夜明けに微睡む ヴァンパイア

第二六話 血縁による融和政策も百年以上経てば仇になるらしい

　当然だが、その頃にはベルクス王国軍の主力にも、北西領の中核都市が奪還された報せは届いており、後方への備えも迅速に成されていた。

　斥候隊のコボルト達によれば、進軍経路の途上にある小都市レガリア近郊に二個連隊が展開して、こちらの行く手を阻んでいるらしい。

　どうやら拙速な失地の奪還はリスクが高いと考え、勇猛な人狼公や計算高い青銅公に背中を晒すのでは無く、互いに牽制し合うような均衡状態を選んだらしい。

「つまり、越冬用の軍需物資は占領した首都及び近隣都市に搬入済みで、じっくりと構える余地がある訳だ。思ったよりも、後方攪乱（かくらん）の効果は薄かったな……」

「ん、下手をしたら雪解けと共に敵方の援軍が来るかも？」

「ぬぅ、ならば我らが挟撃の憂（う）き目に遭（あ）うではないか」

　三騎士が集う野外の一角にて、笑えない騎士令嬢の発言に老執事のレイノルドが低い声で唸り、彼（か）の御仁と一緒に何やら調理していたエプロンドレス姿の吸血姫が頬を引き攣（つ）らせた。

「えっと…… 可能性はあるの、クラウド？」

「王国の経済状況を鑑（かんが）みると追加の派兵は難しい筈（はず）だが、否定もできない」

　碌（ろく）な武器を持たせず、農民をかき集めた義勇軍を投じたり、聖堂教会経由で要請された第三国から、援軍が馳（は）せ参じたりする可能性は十分にあり得る。

　ただ、後者に関しては脅威であっても現実味は薄い。

　先祖の利害によって結ばれた王家や有力貴族の血縁関係が仇（あだ）となり、幾度も家督に纏（まつ）わる継承戦争を繰り広げた遺恨から、人族の諸勢力は一枚岩ではない故（ゆえ）だ。

　さらに獣人系種族の一部を非魔族認定して取り込んだ国家もあれば、鉱殻王が治める亜人国家ニルヴァと秘密裏に交易している連中の噂も絶えない。

　表面上は聖堂教会の主導で緩やかに連携しているが、他国の軍勢が領土を通過するだけの許可でさえ、露骨な忌避感を出してくる始末。

「されども、最悪の想定は必要だな」

「そうね、用心するに越したことは無いもの」

　金糸の髪を揺らした吸血姫が頷きつつも、色素の薄い繊手（せんしゅ）で細い棒状に細断された乾物を纏（まと）めて掴み、沸騰した湯で満たされている鍋に投入した。

　見慣れない形状の食料を興味深げに見ていると、簡易な調理台に残っていた一本の端部を折り、徐（おもむろ）に差し出してくる。

「少し食べてみる、硬いけど？」

「あぁ、頂こう」

　草むらに坐（ざ）したまま受け取り、それを齧ると微かに小麦の味がした。

「小麦の練物（ねりもの）… 所謂（いわゆる）、パスタを細くして効率的に乾燥させたものか？」

「ん、正解、聖教国のトリナクリア島で越冬のため、穀物の収穫後に作っている乾燥麺の一種ね。古城のメイド達が作り置きしてたから、分けて貰ってきたの」

　先ずは食糧事情の改善を以（も）って、世界情勢の安定を目指しているエルザの施策により、近年の北西領で急速に広まった食糧だと騎士令嬢が補足してくれる。

「これも美味（びみ）、姫様の騎士でいると喰いっぱぐれの心配無し♪」

「…… 領民への労を惜しまない主に倣（なら）い、精進して貰いたいものだ」

　上機嫌で仕上がりを待つアリエルに苦言など挟みながら、老執事が鱈（たら）や牛肉の干物から取った出汁を掻き混ぜて、鍋の中に薄くスライスした原茸（はらたけ）を放り込んだ。

　他に刻んだ唐辛子や大蒜（にんにく）も投入され、空腹を意識させる旨そうな香りが漂う。

　何もせず御馳走（ごちそう）になるのは気が引けたものの、先ほど手伝おうとすれば一流の料理人たるレイノルドに睨まれてしまい、食器を準備するに留まっていた。

　そんな経緯もあって、筋骨隆々な老執事へ意識を向けると僅（わず）かに視線が絡む。

「ふん、余り恐縮せずとも構わんぞ、これは私がすべき仕事の領分だ」

「というよりも、爺さんは只（ただ）の料理好きだからね～」

「ふふっ、子供の頃、卵と牛乳の御菓子を食べたいと強請（ねだ）ったら、凄い形状の物体が出てきたのが切っ掛けね」

　当時より堅物な老執事は手作りを頼まれたと解釈して人生初の料理に挑戦、招集したメイド軍団の支援を受けて『異界（カダス）の書』に記された “プディング” なるモノを作り、見事に玉砕したのである。

　不出来（ふでき）で味にばらつきがあるそれを笑顔で食べた幼いエルザに感涙して以降、彼女の為に修羅の如（ごと）くあらゆる料理を極めたようだ。

「嬉しくて有難いことね、本当に」

「勿体ないお言葉… と、そろそろパスタが茹で上がります」

　目ざとく鍋の状態を把握したレイノルドの指摘で、吸血姫が人数分の深皿へと小麦の麺を盛りつけ、そこに特製のスープがたっぷりと注がれていく。

　程（ほど）なくして、吸血鬼族の主従による “原茸と根野菜のスープパスタ” が完成した。

「もはや軍食とは思えないクオリティだな、感覚がおかしくなる」

「日持ちが利（き）く食材しか使えないから、具材の種類は限定されるけどね」

「それでも十分に美味しいですよ、姫様」

「確かに……」

　くるくるとフォークに絡（から）めた麺を口元へ運び、幸せそうに咀嚼（そしゃく）する騎士令嬢を眺めつつ、煮込み出汁（ブロス）が浸透した具材を噛み締める。

　湧き出す濃厚な旨味に舌鼓を打っていたら、自身の深皿を持った吸血姫が傍にきて、俺の右隣に腰を下ろした。

「嗜好（しこう）に合ってくれたようで嬉しいわ。ところでさっきの話、中央領の解放に手間取るのは良くないってことよね？」

「あぁ、首都に潜伏している狐娘（ペトラ）達の働き次第だが、また奇（き）を衒（てら）う必要があるかもな。一度、少数で潜行して彼女らと合流する」

　暫時の間、目を閉じて中央領外縁に於（お）ける両軍の戦力配置図を脳裏に描いていたら、暖かみを伴った重さが右肩に掛かる。

「…… 頼ってばかりで御免（ごめん）なさい」

「荒事でしか役立たない戦争屋だからな、平時に楽をさせてくれたら良いさ」

　“くれぐれも、領内の地域統括など面倒事をやらせてくれるなよ？” という邪念を言外に籠め、しな垂れて豊満な胸など押し付けてきたエルザの頭をポフっておいた。