第25話 退屈な世界


「「はぁ……」」


 ――あの子はあれから溜息を吐く回数が増えた。


 我は知っている。

 私は知っている。


 天羽修という人間に、この子が恋をしていた事を。



 ◆



 確かに、天羽修は輝夜の記憶を消した。

 だが、輝夜の全てを知っている我の記憶を奪いはしなかった。

 釘を指す事すらしなかった。


 理由は分からない。

 まさか、気が付いていない等という事は無いだろう。

 あれは、相当に巧妙で計算深い人間だ。


 輝夜が記憶を失ったと言う事は、我の事も忘れたと言う事だ。

 だから、輝夜に我は声をかけていない。

 当然の事だ。


 あの日視た、この学園の地下の秘密。

 そんな強大な事件に我の守護対象を巻き込める筈もない。

 あれはどうせ天羽修にしか解決できない。

 なれば、輝夜を危険に巻き込む理由は何もない。


 そしてもう一つ、輝夜に憑く中で分かった事がある。

 輝夜が敵視し、天羽修が肩入れした陰陽師。


 土御門瑠美も、記憶を無くしているという事だ。



 ◆



「ねぇ魂狐、退屈だわ」


 屋上に上がるドアの上。

 貯水個の上で授業をさぼりながら、私の主はそう言った。


 青空に手を伸ばして、何かを追うように空気を掴む。


「学校って、こんなに退屈だったっけ?」


 退屈の理由を私は知っている。

 仮面の魔術師。

 天羽修が、それに関する全ての記憶を瑠美から奪ったからだ。


 そして、天羽修自身はあの日から一度も学校に来ていない。


 瑠美には、天羽修に宿題を押し付けていた記憶すらない。

 お見舞いをされた記憶も、天羽修の家に行った記憶も。

 彼に陰陽師だと明かした記憶も、彼にキスされそうになって頬を赤らめた事も何も覚えていない。


 本当に、あの男は酷い事をする。

 命の恩人と言えど、恋する女からその記憶を奪うなんて鬼畜の所業だ。


「さぁ、なんでかしらね」


 でも、私は惚ける。

 知らない振りをする。


 記憶を消すと言うのは、明確な拒絶の意思だ。

 それを彼女に伝えて、仮に瑠美の記憶が戻っても。

 どちらにせよ、振られたという事実に変化はない。


 そんな辛い記憶を思い出す方が不幸だ。

 そんな風に思えてしまう。

 私も晴明様の死に際を未だに憶えている。


 忘れられるなら忘れたい。

 それほど、消失というのは辛い物だ。


 消えた物が好きであれば好きである程に。

 その喪失は、耐え難い。


「こんな所に居たのね」


 梯子を上って、黒髪の女子生徒が現れる。

 瑠美のクラスの委員長。

 少し前まで呪いに蝕まれ、瑠美に嫌がらせをしていた女。


「なんで屋上の鍵開けられるのよ」


「先生に貸して貰ったわ。

 ほら私優等生だから。

 適当な理由付けしてお願いしたら、仕方ないって貸してくれたのよ」


「嫌味な女ね」


「そうね。

 隣、座ってもいいかしら?」


 チラリと瑠美は南沢輝夜という名前のその子へ、視線をくべる。

 その表情を一瞥し、顔を直ぐに背けた。


「別にいいけど」


 瑠美がそう言うと、南沢輝夜はその横に座る。


 長い黒髪を耳に掛けて、ぽつりと彼女は言った。


「ごめんなさい」


 それが、何を示す謝罪なのかは明白だ。

 それでも、瑠美は態々問い返した。


「何が?」


「貴方に嫌がらせをしていたのは、私なの」


「知ってるわよ」


「えっ……そうなのね……

 こんな事、信じて貰えるのか分からないけれど、自分でもどうしてあんなことをしたのか分からないの」


「そう」


「許して欲しいなんて言わないわ。

 何か、私に支払って欲しい対価があるのなら従う」


「要らないわよ別に。

 でも、なんで急に白状して謝る気になったわけ?」


「だって、私は悪い事をしたから。

 謝るのは当然の事でしょ?」


 南沢輝夜にそう言われて、瑠美は頭を押さえた。

 少し発汗もしている。


「大丈夫?」


「今の言葉、別の誰かにも言われた様な気がする……」


 あぁ、確かに貴方は天羽修にそう言われた事がある。

 記憶を消す、怖ろしくて超常的な術理。

 でも、それ故に脆弱性はあるのだろう。


「私も、先週の土日と月曜の記憶がないの。

 もしかしたら、その間に何かあったのかもしれないわ。

 金曜日までは何か嫌な物に心を支配されていたような、そんな感覚を覚えているもの」


「優等生が、随分とスピリチュアルな事を言うじゃない」


「確かに、私の罪を何か別の物のせいにしてはいけないわよね。

 今まで本当にごめんなさい」


 そう言って、南沢輝夜は改めて頭を下げる。


「許すわよ」


「ありがとう」


 そう言って、彼女は顔を上げる。


 え……?


「土御門さんって、案外不良じゃないのね」


 気のせい?

 南沢輝夜は、何も無かったように会話を続ける。


「アンタこそ、もっと媚びた性格だと思ってた」


「こっちが素よ。

 でも、可笑しな事じゃないでしょう?

 誰だって円滑に物事を進める為に嘘をついて、演技をするものだと思うわ」


「知らないわよ、私は違うし」


「確かにそうね」


 クスリと笑って、南沢輝夜や上品に口元を隠す。

 瑠美とは大違いね。


 そして、まただ。


「もう一つ、話があるのだけれどいいかしら?」


「何よ」


「貴方って、魔法使いだったりする?」


 そう言って、南沢輝夜は瑠美の顔を覗き込む。

 逃がさないとでも言う様に、瑠美の両手を自分の両手で包む。


 一切の瞬きをせず、視線はずっと瑠美へ固定されている。

 まるで、その一切の情報を取りこぼすまいと集中している様な。


「魔術師、超能力者、幽霊、妖怪、未来人、異世界人、呪術師、陰陽師……分かりやすいわね」


「アンタ……」


 そう言って三度目だ。


 私と、南沢輝夜の視線が三度合った。


「狐の妖怪、それに私をずっと見てる影色の私。

 貴方達が、何か知ってるのかしら?」


 恐ろしいのは、その頭脳ではない。

 怖ろしいのは、その演技ではない。

 恐ろしいのは、霊を見る視力ではない。


 本当に可笑しい。


 記憶が消えて一週間弱。

 貴方はその間、ずっと私が視えていたと言うの?


 だったらどうして、その間ずっと、異形の物が視えている状況下で、平然と委員長を演じ続けられたの?


 私が恐怖を覚えるのは、お前の恐怖に対する耐性の強さだ。


「私の空白の三日間。

 知っているのは誰なのかしら?」


 悪魔の様に、彼女は笑う。

 その様子に、私は天羽修を幻視した。


 瑠美が勢いよく立ち上がり、懐にしまっていた式符を取り出す。

 それは、霊力の接近を感知したからだろう。


「……仕方あるまい」


 そう言って、何処からともなく影色のシルエットで、南沢輝夜の形をした精霊が現れた。


「そこの式神、これは輝夜が自力で考え辿り着いた物だ。

 これ以上、嘘を吐く事がこの者等の為になると思うか?」


 それは、明確に私に話しかけていた。


 それだけで私は理解する。


 そうか、この娘も瑠美と同じなのだ。

 三日間の記憶消失、それは天羽修の術による物という訳か。


 記憶を消さなければならぬほど、天羽修という人物に迫った女か。

 なるほど、それなら多少納得もしよう物だ。

 あの男の近くに居れる者が、真面な訳もない。


「分かったわ、精霊。

 私も腹を括って、真実を話す」


「それは良い返事だ。

 それではそうだな、まずは自己紹介からでも始めようか。

 我の名はフルル」


「私は魂狐ごんぎつねよ」


「南沢輝夜。

 良かったわ、敵だったら詰んでたから。

 まぁ、そうじゃ無いって確認する為に視えない振りなんてしていた訳だけれど」


 そう自己紹介をして、私達三人は瑠美へ視線を向けた。


「アンタ等……

 なにを普通みたいな顔して納得してんのよ……

 私だけ全く意味も状況もわかんないんだけど!」


 聡明さの欠片も無く、瑠美はそう叫んだ。


 瑠美は、未だに立ったまま式符を構えて硬直していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る