第21話 精霊術師の喪失


 あれは夢かと、俺は目覚めた瞬間思った。


 でも、輝夜ちゃんが悲しそうにしていたから、あれは現実だったのだと理解できた。


『マスターの身体組織の回復率は98%完了しております』


 ミルに「助かった」と伝え、彼女の自動顕現を解除する。

 俺の部屋から白髪の少女が消え、輝夜ちゃんだけが残った。


「おはよう」


 血塗れのベッドを覗く彼女にそう言った。


 でも、彼女は凄く辛そうな顔を浮かべる。

 開いた口から吐き出された言葉はたった2文字。


「いや」


「一応聞くよ。

 何が嫌なの?」


「私の記憶を消すのよね?」


 彼女はきっと頭がいい。

 彼女はずっと賢かった。


 だから、俺が何を考えどんな言葉を紡ぐのか分かっている。

 俺がこれまでに見せた外面から、内面を予測し統計的に心を読む。

 それが彼女には出来てしまう。


 だから、全て分かって彼女は俺に「いや」と言ったのだろう。


 そして、君は分かっている。


「俺が、そんな言葉で止まりはしないって分かってるよね」


「だって仕方ないじゃない」


 いつだって微笑みを絶やさなかった輝夜ちゃん。

 でも、今の彼女にそれは無い。

 しわくちゃな顔で君は言う。


「どうやったって、私は貴方の事を忘れるしかない」


「輝夜ちゃん言ってたじゃん。

 俺がその方が楽なら、記憶を消しても良いってさ」


 我ながら、俺は相当狡い性格だ。


 彼女のあの言葉は、俺が転生者でも気にしないという意思の表れだった。

 それを俺は、自分の都合に使っている。


「それは、記憶が無くなってももう一度貴方と友達になれるって思ったからよ」


「輝夜ちゃんにしては珍しい。

 論理的じゃない思考だ。

 何か根拠はあるの?」


「見て分からないの?

 たった3日よ。

 たった3日で、私は貴方をこんなに好きになったの。

 次がどれだけ掛かるかなんて分からないけど、もう一度交友を持ちたいと思う筈よ」


 それは、告白ってものなのだろう。


「でも、多分貴方はもう教室には来てくれない。

 何となく、分かるのよ」


 今の俺に、その告白に応える気が微塵も無いと彼女も分かって居る。


「だから、これだけでこれが最後。

 凄く少ない確率で、凄く恥ずかしい回答。

 でも、私にできる事で貴方を止められるかもしれない方法は、これしか思いつかなかった」


 うん。

 昨日の俺なら君と付き合っていたかもしれない。

 でも、もう今は普通の高校生として生きる道は絶えた。


「今から君の記憶を消す。

 直近3日の記憶を消すだけだから後遺症の心配はいらない。

 ちゃんと全部消すから、そして俺はもう君の前に二度と現れない」


 十分楽しんだ。

 現代を満喫した。

 青春を謳歌した。


 この16年。

 俺はちゃんと幸せだった。

 慕ってくれる兄弟と、毎日楽しんでいる母さん。


 父さんだって、自分のやりたい事をずっとやっていた。

 それに俺が必要無いって言うならそうしよう。

 それに俺が必要だって言うのなら、そうしよう。


「でも、やっぱり俺の人生で一番幸せだったのはこの3日だったかもしれないね」


「お願い、修君。

 お願いだから、やめて」


「ごめんね」


「貴方と一緒に居たい。

 貴方をずっと好きで居たい。

 裏切られてもいい、捨てられてもいい、叶わなくてもいいから。

 お願いだから、この気持ちだけは奪わないで」


「君が、そんな事を言うなんてね」


 南沢輝夜は常に勝利している。

 勉強でも恋愛でも、人付き合いでも。


 決して彼女は一番では無い。

 けれど、彼女は俺が出会ってきた人間の中で、最も総合的な評価の高い人類だった。


 人の能力は必要に応じて評価が変わる。

 現代で求められる能力の方が、求められない能力よりも高く評価される。

 当然の事だ。


 その観点から、彼女はこの世界で必要な能力の習得数と練度に置いて、他の追随を許さない圧倒的な存在だった。


 でも、それだけだ。


 英雄でも無ければ勇者でもない。

 救世を願っている訳でも、世界征服を企んでいる訳でもない。

 彼女は、俺から見れば只の普通の女の子でしかない。


 そんな彼女に合わせるのは、もう無理になった。

 ステラが召喚された時点で、俺の役割は復活した。

 転生したからとか関係ない。


 俺は彼女に誓った。

 彼女と共に歩き、彼女にできない事をすると。


 ――ステラを害する全てを俺が殺すと決めたのだ。


 その誓約はこの世界でも健在だ。


「貴方を取られたくない。

 貴方を失いたくない。

 だから私は貴方を不幸にする。

 貴方の願いを否定する。

 私に屈して、私を見て、私を感じて、私の為にあの女を捨てて」


 輝夜ちゃんが、ベットの上に上がり俺に跨る。


「前にもこんな事あったね」


 って、一昨日の話か。


「お願い、修」


 そう言って彼女は、俺にキスをした。


 彼女にしては珍しく、たどたどしく慣れていないキス。

 そんな半端な技術を実戦使用する程に、彼女は追い詰められている。

 それだけ、俺の記憶を失いたくないと思ってくれているという事だ。


「分かった?」


「分かったよ。

 輝夜ちゃんの気持ちは凄く伝わった。

 ありがとう、本当に嬉しいよ。

 でも、ごめんね」


「貴方とデートしたいなんて思わなければ良かった……

 貴方をあんな場所に連れて行かなければ良かった……

 貴方を土御門さんに取られるなんて、そんな些細な事を気にしなければ良かった……

 私、こんなに間違えたの生まれて初めてよ……」


「大丈夫。

 君はまた成功者に戻る。

 俺なんていう汚点は記憶から消して、君はまた賢く聡明に人生を送る。

 大丈夫、もう俺が君の人生を壊す事なんて無いからさ」


「お願い助けて。

 友達でしょ?」


 何度目か分からないお願い。

 最後に彼女は持てる全霊を使って、ズルをした。


 友達だからと願いを口にし、あまつさえ叶えられて、友達を続けられる訳も無い。

 それは友達を助ける事とは似て非なるものだ。


 でも、友達を辞めてでも彼女は俺の記憶を残そうとした。

 残そうとしてくれた。


 だから、俺はそれを断る。

 俺は俺の都合で彼女の記憶を消す。


 俺は、輝夜ちゃんに俺の記憶が残るのは嫌だ。

 俺は、輝夜ちゃんと友達じゃ無くなるのは嫌だ。


 これは全部俺の都合で、全部俺の為の選択。


「ごめんね」


 そう言葉にする事が、俺の限界だった。


「記憶を消した後、家に運ばなくちゃいけないから住所教えてくれる?」


「嫌に決まってるでしょ……」


「じゃあ、輝夜ちゃんのスマホ勝手に覗くけど許してね」


 ぽつりぽつりと、輝夜ちゃんは俺に住所を教えてくれた。

 その少し長い言葉を言い終わるまでは記憶を消せないから、なんだろう。


 それを見かねて記憶を強引に消してスマホを覗く程、俺も焦ってはいない。


 だから、彼女の言葉をちゃんと聞いた。

 しっかりと頭に残した。


 1分程掛けて、彼女は住所を口にした。

 最後の一文字を言い終えて、10秒程経ってから俺は言った。


「さようなら、輝夜ちゃん」


「……またね。修君」


 最後まで、彼女は自分の負けを認めなかった。

 記憶を消されても、俺がもう彼女の前に現れないと知って居ても。

 それでも彼女は「またね」と言う。


 本当に負けず嫌いで、素敵な女の子だった。


 だから、もうこれ以上君を傷つける事はできないよ。


「貴方が好きよ」


「君と居た時間は凄く楽しかった」


 俺は、彼女の顔に触れる。

 そして、記憶操作の術式を展開した。

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