシと面会してこい」

「……ええっ!?」


 信じられないことを言われ、思わず大声を出してしまう。

 逮捕後の被疑者と会うのは取調官のみ。これは捜査官の主観を交えず捜査をするためで、表では捜査官ですらない俺が被疑者であるマーティアスと面会するのは異例のことだ。


「なぜですか!?」

「お前が行けば何か喋るかもしれん」

「まさか……」

「とにかく、行ってこい。事態は膠着していてどうにもならん。何でもいいから取っ掛かりが欲しいところだ」

「え……」

「繰り返すが、これは命令だ」


 ラキ局長が、地の底を這うような低い声で言い切る。

 そう言われてしまっては、もうどうにもならない。

 俺は思わず項垂れた。隠す気力すら起きなかった。


「面会の手筈は整っている。さっさと行け」

「……はい……」


 道理でミツルが待ち構えたように連絡を寄越したわけだ……。

 重い足取りで局長室を出ると、続けて出てきたミツルが

「こちらです」

とすぐに案内しようとした。


「ちょっと待ってくれ、それならこれまでのマーティアス・ロッシの調査結果をもう一度確認……」

「必要ありません」

「は?」


 スタスタと足早に歩いていくミツルをやや小走りで追いかける。

 グラハムさんと違い、喋るのが苦手な俺にいったい何を期待しているのか。

 思ったような成果は得られないに違いない……が、手を抜く訳にはいかない。だから事前に情報をきちんと頭に入れる時間を、と言っているだけなのに。


「それじゃ取り調べとしては……」

「通常の取り調べを行う必要はありませんので」

「え?」

「リュウライに期待しているのは、そういうことではありません」


 局長控室から資料庫を通り内部廊下へ。この先は拘置棟……以前ロンが閉じ込められていた特別拘置室だろうか。


「O監警備官としてではなく、過去の彼女を知る人間として話をしてください」

「……」


 彼女を知る、とは言っても一方的に眺めていただけで俺は何も……。

 そう愚痴めいたことが頭をよぎったものの、ミツルのその言葉は不思議な響きをもって俺の耳から胸の奥へと落ちていった。

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